ただ合わなかっただけ
最近、古本屋に行くのが楽しい。
気になったタイトルを見つけたら手にとって表紙を眺める。食事をテーマにした小説が好きなので、食べ物がタイトルに入っていると高確率で目に留まる。表紙に美味しそうな料理が描かれていたら嬉しくて仕方ない。買い物かごに入れて別の本棚をチェックしていく。
少ない予算でたくさんの物語と巡り合えるのは有難い。面白かったら同じ著者の新作を新品で購入する。ちゃんと好きな作家さんを応援する気持ちだってある。古本屋はきっかけに丁度良い場所だ。
ただ、古本屋に来るともどかしい気持ちになる瞬間がある。
自分の好きな本が並んでいるときだ。
私には元気をもらいたいとき、ほっと一息つきたいときに読む本がある。自宅の本棚にあるだけで安心する、そんな心をつかんで離さない本がある。
その本が誰かに売られて古本屋の棚に並んでいる。しかも2冊も並んでいるのだから胸が張り裂けそうだ。こんなにも素晴らしい物語を手放した人がいるのか、信じられない! なんて脳内の私が暴れ出したところでもう一人の私がなだめ始めるのがお決まりの流れ。平静を装いながら呼吸を整え、きちんと心が凪いだのを確認してからもう一度考える。
私だって本を手放した過去がある。結婚を機に実家から引っ越す前に数十冊の本を古本屋に持ち込んだ。本は紙の塊だからどうしても場所を取るし、数が増えれば重量も増す。本を所有し続けるには、それなりの環境を整えなければならない。
本を売る理由は環境の変化だけではない。読者の変化も関係してくる。以前は楽しく読めたけれど、年齢を重ねるにつれて読めなくなった本が何冊もある。特に残酷な描写が多いものは受けつけなくなり、つい最近もお別れしたばかりだ。
私にとって最高の一冊でも、他の人にとっては肌に合わなかったり、タイミングが合わなかったりしたのかもしれない。
考えているうちに、本ってなんだか人間に似ているな、と思った。縁あって出会ったけれど上手くいかなかったときは大抵そういう理由な気がする。肌に合わなかった方が悪いわけでも、タイミングや環境を合わせられなかった方が悪いわけでもない。ただ合わなかった、それだけ。
カゴに入れた本をもう一度手に取る。
せっかく縁あって出会ったのだから、私は君と仲良くできたらいいなと思っているよ。
だから、どうぞよろしくね。