一番近くて遠かった従兄弟の話。
※自死の話です。ご注意ください。
その従兄弟の名前を、ここでは「カケル」としておく。
本当はもっと別の、とてもいい名前だった。伸びやかで、未来への希望に満ちた彼の名前は、語感だけで意味のない名前を持つ私には、とても眩しく見えた。
カケルの父親は私の叔父で、私と同い年のカケルが生まれた直後にカケル達母子を捨てる形で離婚していた。お母さんに引き取られたカケルと私が初めて会ったのは、中学校の入学のタイミングだった。
母から聞いた名前を頼りに探し当てたカケルは、当時からチビだった私よりも更に背が小さくて、真新しくてぶかぶかの学ランを着ていて、くりくりの癖っ毛をして、キューピー人形のようなぱっちりした目の、めちゃくちゃ可愛い男の子だった。
カケルを見た瞬間、私は「血の繋がり」というものの感触をハッキリと感じた。何と言えばいいのか分からないけれど、顔立ちや体格や声の調子などは勿論、存在そのものをどこか同質だと感じたのだ。
カケルと私は似てる。絶対。
私の髪は直毛だし、私にカケルほどの目力はない。でも、私は似ていると思った。兄弟がいず、生みの父の顔も覚えていない私は、それまでに出会った誰よりも、母よりも、カケルが私に一番近いと思った。
家系図がややこしい私にとってカケルは数少ない、一般的な「従兄弟」と同じだけDNAが繋がっている従兄弟だった。母方の一番親しかった従兄弟は「普通」の半分しか繋がりがなく、父方に至っては100%義理の関係だ。「血の繋がり」にどこか憧れていた私は、カケルと繋がっているということに特別な意味を感じた。
やや緊張しながら「カケルだよね?はじめまして、私ワタリって言うんだけど。お母さんから聞いてる?」と尋ねると、カケルは「うん、聞いた聞いた。よろしく!」と朗らかに応じてくれた。
叔父のしたことを考えれば、拒まれても仕方ない。カケルが嫌がるようだったら、無理に近付いてはいけない――と母に言い含められていた私に、あっけらかんとしたカケルの返事はとても有難かった。
カケルは明るくて、ひょうきんで、いつも元気にクラスの笑いを取っているような男子だった。カケルはいつでも目立っていて、別のクラスだった1年生の間でさえ、どこにいるかすぐ分かった。恋愛感情とは全く別の、でも強烈な親近感で私はカケルのことを眺めて、勝手に応援したりハラハラしたりしていた。
カケルは頭が良かった。勉強はそこそこだったようだが、学力とは別の種類の賢さがあると感じた。例えば廊下で見かけて話すとき、ほんの数十秒しか話さなくても、カケルとは驚くほど話が通じた。当時の私はそれをカケルと血が繋がっているからだと思っていたけれど、今思えばカケルは、誰とでもそういう風に意思疎通が出来たのかもしれない。
カケルは私と従兄弟だという事を、同級生達にも公言していた。私とカケルの姓が違うこと――カケルのお母さんがバツイチなことも、再婚していることも、屈託なく喋っていた。物心つく前から「親が再婚だと他人に話してはいけない」と刷り込まれてきた私には、カケルのその堂々とした態度がとても眩しく見えた。私と似ているにも拘らず、カケルは私よりもずっと強く、明るく、無邪気に人間を好きな、自信がある人間だった。そう見えた。
母の提案で、中3の頃に一度だけカケルを私の家の夕飯に誘ったことがあった。母が作ったハンバーグを食べながら、いつものように賑やかに振舞っていたカケルは、「遅くなると家の人が心配するだろうから」と車で送る申し出をした母に、こう返した。
「あー、大丈夫だよ。俺がいなければ、家族水入らずになるし」
カケルのお母さんが再婚してから、カケルの下には弟が二人産まれていた。カケルがいなければ、カケルの家庭は「全員綺麗に血の繋がった」状態になる。カケルが言ったのはそういう意味に違いなかった。
