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「瘡蓋」を通じて心のトラウマと向き合う
こんにちは!
アトピー改善アドバイザーのちーちゃんです。
今日は
「瘡蓋」を通じて心のトラウマと向き合う
をテーマにお話ししていきます。
瘡蓋。
それは、肌が傷ついたときに、自らの治癒力により生み出された代替肌。
この記事を書いている今の私は脱ステ4ヶ月目、脱保湿2週間目を迎え、
これまでの人生の中で最も多く瘡蓋に覆われて生きています。
言うまでもなく、瘡蓋というものは必要になったら自然に生成されて、自然に落ちていきます。
剥がさない方が治りは早いし、細菌感染のリスクも軽減できるというメリットを知っていながらも、痒みを我慢できなくて、瘡蓋を剥がしてしまったり、無意識に瘡蓋を剥がしてしまう自分に気づきます。
これまで炎症に蓋をするステロイドや保湿剤に頼ってきたのだから、それらをやめたら肌が慣れるまではものすごい不快感と乾燥に襲われるのは当然のこと。
保冷剤を使ったり、ペパーミントの精油を嗅いで痒みを抑えようと試みるものの、中には到底我慢できる痒さではないものもあるので、掻きたいと思ったら掻きます。
しかし、本当は掻きたくないのに手癖で無意識に肌に触れて掻いていたり、瘡蓋をめくってしまう自分がいて、どうしたものかと長らく考えていました。
吐き出せていない思い
東洋医学的な視点(五行論)から見ると、アトピーは「出したいものが出し切れていない」類の症状だとされています。
食生活と生活習慣は(お金の負担がない程度に)これ以上やることはないというくらい改善させ、一番皆が苦労するステロイドや保湿さえも断った今、それでも何か足りていないものがあるんじゃないかと思ってきました。
瘡蓋を無意識にも剥いてしまった自分を責め、後になって痛みを感じていたときに、ふとその「足りないもの」に気づいたんです。
それは、自分を誰よりも愛すること。
日本語で「愛する」と聞いても、「愛する」という言葉をそもそも使い慣れていないし、何だかよく分からないなと思います。
言い換えるなら、
心の底から自分を大切に思い、大切に接すること
です。
瘡蓋を剥いてしまっては都度後悔し、自分を責め、運転免許症の違反減点のように、毎日自分を「減点」していく。
私は、この繰り返しから抜けられないでいました。
「誰よりも」愛すると書いたのは、誰かを愛するのにあたって、順位や優劣をつけることを強調するものではありません。
自分を一番愛する存在は自分であって欲しい、という思いを込めて書きました。
これは、私自身に対しての教訓でもあります。
自分を愛するのに、他人のものさし(価値基準や評価)は必要ありません。
だけど、多くの人がこの点を見逃し、いろんな病や不調に繋がっている氣がしています。
誰かから愛すること、認められることを待っていないで、まずは今ここに生きる自分を認め、心から労わり、心から大切に接するのです。
アトピーに限った話ではありませんが、アトピーには性格的傾向があると過去の投稿でお話ししたこともありますが、アトピーの方ってきちんとされている方、マメな方が多いように思います。
だから、アトピー完治に向けた食生活習慣改善や薬との向き合い方を改めても、まだなお良くならないと不安になったり、嘆いたり、躓いたりする方がきっといるのではないでしょうか。
やることをやってもまだ良くならない場合はストレスだとも言われる通り、
きちんとしてる人こそ完璧でなく「ある程度(70点くらい)」出来たら万々歳であっていいと思います。
そして、どんなに脱ステや脱保湿で醜い容姿になっても、瘡蓋を剥いてしまっても、
絶対に自分を責めないで。
メンターさんにも言われて、ハッとしました。
もう既に沢山苦しんで涙も流して、毎日自分の意識は「痒い」「辛い」ばっかり。
それでも、身体を優しく擦りながら、
「身体さん、アトピーを直してくれてありがとう」
「身体さん、辛いよね、よく頑張ってくれてるね」
「身体さん、アトピーを通じて沢山の気づきを与えてくれてありがとう」
と心の中で呟いています。
その行動や思いの一つ一つが、私の心のトラウマと向き合う大切な機会であり、
「出し切れていない思い」を出す機会であり、
自分を誰よりも愛し、癒やし、労る練習なんだなと考えています。
アトピーやその他の不調で行き詰っている方にとって、私の経験で心の負担が少しでも軽くなったら嬉しいです。
皆さんの暮らしが快適で笑顔に満ちたものになりますように♡