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「意味のある偶然」のこと。

先週の日曜日、ある教会でマンドリンとクラッシックギターとコントラバスのアンサンブルが催され、そこで友人がギターを弾く姿を、初めて間近で見ることが出来ました。

いつも遠慮気味で線の細い友人の、ギターを抱くその背筋が伸びた姿は凛として、とても美しく静かな気迫を感じました。
こうやって音楽に向き合い弾き続けて来たのだと、ギターを包むように前傾し真っ直ぐに伸びた背中を見ながら、彼女の音を最前列で聴いていました。
音楽に対峙する厳粛さと、心に語りかけるような深い音色を聴きながら、何か励まされる思いになりました。

その友人と先日、霧が立ち籠める森を歩きました。
道を少しずつ登りながら歩いていると、すっかり霧に包まれた森は、私達ふたりだけを待ってそこに広がっているようでした。

聞き上手の友人は、取り止めなく結論もない私の話に、口を挟まずにジッと耳を傾けてくれていました。
少し前から考えていること、それは人生においての役割についての話なのですが、歩きながら考え考え話していました。

霧がかった森は、もうすぐ9時になろうとしていても薄暗く、まだその一日がひっそりと動き始めたばかりの様でした。
他に全く人がおらず、密やかな時間がそっと用意され静謐が辺りを包んでいました。

そうして歩いていると、木々の影から太陽が靄に包まれて見える場所に行き当たりました。

そのコントラスト、霧に煙る木々の間から見える朝日の美しさに私たちは、しばらくただ立ち尽くしていました。

再び歩き出して場所を移動しても、その朝の光は私たちの前に現れ形を変えながら、静止した夜空に浮かぶ花火のような姿を見せてくれました。

音の無い世界に、荘厳な光景がただ静かにそこに存在していました。

友人との取り止めないの話しは、お互いに最近めっきり読書量が減ったこと。SNSや Webでの短い記事ばかり読んでしまうこと。
徐々に長い本を読む力が失われつつあって、せっかく日本で求めた本も買うだけで満足してしまっていてはいけないと気がつき、意識して読む時間を作っていることなどを話しました。

今、柳田邦男氏の「言葉の力、生きる力」と「犠牲(わが息子・脳死の11日)」を平行して読んでいますが、この本を知るまで氏のご子息が25歳で自死されたことを知らずにいました。

「言葉の力、生きる力」のエピローグを読み、ずっと私の中にひっそりと、しかし力強く存在するある一瞬の出来事が重なりました。
それは意味のある偶然についてです。

柳田さんの文章を、長いものですがここに抜粋させていただきます。


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小雨模様のある日の夕方、
著者の姉から、亡くなった次男の大学時代の学生手帳が郵送されてきた。
一時期、伯母の家に寄宿していた次男が忘れたものだった。著者が中を開いて、次男の証明写真が貼られたページを見入った時に、スノーマンの主題歌が流れ出す。

私はとたんに不思議な世界に引きこまれた。
(中略)
 息子は『スノーマン』が好きだった。死を思うほど辛かった日々の中で、何度となくその短編アニメをビデオで見ていた。心の平衡を取り戻そうとしていたのだろう。あるいは楽しかった幼少期に戻りたかったのか。『スノーマン』の映像と音楽とは、それを見、耳を傾けている息子の姿とともに、私の脳裏に深く刻まれている。
 その情景が、今、CDから流れ出したボーイソプラノの歌声とともに、目の前に甦ってきたのだ。学生手帳の息子の目が、私を見つめている。私の体内を何かが激しく駆けめぐり、全身が熱くなり、涙がとめどなく流れた。
 なんという偶然だろう。なんという不思議だろう。姉が十年以上も経ってから息子の学生手帳を見つけて私に送ってきたことと、私が新しいCDを買ったことの間には、何の関係もない。姉からの郵便物を開け、息子の学生手帳に写真を見出みいだしたことと、まさにその瞬間にCDの『スノーマン』の曲が流れ出したことの間にも、何の関係もない。
(中略)
 だが、学生手帳の息子の写真が貼られた項を開いたその時に、「ウォーキング・イン・ジ・エア」のボーイソプラノの歌声が流れ出したことは、まぎれもない事実だった。いや、単なる真実と言うよりは、科学的な因果関係を超越したところに立ち現われる「真実の瞬間」と言おうか。