いつも学校では明るくてひょうきんなカケルの、陰のある部分を見た私はハッとして、それでも気が利いたことは何も言えなかった。
外で能天気に振舞っているからといって、あんなに私に似たカケルが、ただただ純粋に明るいだけの少年であるわけがなかった。むしろ私よりも強い明るさを普段出し続けている分だけ、内面は脆く危ういのだと、そう感じた。
それから卒業までの間、私は何とかしてカケルとの接点を増やそうとした――が、上手くいかなかった。当時私とカケルは同じクラスだったが、カケルは男女問わず人気があっていつも周囲に人がいたし、「従兄弟だから」というだけで彼らを押しのけて近づくには限界があった。そしてカケルも私を拒絶はしないものの、カケルの方から私に近付いてくることはなかった。結局私はカケルと「割とよく話す同級生」以上の関係を作ることが出来ないまま、中学校を卒業し、別々の高校へ進学した。
私は、心配だった。
カケルの明るさは誰から見ても魅力的だった。けれどその一方で家庭では疎外感を感じ続けているという事が、それを抱えて尚あんなにも明るく振舞い続けているという事実が、それが示すカケルの優しさと脆さが、酷く危ういバランスに思えてならなかった。
自分に何かが出来ると己惚れていたわけではない。でもカケルには一人でも多くの「身内」が必要だと、その「身内」に私がなりたいと思った。恩を着せたいわけでもなくて、私自身がカケルとの繋がりを持ち続けたかった。
きちんと血が繋がっていて、同い年で、世界で一番「私に似ている」と思った従兄弟のことを、私はとても、好きだった。
従兄弟として、カケルと連絡を取れる状態でいたい。そう母に話すと、母は渋った。
母はカケルのお母さんと連絡を取れるようだった。しかしカケルのお母さんは叔父との離婚後、新しい家庭を築いている。そしてカケルのお母さんが叔父に連絡を取りたがっている節がある一方で、叔父の方はカケルのお母さんと交流したくないらしい。叔父自身にも新しい家庭があり、そこでの子供――カケルの異母弟に当たる、私の従兄弟もいるためだ。
つまり大人の事情的に、「同級生同士」の交流ならば問題ないが「従兄弟として」大っぴらに親戚づきあいすることは賛成できない。そういう主張だった。
大人の手を借りずに連絡を取る手段を失くしてしまった以上、「子供」にすぎない私は諦めるしかなかった。
高校1年の終わりごろだっただろうか。通学帰りのバスでたまたま、カケルに遭遇できたことがあった。
このチャンスを逃してなるものかと、私はカケルの連絡先を聞き出し、怒涛の質問をカケルに浴びせた。そしてその勢いのまま「また家にご飯を食べにおいでよ」と強引にカケルを誘って約束を取り付けた。
結論から言えば、カケルは来なかった。「バイク買ったから見せてやるよ」と言ってくれていたカケルは、「バイクに傷がついたから修理に出した」「まだバイクが戻ってこない」という連絡を何度かくれた後、「バイトが忙しくなったから、しばらくは無理そう」という断りを入れてきて、その話はそのまま終わりになった。
カケルがそう言っていた時期の前後に、カケルが高校を中退していたらしいと私が知ったのは、何年も過ぎた後――二十歳の成人式後の、中学の同窓会でのことだった。
同窓会にカケルの姿はなかったが、私は同級生たちに聞き回って、高校以降のカケルが、中学時代の不良グループと呼ぶべき面子と仲良くしていた事を突き止めた。
中学のコミュニティ内ならば話は早い。そう思った私は早速、会場の隅の方の一番騒がしいテーブルへと向かった。
色とりどりの髪にギラギラしたスーツや羽織袴をまとう軍団に割り込み、手近な一人を捕まえて「カケルの連絡先って誰か知らない?」と聞くと、そこにいた彼らは丸ごと静まり返った。
「あー……やー、カケルとは、俺らも連絡取りてぇんだよ。結婚したって聞いたけど」
