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「裏方が発信すること」の意味と影響力について

本日は「SNSで発信することの影響力」について最近思うこと・雑感です。

先日のノートにも通じるところがあるのですが、このところなんだか自分の発言・発信の影響力が大きくなった「気」がします。小劇場のごく一部~やや商業寄りのごく一部というとても狭い部分だとは思うのですが、「もしかすると自分が認識しているより拡散しているのかもしれない」と思うようになりました。

Twitterにせよnoteにせよ、フォロワー数が多いワケでもない、シェアが特別に多いワケでもない、なんら有名でもない。指標となる数字があるわけでもなく、「多数の」リアクションがあるわけでも、フィードバックがあるわけでもないし、ゆえに実態は把握できず・実感はまるで無く、推測や仮定の域でしかないのが厄介なところではあるのですが……。

ただ、

自分の存在がどの分野・どの程度の規模・どんな属性の人に刺さりやすいとか、表現方法や言葉がどの程度刺さりやすいかとか、そういうことはこれまでよりシビアに考えていった方が良いなと感じています。正直、守り過ぎなくらい守りに入って発信してもきっと足りない。たぶんこれから、うんと、ずっと、表向きの表現になるんだ。

……。

「個人の発言すら規制されたり糾弾されたりする」と考えれば「そんなのつまらないね」と思いはするのだけど、主張が過ぎて胡散臭くなっても願った方向へは発展しないし、何より、私にも、私の周りにいる仲間にもそれぞれの日常・生活・人生があるのでなあ。実害に繋がる恐れがあるのなら、スタイルなんざ変えてやる。簡単な話だ。

発言の自由だとかなんだとか以上に、守りたいものがあるならそれを守ることが最優先なのだよ。

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