おふくろの味候補
私のおふくろの味は、冬瓜スープだ。
母の料理は、いつも力強かった。
血合いで赤々とした鰹節が、踊る暇もない勢いで鍋に投入されていく。賽の目状に切った豚肉と冬瓜も加わり、火が通ったら味噌を解いて出来上がり。
やれ兄ちゃんの肉が多いだの、自分の肉は少ないだの、文句を言いながらも、子どもの口には大きいサイズの冬瓜を頬張る。
鰹出汁の香ばしさと味噌の塩気、それに肉の旨味が染みた冬瓜は、ジュレのように崩れてお腹へ滑り落ちていく。火傷してヒリヒリする舌も、身体の真ん中からアチアチと汗を掻くのも、全部嬉しかった。
母となった今、私は同じレシピで冬瓜スープを作っていない。
今の家族は、味の好みが全く違う。
肉が硬くて食べにくいと言う次男のために、豚肉から鶏肉に。
和食よりも中華が好きな長男のために、鰹節から鶏がらスープの素に。
甘味と辛味が欲しい旦那のために、ネギと生姜を。
具だくさんが嬉しい長女のために、追加で椎茸を。
冬瓜スープは姿を変えて、家族好みのスッキリとした味に変化していった。
しかし、私のおふくろの味は、あの豪快でパンチの効いた冬瓜スープであり、幼い頃の記憶が色あせることはない。
そもそも、おふくろの味とは子どもが決めるものであって、母親が決めるものではない。
子どもの頃の私自身が「おいしい!」「たのしい!」と感じて、嬉しい記憶となったから、味噌の冬瓜スープがおふくろの味になった。決して、母に押し付けられたものではなかった。
だから、私が作った冬瓜スープは、私のおふくろの味の「派生」であり、子どもたちにとっておふくろの味「候補」なのだ。
湯気を顔に浴びて眼鏡を曇らせる長男。
「お兄ちゃんの肉が多い!」と旦那に訴える次男。
マイペースに箸を並べる長女。
楽しい夕餉の風景に、おふくろの味候補が並ぶ。