たっぷり5秒は静寂が流れ、その場にいた十数人の男子たちの視線が集まった先――グループのリーダー格のE君は、子分数人と目配せをし合いながら、ボソボソとそんな回答をした。「煙たい元学級委員長、しかも女」である私にどこまで話すか、迷っている。同時に周囲の子分たちに対して「お前ら、余計なことを喋るなよ」という種類の緘口令を、アイコンタクトで敷いていた。
私は中3の頃、同じクラスだったE君にそこそこの「貸し」があった。校内合唱コンクールでクラスのピアノ伴奏者だった私は、3拍子と4拍子の違いも分からないまま指揮者に立候補してその座を射止めたE君に、数か月間にわたって指揮の特訓を施していた。その甲斐あって、私たちのクラスは校内の「最優秀賞」と、E君の「最優秀指揮者賞」のダブル受賞を達成した。
恐らくE君にとっての「栄光の記憶」を作るのに2,3役は買った私を、そうそう無下にはしないはずだ――と踏んで、私は彼らのテーブルに突撃していた。
凄んで追い払ったりもせずに真面目に返事をくれているということは、その予想は概ね当たっていたのだろう。だがE君の口は想定外に重かった。彼らにとってカケルの話は「カケルの親戚」でもある私に、安易には聞かせられないらしい。
「そうなんだ?カケル、E君たちと仲良くしてたって聞いたんだけど。E君たちと喧嘩でもしちゃってた?」
「あー、いや……喧嘩ってわけじゃ……なんか急に(隣の県)に引っ越すって言い出して。俺ら止めたんだけどよ。なぁ、そうだよな?」
「あー、うん、そうそう。そうだったんだよ~」
ナンバー2らしき男子に合いの手を要求しながら話すE君の口ぶりは、明らかに何かを隠していた。そしてそのテーブルの誰もが――E君とナンバー2以外は誰も、押し黙ったままで私と目を合わせない。「やべぇ」「黙っとけ」という心の声が聞こえるような、男子集団特有の「都合の悪いことを連帯して隠す」空気。
――つまり、こいつらが原因か。
カケルが引っ越したのは分かった。だが、ただ引っ越しただけなら「止める」という単語は出てこないはずだし、私に隠す必要もない。彼らはカケルが引っ越した原因に、迂闊に言えないような理由で関わっているのは間違いなさそうだった。
となると、カケルは彼らと何かトラブルがあって「逃げた」可能性が高い。実際どっちに非があったかはともかく、この辺りのヤンキーが県境を跨いで逃げるとなると、ヤクザ絡みか。もしくはシンプルに金銭絡みだろうか?借金でも作って踏み倒したか、結婚したなら誰かの彼女でも盗ったとか。それとも単純にいじめ?でもその後に結婚した情報が入っているなら、そこまで険悪ではない可能性もある……?
両親が共に元ヤンで、E君たちがイメージするよりは彼らの世界観を知っていた私は、そんな推理を働かせつつも、無邪気に見えるように相槌を打った。「お前ら、カケルに何しやがった?」と問い詰めたいのを「世間知らずの優等生」の皮に隠して。
「そっかぁ。でもカケルも結婚したんなら、元気にやってそうで良かった!もしカケルと連絡取るシーンがその内あったら、私が連絡したがってたって伝えてくれる?E君たちしか頼れなくてさー」
「おう。連絡取れたら言っとくわ」
「ありがと、よろしく!ごめんね邪魔しちゃってー!」
とびきりの営業スマイルで話を終わらせ、「○○君、背凄い伸びたね!?元気してる~?」「待って、××君めちゃくちゃオッサンになっちゃってるじゃん!貫禄ありすぎー!」などと何人かに適当に声をかけつつ立ち上がると、ヤンキー集団のテーブルには再び時間が流れ出した。さっきまでの沈黙の反動のように、不自然なほど好意的にリアクションしてくれる彼らの顔には、「良かった、やり過ごせた」という安堵がハッキリと感じ取れた。
――こいつら。本当に、カケルに一体何をした?
