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私は「許す力」で戦いたい
私は昔から『強い人』になりたかった。
助けてもらえる日をじっと待つんじゃなくて、自分の力でその状況を変えることが私にとっての『かっこいい』であって、そのためには強くならなくてはいけなかったから。
ただ、私の思う『強さ』は、単に目の前の相手に勝つということではない。
その価値観が形成されたのは、ポカホンタスの影響が大きいんじゃないかと思っている。
ディズニープリンセスは、王子様に助けてもらう
創作に携わる、すべての人にこれくらいのメンタリティでいてほしい③
みなさん、こんばんは。
今日は前回に引き続き、創作に関する個人的な考えをここに書いてみます。
創作するという行為に、かならず付帯する問題。
それはプロになるかどうか。
そしてもし、プロになれない・ならないなら、なぜ創作をするのか?
それは多少の収入になるからか?またはただの時間つぶしなのか?
そこに置いて、人々は何を求めているのか?
おそらく、何かを表現することをしない人には、理解しがた
創作に携わる、すべての人にこれくらいのメンタリティでいてほしい
みなさん、こんばんは。
今日は、創作するということに関しての、個人的な考えを少しだけ絵にしてみました。作家であったりライターであったり、プロの表現家たちと日々共にお仕事をしているわけですが、以前にも創作に関して思うことが増えてきました。
軽いノリで書いていますが、個人としては本当にこう思っているのです。
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(うさぎ・・・・
強くもなく弱くもなく、私は私のままで生きていく
いつの頃からか、『私だってそんなに強くないのに』という言葉に違和感を覚えるようになった。
他人が口にする分には違和感のない言葉も、自分が使うには抵抗がある。
そういう言葉は誰にでもいくつかあるんじゃないかと思う。
ドラマや漫画の中では、強い女性が弱いところを見せたり本当の気持ちを吐露したりすることで『強そうに見えても、人はみんなそんなに強くないよね』というメッセージが含まれていることが多々あ
Being(障害者)なのかHaving(障害のある人)なのか?
私は、noteやTwitterで文章を書く時も、会話をする時でも必ず「障害のある人」という表現を好んで使うんだよね。「障害者」という言い方をあえて避けてる。それは、アメリカに越してきて、アメリカの「障害のある人」への考え方の視点に影響を受けたのが大きいと思うのね。今日のnoteは、そのへんのお話し。
今では障害のある人に理解のあるアメリカでも、紆余曲折を得て障害のある人への考え方が変わってきて今
杉田水脈の差別発言と、セクマイの自己肯定感 #ThisIsPRIDE
LGBTやクィア、性的マイノリティについてひどい物言いをするのはなにも政治家や著名人だけじゃなくて、学校の先生から親戚のおじちゃん、近所のうなぎ屋の店主などから私たちは日常的に嫌なことを聞かされている。
そうやって聞かされたことは少しずつ胸の底に沈み重なって、ちょうど川の底がよどんでいるのと同じように、普段は底のほうでおとなしくしているけれど、小さな石でもひょいと投げ入れればいとも簡単にふわぁと
自己肯定感が低いままでも、つよくなった理由。
『月刊 自己肯定感』というマガジンをつくっているので、いつもなんとなく自己肯定感について考えている。
このマガジンをはじめた理由のひとつに、一緒に書いているDr.ゆうすけくんに「サクちゃんは、もともと育った環境もよくないし、自己肯定感が低い要素が山もりなのに、どうやって今みたいな考え方ができるようになったの?」と聞かれて、「それ、後天的に自己肯定感は育つっていう希望の光だからな!」と言ってくれた
同じ星の人、別の星の人
なんかわからないけど気が合う、またはどうにもこうにも気が合わない、という人に会ったときにいつも思うことがある。
多くを語らなくてもなぜだか言いたいことがわかる人に「同じ星の人」、どれだけ会話をしてもお互いに何を言ってるかわからない人には「別の星の人」だ、と思う。
ほとんどの人は別の星からきているので、ときどき同じ星出身の人に会えるととてもうれしい。共通言語を思い出したように言葉がたくさん出てく
あらゆることを肯定して生きるということ
私は、自分が好きなものを全力で『好き』と言ってまわるのが好きだ。
いいものがもっと多くの人に見つかってほしいし、同じものが好きな人と『いいよね』『最高だよね』と言いたい。
でも昔からそうだったわけではなくて、思春期はもっとひねくれていて自意識も過剰だったので、何かを否定する方が自分が優位に立てると無意識に感じていたような気がする。
他者を否定することで、自己を肯定する。
これは麻薬のような