チャビ母
発達障害(自閉症・学習障害・ADHD)の理解をできるだけたくさんの人にしってもらいたいチャビ母の願いが込められたnoteたちです。
ツイッターで過去につぶやいたことを中心に、私の想いを140文字でnoteに綴る「#チャビ母トーク」。 noteを書く時間はなかなか忙しくてとれないんだけど、発達障害のことや障害理解のことを伝え続ける場として大切に育てていきたいな、と。
ハッシュタグで検索できるように作ったマガジンです。チャビ母が書いたnoteが全部集められています。
アメリカの文化のお話しや、支援教育の違い、あと、あまり得意じゃないけど英語のことなんかについて語ったnoteの居場所です。
発達障害の人が困っている事への支援の方法や工夫について触れたnoteたちです。発達障害の人やその周りにいる人達が、少しでも楽になって、笑顔になってくれたらいいなぁ~という想いがこもっています。
日本では障害のある子を「Dependent(誰かに頼らなければいけない子)」としがちじゃないかな でもね【できる面】から見方を変えれば、障害のある子はもっと「Independent(他者に頼らなくてもできる・自分の意志で生き方の選択やヘルプを求める事ができる子)」になれると思う
自己肯定感の低い子に自分の得意な事を教えてってきくと「あれもできないこれもできない…だから私はダメなんだ」と落ち込みだす。 そんな子に「得意な事は苦手な事で打ち消されないよ。得意は得意。苦手とは別物。得意には自信持ったらいいんだよ」で少し笑顔になってくれた♪
掃除してたら息子が2年生の頃の学校のプリントがでてきた。 「季節はなぜあるのでしょうか?」の問いへの息子の答え。 【春が好きな人も夏が好きな人も秋が好きな人も冬が好きな人も、みんな1年に一回嬉しい時が来るようにです】 こういう息子の感性、好き♪
「正しさ」を武器に相手を追いやっても本当に伝えたい「正しさ」は伝わらない。ヒートアップした議論は「相手に本来伝えたかった事を伝える事」よりも「相手を打ち負かす」&「負けてないぞ」の構造を作っちゃう。 「正しさ」を武器にしちゃいけない。「伝えたい気持ち」を大切にしたい。
書類見本に「名前:山田花子」って書いてあると 「見本を見て書いて」と言われ、発達障害の子の中には自分の名前を書かず山田花子と書き写してしまう子がいる 「ちょっと考えたらわかるよね」が思いつかない。でも教えられるとわかる。 だから「考えなさい」って叱らずただ教えてほしい
体育の授業や運動会。運動が苦手な子には、公開処刑の場。 発達障害の子には、運動が極端に苦手な子が多いんだよね。目と手の協調運動が苦手だったり、チームプレーで自分の役割がとっさの判断で理解できなかったり。アイコンタクトだけでの意思疎通が難しかったり…。 でも運動が苦手なのは発達障害の子に限った話じゃないよね。そんな子たちにとって体育や運動会は地獄の時間。運動が思うようにできないもどかしさ以上に、滑稽な姿を友達や観客に晒し続けなきゃいけない心の痛み。 今日のnoteのきっか
遊びに行きたいなぁ 学校いきたいなぁ 友達にあいたいなぁ っていう子に 「みんな我慢してるんだから」「それは無理」と諭すより 「そうなんだね、〇〇したいんだね」ってまず気持ちをうけとめてあげてほしい。自分の気持ちをことばにしていい安心感って大切だから。
英語では障害のある人をPerson with autismのように表します。「人」がまずありきで、その人に「障害」が伴ってる。だから「自閉症のA君」じゃなく、「A君っていう子に、自閉症がどういう影響を与えてるのかな」というのが、本来の障害のある人の姿だと思うし、関わり方だと思う。
自信を無くす機会が多い障害のある子に、スモールステップの取り組みで自己効力感を得る働きかけって大切。 例えばいきなりマラソン完走って目標は「僕はだめだー」と挫折を導く。 でもまず1㎞、それが達成できれば2㎞…そうすれば、目標を達成できた事で自分の「できる!」につながるんだよね!
「障害のある人には、生きる上で選択肢が少ないから増やせたらな」に 「障害のない人もやりたい事をできず我慢している人だっている」と返ってくる。 そういう時「だから我慢しなきゃ」じゃなく 「だから皆で変えていきたいね」の方がいいよね! https://note.mu/chubby_haha/n/nf0b7121fd238
日本を離れて10年近くになり、外から日本の支援教育や障害のある人の暮らしをみていて思うのは、 「あの頃に比べると、障害を持ちながらも学校にも放課後にも居場所ができて、卒業後に形は色々だけど就労のチャンスも増えてきたな。でも、道筋ができてきて障害のある人の居場所も用意されるようになったんだけど、なんだかあまり充実感とか幸福感が伝わってこないのはなんでなんだろ・・・」 そんな私のモヤモヤの答えらしきものが見つかった。 久しぶりに書いた今日のNoteはそんなおはなし。 シニア
こんにちは。 ご無沙汰しております。チャビ母です。 覚えてくださっている方いてくださると嬉しいです♡ 色々ありNoteの更新を中断していましたが、ぼちぼち再開できたらなぁ~と思っています。 またどうぞよろしくお願いします~!
自閉症のこだわりって、大切にしたい事の優先順位が独特なだけなんだよね。 寒くても半袖にこだわる子、同じ道にこだわる子。自分が大切に思う事を大事にするその気持ちは尊重してあげたい。 だから禁止じゃなく「他にこんなこと大切にするってどうかな?」って提案して世界を広げてあげたいな。
「発達障害の子とどう関わっていいかわからないから困ってる」とこぼす人は多いけど、本当に困ってるのはどう関わっていいのかわからない子供自身なんだよね。 だからまず『この子はなぜ困っているのか』を理解しようと心がけ、関わり方をそこから知ることから始めてみてほしいなぁ~って思います。
自閉症の子の中には「感情」と「感情表出」がうまく結びつかない子や、感情表現が難しい子がいます。それによって彼らは誤解を招きやすいし、その誤解がコミュニケーションの構築に障害をもたらしたり、彼らの自尊心を傷つける事があります。 社会に理解を求めたい困難の一つだな~って思います。
「もう子供じゃないんだから…」という言葉をかけられ困惑する事が発達障害の人には多い。 発達障害は、認知、言語、情緒、社会性、感覚、運動面の発達が凸凹な障害。その凸凹さ故に生きにくさがある。 でも一番発達障害の人を生きにくくしてるのは、見た目と内面の発達の成長の凸凹なんだろうな