中学時代のカケルは、優等生とは言わないまでにも、決してヤンキー寄りの交友関係はしていなかったはずだった。高校時代、そして高校中退後、カケルに何があったのだろう。
しかしE君たちが黙秘する以上、私には知る術がなかった。隣の県に引っ越したこと。そこで結婚し、子供が産まれたこと。その情報を得られただけでも良しとするしかない。
カケルが、元気でいますように。酷い目に遭ったりしていませんように。
そう願う以外に出来ることがない事実が、無性に悔しかった。
そしてそのまま、十年あまりが経った。
地元で結婚した私が息子を産んだ年の9月、facebookのアカウントに、E君とカケルから友達追加のリクエストが送られてきた。ほぼ同時に。
その1年ほど前、私がfacebookに登録したタイミングではカケルのアカウントは見つけられなかったから、つまりカケルは最近facebookを始め、それを知ったE君が私の「頼み」を思い出してカケルに繋いでくれたのだろう。
――E君達とカケルの関係は、問題なく元に戻ったのだろうか。
そんな心配がよぎりつつも、私はひとまずリクエストを承認し、二人へそれぞれメッセージを送った。
E君には、カケルからもリクエストが来た報告と、繋いでくれたことへのお礼を。
カケルには、「リクエストありがとー!元気?」から始まる、カケルの近況を尋ねる文章を。
E君からは「良かったじゃん(^^)最近よく遊んでるよ~」というさらりとしたメッセージが返ってきた。そして、カケルからは。
「久々~。今度飯でも食おう!(地元)にいるよ」
――地元に戻ってきているということは、隣県での生活が上手くいかなかったのだろうか。
そんな風に考えつつ、それでもカケルから食事に誘ってもらえたことに、私のテンションは一気に上がった。
社交辞令かもしれない。高校時代に反故になった約束を、気にしてしまっているのかもしれない。それでもカケルに会えるなら、何でも良かった。
何度かやり取りをしてカケルの携帯の連絡先を聞き出すと、カケルは最近撮ったという写真のデータを送ってくれた。
サングラスをしてレクサスの運転席でハンドルに手をかけている、めちゃくちゃにカッコつけた32歳のカケルの写真に、私は笑った。私の中のカケルはキューピー人形のような、私より小柄な少年のままで、そのスカしたサングラスを外せば、15歳のカケルの顔がそのまま出てくるようにしか思えなかった。
私が子供を産んだことを伝えると、カケルもまた自分の近況を――しばらく前から地元に戻ってきていること、その前に離婚したこと、隣県にいるカケルの子供は今度中学生になることを教えてくれた。
「じゃあ来月落ち着いたら連絡するよ!今月は海外行っちゃうからさ~」
そして、そのまま2か月がたった。
カケルからの連絡はなかったので、私は再びメールを送った。
「悪い、ちょっと仕事がバタついてるんだよね~。新規に店出す準備があるもんだからさ。来月には落ち着くと思う!」
更に、2か月後。
「車見せようと思ってたんだけど、今貸しちゃってるんだよね~。返ってきたらまた連絡する!」
――流石に、そろそろ迷惑かもしれない。
カケルのどこまでもカッコつけた言い訳の真偽はともかく、当面会えなさそうだ、というのは私にも分かった。
最初に連絡をくれた時に、会いたいと思ってくれたのは嘘ではない――と思いたい。が、多分10代の頃のように、今のカケルは何かが上手くいかなくなっているのだろう。
だとしたら、私が会いたいから、連絡が欲しいからとせっついて、毎回カッコつけた言い訳を考えさせるのは、カケルにとって負担かもしれない。
そう思って、私は自分からカケルに連絡するのを、やめた。
本当は、レクサスなんかどうでも良かった。
