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珠玉集

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心の琴線が震えた記事
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#エッセイ

息苦しくなったら空を見上げよう。

人の反応や言動に疲れてしまう全ての人へ 投稿5時間しか経っていないのに100スキも ありがとうございます💞 それだけ近い感覚を抱く方は多いんですね。 言葉が多く、強い方ばかり蔓延る世の中で 何も言わずに黙して感じている人がいます。 誰かの教えを乞うことは良いことですが 本当の深いところでは誰も 誰かの先生にも生徒にも本当はなれない。 noteでもSNSでも世間でも色々な人がいます。 繋がりを大切にしながらも、 時には繋がりが密になってくると 心の距離感を

noteにある場所。

noteに書きたいことは徒然にあるのだけど書くのを躊躇ってしまうことが多い。 noteを始めて3年が経つが、その頃によくお見かけしていたnoterさんがめっきり減ってしまった。あの頃はコロナ禍だったし3年は案外長いのだろう。 私自身の状況も周囲の様子もやはり色々変わっている。 自分はなぜnoteを続けて行こうと思うのか。 それは、ここにある居場所が大切なものになっているから、それに尽きる。 学生時代に瞬く間にmixiが全盛となり、そのまま社会人時代も過ごしたけれどmixiをや

「意味のある偶然」のこと。

先週の日曜日、ある教会でマンドリンとクラッシックギターとコントラバスのアンサンブルが催され、そこで友人がギターを弾く姿を、初めて間近で見ることが出来ました。 いつも遠慮気味で線の細い友人の、ギターを抱くその背筋が伸びた姿は凛として、とても美しく静かな気迫を感じました。 こうやって音楽に向き合い弾き続けて来たのだと、ギターを包むように前傾し真っ直ぐに伸びた背中を見ながら、彼女の音を最前列で聴いていました。 音楽に対峙する厳粛さと、心に語りかけるような深い音色を聴きながら、何か

もう一度描きたいもの

夏に祖母が亡くなった。95歳だった。 小さな頃から通い詰めていた祖父母の家は住む人がいなくなり、伯父がふたりの遺品を片付けた。 火葬場で、伯父に「何か欲しいものある?」と聞かれたので 「おじいちゃんの水彩絵の具のパレット、まだある? あるなら欲しいな。」 と伝えておいた。 「いつから絵を描いているんですか?」 これは、以前イラストレーターとして取材を受けたときにライターさんに聞かれた言葉。いつからかなあ…とその場で改めて考えてみた。 すると、7歳ぐらいのときに、祖父といっし

【イベント告知】文学フリマ東京39出店します!【文芸ムックあたらよ第二号・先行販売!】

『文芸ムックあたらよ 第二号・特集:青』 間もなく販売! 新刊『文芸ムックあたらよ 第二号・特集:青』を12/6より販売開始致します! 神戸のひとり出版社・EYEDEARがお届けする、文芸ムック第二号! 『青』をテーマに、豪華執筆陣が小説、エッセイ、短歌を書き下ろし。また、同テーマにて開催し、453作品が集まった『第二回あたらよ文学賞』の受賞9作品を一挙掲載。 今、わたしとあなたがいちばん楽しめる文芸誌。いつまでも明けることのない素晴らしい夜――あたらよを共に楽しもう!

生きているということ

道端に死んだカマキリがつぶれていた。 そこは田舎で、まわりは草むらが広がっている。平屋の家屋がぽつぽつと見える。 どこかから、川の流れるような湿り気のある音がかすかに聞こえてきて、柿の木の頭上に残された一個の柿が、さみしくぽつんと存在していた。 鬼ゆずは枝葉を大きく下方にしならせ、今にも枝が折れてしまいそうな重さを保ちながら、少しずつ緑から黄へと色づいてきている。 北から寒気のこもった風が時折背中をなでていく。 カマキリはおそらく何度も車にひかれたのかもしれない。

どの道嘘なんて書けねえよ

子供を下校させた後にあこさんの記事を読んで、小説家の嘘だとか本当のことだとか、それにまつわるよしなしごとに思いを馳せたくなり、定時で職場を退けてスタバに寄った。目的地も分からぬままノートにペンを走らせる。 結論から述べると、わたしはそれが小説であれエッセイであれ、人間の書くものに嘘なんてないんじゃないかと思っている。作家という一人の人間の消化管を通って世に放たれた言葉は、確実にその人の中で濾過されて存在することを許されたものだ。その人の経験なり思考なりが紛れもなく乗っかって

【企画募集】自分語りnoteを君も書かないか?「読者のために」と言いながら自分を守ってない?自分語りnoteやっちゃおうぜ!

