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noteにある場所。

noteに書きたいことは徒然にあるのだけど書くのを躊躇ってしまうことが多い。
noteを始めて3年が経つが、その頃によくお見かけしていたnoterさんがめっきり減ってしまった。あの頃はコロナ禍だったし3年は案外長いのだろう。
私自身の状況も周囲の様子もやはり色々変わっている。
自分はなぜnoteを続けて行こうと思うのか。
それは、ここにある居場所が大切なものになっているから、それに尽きる。
学生時代に瞬く間にmixiが全盛となり、そのまま社会人時代も過ごしたけれどmixiをやる気は全く湧いてこなかった。あのころ現実世界以外で人と繋がりたいという願望は一切なく、バーチャル空間で誰かとわざわざ繋がるなんてまっぴらだと思っていた。
看護婦(まだ“師”になる前だった)の世界は濃厚なクリームチーズくらいこってりな人間ドラマがあって、社会人としてそこに自分を合わせるだけで必死だった。早くに地元を離れたけれど振り返っている余裕もなかった。
インターネットの世界を横目にしながら長く海外住みを続ける中で、自分自身変わったことも多々あった。気がつけばリアルでは話せないことを、読んだり書いたりできるこのnoteの世界が特別な所になっていた。
noteは非リアルでいて実はとてもリアルな世界でもあると思う。非日常と日常の具合が自分の中で絶妙な感じになっている。
ただ、noteに綴りたいな...と思っても幾重にも表情の異なる現実世界のことについてどこまで何を書くのか。書きたいテーマはあるけれどそれを世界に向けて発信してよいのか?と、考えて立ち止まってしまう。
「世界に向けて」は大袈裟だけど、誰でもアクセスできるのがSNSで、地球の裏側に住んでいるひとがある日ひょいと目にして読めてしまうのだ。
それは凄いことだなぁと思う。

人間が織りなすこの世界はものすごいスピードで変化している。なのに当の人間は案外変化に鈍感だ。鈍感というか変化に気がつかないことが多い。
理事長をしている日本語補習校の来年度の人事のことで内部が揺れている。退職希望の先生が数名おられて、それが皆ベテラン勢ときた。先生方にもそれぞれのライフステージが有り、ずっと同じ状態は有りえないはずだが、予想外過ぎて頭を抱えている。昨年度は首切り人事を断行して大変だったので、今年はもう大丈夫だと思っていたら...。
今週からの面談を控え頭が痛い。いや肩が痛い。
2年くらい前からストレスがかかると左肩から手首にかけてが痛むようになった。痛み止めを飲んでもあまり効かず、最近はストレッチも入念にやってみたり、さぼりがちだった瞑想もやってみたり、なるべく負荷をかけないよう日中ダラダラとすることを心掛けている(?)けれどあまり変化がない。自分が自覚するよりもストレスを受けているのだと感じるが仕方がない。
あるときケロッと治ると知っているので、あまり深刻ならないでいようと思う。

昨日、今年初めての雪が降った。
今朝、子供たちを学校に送ろうとしたら車の窓が凍結していて発車するまで時間がかかってしまった。街ではクリスマス市も立ち始めている。
最近は信じられないくらい天気が悪い日が続いてこの10日間青空を見ていない。
ずっと曇っているか雨。これがこちらのリアルウィンターだ。
よく「寒いでしょう?」と言われるが私が暮らす地域は日本の平均的な冬よりも少し寒いくらい。家のなかはセントラルヒーティングなので快適に過ごせる。ホットなティーン中二病の息子は年中半袖を着ているくらい。
問題は天気の悪さで、青空がほぼない期間が10月から3月くらいまで続く。日照時間も短いので5、6か月は暗い中での生活が大半になる。
昔は11月ごろから気持ちが滅入って困ったけれど数年前から平気になった。住めば都というかとうとう適応できたのだろう。
最近、“何処にいても自分だ”という感覚があって、秋休みに一人旅をしたのだけれどその時にも心境の変化を感じた。
以前の私は、バカンスの初日から終わることを考えて悲しくなるようなところがあった。
とっても充実して楽しい、でもこの旅が終わって家に帰ってもまた新しい旅が始まる。
人生はいつも旅なんだ ...とハッと閃くように突如として解ったことに驚いた。

いつも日本に帰ったら自分がヨーロッパなんかに住んでることが遠い幻のように感じるし、ドイツに戻ってきたら日本の生活の方が夢だったように思う。
そんな心理が以前は、何か心もとなくもあったのだけど、どこに居ようともこの世界に居る間の有限の時間の中で旅をしているのだなぁということ。自分はこの人生でいろいろなことを感じて経験したい、と思って来たような気がする。嬉しいことや楽しいことだけでなく、悲しみとかどうしようもない感情も全て。
表と裏、両面あるし片方だけというのはあり得ないのだろう。そして良い悪いも人間が決めただけで、もしかしたら本当はそんなものも無いのかも知れない。
でも美しい物事に触れたときは嬉しい。
心が通い合う人と出会えたら幸せだなぁと思う。
そしてその反対の心の動き、苦しいことも辛いこともあるけれどそれも含めての今なのだということ。

世界は凄い速さで動いているし、自分の内側でも色々なことが忘れられながら動いている。
だから、意識的に少しスピードを落とすというか自分の中で回っているトルクみたいなものを緩めていきたい。なるべく“今に居て”自分の内側を注意を払って覗いていきたい。
少し立ち止まってnoteを書くことがそこに繋がっているように思う。そしてそれはとても素晴らしいことだなと改めて感じている。

11月初めの庭
この頃は珍しく晴天続きだった
猫が紛れている風景

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