仕事をバリバリやっていて、海外にも気軽に行けるような景気のいいカケルでなくても、私にとっては全く何の問題もなかった。
ボサボサの無精ひげで、ヨレヨレのジャージを着て、安っぽいアパートに住んでいて、死んだ魚のような眼をしたカケルを、私のボロい軽で迎えに行って、ファミレスが嫌ならコンビニの肉まんでも私が奢って、部屋に私を入れたくないなら私の車で二人で食べる。そんな「食事」でも十分だった。
32歳のカケルに会って、私の中のカケルを成人男性にアップデートしたかった。カケルが今までどんな風に生きてきたか、どんな苦労をしてきたか、泣き言があるなら泣き言を聞いて、何なら私の泣き言も話して、カケルと一緒に泣きたかった。お金の苦労をしているなら、一緒に解決策を考えたかった。
でも、カケルはそれを望んでいない。
最高にキリっとした「カッコいいカケル」でなければ、カケルは私に会えないのだろう。それは少し寂しいけれど、カケルがそう思っているなら仕方ない。
カケルが私に会えると思ってくれる日を、待とう。
そう思って、こちらから連絡するのを諦めてから、半年たった頃。
facebookに、E君からメッセージが来ていた。
「カケルが亡くなりました。日曜日18時お通夜、月曜日11時半告別式です。」
頭を殴られたような気がした。
嘘だと思いたかった。
何の実感も沸かないまま、とりあえず母に話しているその最中に電話が鳴った。カケルのお母さんからだった。
「――自殺だって。車で、練炭で」
電話を切った母の声が、恐ろしく遠く聞こえた。
カケルの告別式は、大半が中学の同級生繋がりの、見知った顔ばかりだった。
よちよち歩きの息子を母に見てもらって、私は焼香に並んだ。
遺族席の一番前に、中学校の制服を着た女の子が見えた。あれがきっと、カケルの娘さんなのだろう。
カケルの遺影は、私には知らない青年のようにしか思えなかった。
よく見れば少年時代の面影が残っているようにも見えたけれど、この写真の青年がカケルとして動いて喋っている所を、私には想像ができなかった。
――分かんないよ、カケル。
どんな大人になったのか、見せても貰えなかったんだもの。これが本当にカケルかどうか、私には分かんないよ。
一般参列者席の前の方には、E君達のグループがずらりと座っていた。E君を始めとした何人かの名前で花輪も上がっている所を見ると、カケルが最も親しくしていたのは、やはり彼らであるようだった。
成人式の時点で、カケルとE君たちとの間に何かがあったことは間違いない。でも、例えば借りて逃げた金を返したとか、喧嘩別れになっていたのを仲直りできたとか、そういう関係の変化を経て、カケルはもう一度E君たちのコミュニティに受け入れられていたのだろう。
地元に戻ったカケルが必要としたのがE君たちだったのなら、彼らといてカケルが楽しい時間を過ごせたなら、それできっと、良かったのだ。
――私じゃなくて。
彼らの方がカケルにとって必要だった。ただそれだけだ。
「……え、自殺なの?」
「うん、っていうか殺されたかもしれないってE君たちが。警察にもう一回調べて貰えるように直談判するって――」
同級生の女子たちがひそひそ話す声が聞こえて、私は奥歯を噛みしめた。
母とカケルのお母さんの電話でも、そんな話があったとは聞いていた。
カケルは自殺なんかするような子じゃない、殺されたのだ。遺書もなかったのだから、自殺なわけがない。警察がちゃんと調べてくれれば犯人を見つけられるのに――と、カケルのお母さんがそんな風に思いたくなるのは、心情的には分からなくもなかった。
でも。
カケルは死んだ。
自分の車で、人気のない雑木林で、練炭を焚いて。8月の終わりに。
私は、13歳から15歳までの、3年分のカケルしか知らない。