 おはようございます。朝の6時からnote書いている、フリーライターのみくまゆたんです。  実は私、今悩んでいることがあります。それは「ライター」という仕事は続けたいんですけど、肩書きを外そうかなぁと思っていて。でも外したら、仕事来なくなるかなぁとか。葛藤の日々です。  まぁ、どの仕事においても「〇〇はこうあるべき論」ってあるんじゃないかなと思うけど。それが堅苦しいんですよ。  そもそも、やりたいことにとことん挑戦したいからフリーランスになったのに。自分たちでルールとか

11月前半のエンタメ事情|読書・映画感想

11月に入り、読書欲が戻ってきました。 私は遅読です。漫画であれば、戦闘シーンの「ダダダダダダダダタダー」とかも真面目に読んでしまう。 それでも今月は今のところ満足な読書体験ができています。 だけど最近視力が弱ってきていて、目の疲労から一時中断することも多く、読書の合間に映画も観ました。 そんな記録です。 ①夏木志朋著 『二木先生』 読みながら嫉妬してました。このテーマで私も書いてみたかった~、という。 全身全霊でこの一冊を書かれた感、作者の気合いをビシビシと感じ

掌編: 霧にいた二十年

 霧の朝を車内で迎えた。 二十年記念日は雲海を見ながら過ごしたい、 そんな夫の要望で日付が変わる頃には家を出て、車内で眠っていた。  目覚めると辺りは霧の中。ほんの数メートル先が幕を張ったように不透明。対向車のヘッドライトも白味がかってマイルドな光を射す。 めくる風景は山林で、枝がない真っ直ぐな杉が整然と緑を成していた。 「もうすぐ着きますよ」  夫は正面を見たまま、私の起きた気配で声をかける。 「山ってもっと鬱蒼としているかと思いました」 ドリンクホルダーから取るミルク

探偵とハンガー

ここ数日、急に『探偵ナイトスクープ』のことが気になりだした。 歴代の局長(上岡龍太郎さん、西田敏行さん)や最高顧問だったキダ・タロー先生の訃報に触れたからだろうか。 いや、私は多分、寒くなってくると思い出すようになっているのだ。 1995年1月。 阪神淡路大震災後の大阪で、 親戚たちとコタツに入りながら観たナイトスクープのことが忘れられず、 今でも思い出しては 「ちょっとやってみる」ことがある。 1995年の1月だから、もう30年近く前になると思うので、 覚えている人

正直、創作に嫌気がした人へ

 頭や理屈で判っていても、 心が受け入れないときがある。  なんの慰めにもならないけど、 気分が換気できればと思い、書いてみる。  わたしはコロナ禍にある頃、 二軒のクラブから雇われママとしてスカウトされた。理由は聞いてない。聞いても忘れた。  その頃は皆さまもご存知のように、飲食店は大打撃に遭う最中。 「いつまでも世間は閉じてない。 やがて再開する日が来るので、そのときにお願いしたい」とのことだった。  雇われが付いても、ママ。 一体どんな仕事で、なにを、と実社会

ここにきて生理かよ

生理がきた。 フルリモートで在宅勤務をしている夫が珍しく不在にするという日の前夜のことだった。コロナ禍によって通勤というものから解放された彼が家を空けることは滅多になく、その日はわたしも久々に罪悪感なく自分だけの夜を謳歌しようと思っていた。 最近、気になって気になって仕方がない場所。夫は十七時のJRで学生の頃の友人との飲み会に向かうというので、わたしも彼を駅まで送った足でそのまま向かおうと思っていたのである。夫の予定を聞いて二週間あまり、そのことだけを励みに労働に勤しんできた

時間鳥が奪ったもの

車の中で、馴染みの交差点に差し掛かり赤信号で止まることになった。僕は信号待ちをして横断歩道を歩く女性を見ていた。その姿に少し前に起きた僕のことを思い出してしまっていた。 その日はこの交差点の横断歩道の前で信号待ちをしていた。車ではない。ただそれだけの筈だった。思わず声を出してしまいそうな気持ちの良い晴天だった。僕の横には女性が一人で立っていて、この天気では決して開くはずのない傘を持っていた。少し離れたところから、歩道を散歩途中の犬が、喜びを演じているかのようにわざとらしく尻