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ココアの溶け残りがおいしい理由
ココアを作るとき、パッケージに書いてあるよりも多めに粉を入れる。当然、ホットミルクから飽和した粉は溶け残ってマグカップの底に溜まる。
私はあのザリザリとした溶け残りに魅力を感じる。
スプーンに集められた濃いペーストを舐めると、砂糖の甘味とカカオの苦味が牛乳で中和されることなくダイレクトに感じられて、なんだか嬉しくなるのだ。
こんなにもココアの溶け残りに魅力を感じるのはなぜだろう?
ザリザリとした舌触りは面白い。けれど絶品というほど「おいしい」ものではない。
では、別の点で価値を見出しているのか?
食用肉で例えると、マグカップの1割にも満たないあのザリザリは、ココアの「希少部位」だ。けれどココアを作るとき多めに粉を入れることで何度でも再現可能なので、そこまで珍しいものでもない。
今度はココアの溶け残りではなく「舐める」という行動に視点を移してみる。
敏感な感覚器官である「舌」を突き出して対象を受け止めにいく。そしてゆっくりと「味わう」ときに「舐める」と表現する。
単純に目の前のものを堪能するための行動だけど、ネガティブに捉えられることが多い。
子どもが食器についた汁を舐めていたら、親は「行儀が悪い」と、たしなめる。
しかし、これがソフトクリームだったら、親は「舐める」という行動に目くじらを立てることはない。そもそも「舐める」という行動に意識を向けない。「食器」を舐めるという点も関係しそうだ。
行動だけではない。「舐める」に関する言葉もネガティブなものが多い。
他者に対する態度として「舐めてかかる」と言ったり、自身の辛い体験を例えて「辛酸を嘗(な)める」と言ったりする。
ここで「辛酸を嘗める」に着目する。
「辛酸を嘗める」は、実際に舌で感じた辛味や酸味ではなく「体験」のことを表している。
もしかすると、私はココアの溶け残りに甘味や苦味だけでなく「体験」を味わっているのかもしれない。
メーカー側が「これがベストだ!」と記載した量を無視してわざと溶け残りを作る。音を立ててマグカップの底をスプーンで掻き、お行儀悪く舌を出して舐める。
私はココアの溶け残りを舐めることで「ちょっとした背徳感」を得ているようだ。確かに、パスタ皿についたソースやボウルに残ったホットケーキのタネを舐めるときも、同じように悪事を働いている感覚がある。
そして、誰もいないときよりも隠れながら舐める方が楽しさが増している。「背徳感」だけでなく「スリル」も味わっているのかもしれない。
今日もキッチンの隅で、ペースト状の「背徳感」と「スリル」をこっそり舐める。