 思えば、息子は何度となくそういう形で私の前に姿を顕わしてきた。天に翔けた日からそうだった。心停止後に腎臓を提供して、夜遅く遺体を引き取って帰り、自宅の居間に安置した時だった。
その時、長男がたまたまつけたテレビで、死んだ息子が傾倒していた亡命映画作家タルコフスキーの『サクリファイス』が終わろうとしていた。画面にラストシーンが映り、テーマ曲のバッハの『マタイ受難曲』のアリア「憐れみ給え、わが神よ」が、部屋いっぱいに流れたのだ。私は立ちすくんだ。
 息子の死と映画『サクリファイス』の放映との間には、何の関係もない。まして息子の遺体を自宅に安置した時刻と、『サクリファイス』のラストシーンの時刻との間には、科学的には何の関係もない。偶然の一致に過ぎない。しかし、シンクロニシティと呼ぶべきその偶然の一致には、重く深い意味が隠されているにちがいないと、私はその時雷に打たれたように感じた。

 そういう偶然の一致を「意味のある偶然」と呼ぶのだと、後に教えてくれたのは、臨床心理学者の河合隼雄先生だった。その言葉を知った時、私は、深い意味がどんなものであるかはすぐにわからなくても、長い人生の歩みの中で、少しずつ気づいていくにちがいないと期待に近い思いを抱いていた。やがて、歳月を経る中で自然に感じるようになったのは、人生の中には、実は因果律で説明できる出来事よりは、非合理な「瞬間の真実」や「意味のある偶然」と言うべき出来事のほうが多いということだった。
そして、そういう出来事の一つ一つを大事な経験として心の中に刻んでいくと、「なぜ私がこんな辛い目に」といった尖った感情からいつしか解放されて、内面がやわらかく膨らんでくるのだ。

(中略)歳月を経て、息子の学生手帳の写真に再会した瞬間に『スノーマン』の主題曲が流れてきた時には、涙を流しながらも、息子は大きなあたたかい恩寵に浴しているにちがいないと、やすらぎを感じるようになっていた。息子の死が時間をかけて私にそういう内面の成熟をうながしたのだろう。
《愛する者の死がもたらすものは、ネガティブなものだけではない。物凄くポジティブなものももたらしてくれるのだ。》
 私はそんなふうに思うようになっていた。

 人はしばしば、喪失体験を不幸という言葉と同義にとらえる。だが、私の場合、振り返ってみると、少年時代に父を喪い貧困に陥った時でも、学生時代に失恋した時でも、やがて家庭を持ち息子を喪った時でも、自分の境遇を不幸だと思ったことは一度もなかった。幸福とか不幸という言葉を使ったら、現実が急に空々しくなるように思えて厭だった。
 少年時代には、そういう心の動きを言語化することはできなかったが、人生後半に入っている今は、自分の心の座標軸を次のように明確に語ることができる。

《私の心には自分の境遇を幸福か不幸かという次元で色分けする観念も意識もない。あるのは、内面の成熟か未熟かという意識だ。そして、内面において様々な未成熟な部分があっても、あせることなく、人生の終点に到達する頃に、少しでも成熟度を増していればよしとしよう》―と。

エピローグ 自分のための言葉
「成熟」という心の座標軸

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アレは、心が夫の不倫で荒れ果て、今後について、自分の人生についてどうしたら良いのだろう...と悩んでいた頃でした。

私はひとり車を走らせていました。
右手はライン川、左手には線路が並走している真っ直ぐな国道でした。

左後方から、私の車よりやや速い速度で貨物列車がゆっくりと並走し始めました。隣りを走る貨物列車を、運転しながら何気なく目で追いました。
貨物の車体に大きくアルファベットで何か落書きがされていました。
注意して見ていなかったので、その文字がある言葉になっていることも、その意味を掴むのにもしばらく時間がかかりました。

けれど理解した瞬間、呆然となったのです。

そこには、

I am Backbone.


と書かれていました。

“ I am Backbone ”と書かれた列車が、ほぼ同じ速度で私の車と並ぶように走っています。
それは自分の人生はこれでいいのか...と考えていた瞬間のことでした。
そう簡単に答えなんて出ない、どうしたら良いのだろう...と途方に暮れ、漠然とした不安を抱えながら運転していました。


運転中で写真を撮れないから、並走する列車の姿を忘れないように、その文字を目に焼き付けようと思いました。
あの日以前にも、そしてそれ以降も同じ貨物列車を目にしたことはありません。

たった一回、それも並走できたのは数百メートルでした。

この時間にここを車で走ってなかったら...
決して出逢うことは無かった

それは何か大いなる啓示のように感じられ、何ものかに力強く背中を押されているような、静かで不思議な一時でした。

私は誰かの背骨なんだ

私自身が背骨なのだ

今まで一度もこの事を話したことはありません。

柳田邦男さんの、半身を失うような経験から辿り着いた想いを拝読し「意味のある偶然」について、私のこの体験もここに追記しておきたい...と思いました。




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