でも、私には分かった。
カケルは自分の意思でこの世界に、自分の人生に見切りをつけた。これ以上生きているのが嫌になって、死を選んだ。
カケルはしっかりと準備をして、未遂騒ぎを起こすこともなく、たった一度でやり遂げた。完璧に、やり遂げてしまったのだ。
遺書を残さなかったのは、言い残したいことがなかったからだ。身近で大切な人たちに、わざわざ遺書を読ませて何度も泣かせたくなかったからだ。覚えていて欲しい言葉もなかったからだ。
カケルはこの世界から――消えたかったのだ。
そのカケルの選択を、カケルの痛みを、カケルの「死にたい」と願ったその気持ちを、「なかったこと」にはして欲しくなかった。
大人になっていたカケルの苦悩を、カケルのお母さんが知らなかったことは、ある程度仕方がないかもしれない。
――でも。私よりずっとずっとカケルの近くにいたはずの、カケルが必要としていたはずのE君たちが、正義ぶって「カケルは殺された」などというストーリーを作り出して信じていることが、私には許せなかった。
カケルにずっと会えなかった私でも分かるようなことが、何故、彼らには分からないのか。そういう痛みや苦しみがカケルにあったことを、何故、受け入れてすらやらないのか。
カケルの痛みに気付けなかった、カケルを救えなかった、カケルに頼っても貰えなかった、カッコ良くて明るくて元気「でない」カケルを見せてもらえるほど信頼を得られなかった、無力で遠すぎた自分たちを、どうして皆、認めないのか。
自殺なんてして欲しくなかった。だから自殺なんてするわけない、つまり、カケルは殺された。そんな風にカケルを勝手に決めつけて、安直に現実を否定して、近くにいたお前らが全員そんな風だから、ずっとそんな風に無神経にカケルの痛みを「無いもの」にし続けたから、だからカケルは何もかも諦めて死ぬしかなくなったんじゃないのか!
――駄目だ。
これは、私の、八つ当たりだ。
目を閉じて、ゆっくりと息を吐いて、それから目を開けて、カケルの遺影を見上げた。涙で歪んだ視界の中で、知っているような知らないような青年の顔をして、カケルは笑っていた。
結局、同じだ。
私も、カケルのお母さんも、E君たちも。
みんな八つ当たりをしたいだけで、その矛先が何処に向いているかの違いしかない。
ただ、私は「死にたい」と思う気持ちが分かるから。だからカケルが自分で死を選んだことを理解できて、「カケルは殺された」なんて話を信じる気にはなれないだけで。
――私も。
私だって、死にたかった。
でも私は子供を産んでしまっていて、だから今死ぬわけにはいかなくて、こうやって死ねないでいる内に、カケルに先を越されてしまった。
やっぱり、カケルと私は似ている。絶対。
ぼたぼたと、真新しい喪服に涙が落ちていく。
元々持っていた喪服がどう足掻いても着られなくなっていて、昨日しまむらで買った黒いワンピース。産後太りですっかりおばさん体型になった私を、もうずっと眠るか食べるか息子を抱っこするかしか出来ていない、不細工な私を、カケルは見ることもないままで、行ってしまった。
――でも、そう。分かる。
ちゃんと考えれば、分かる。
私だって、本当に死にたいと思う時、カケルのことも友達の事も元カレの事も、それ以外の誰も、家族の事ですら、ロクに思い出したりしない。
「息子がいるから今は死ねない」と呪いのように縛られて、具体的な行動に移せないだけだ。
だからきっと、カケルも「そう」だったのだろう。カケルには、カケルを縛るものがなかった。きっと、ただそれだけの違いだ。
「そう」なってしまったら、誰の言葉も、想いも、以前は「自殺なんて」と思っていた自分自身でさえも、届かない。
私はそれを知っている。多分、今この場にいる誰よりも。
E君達への怒りがほどけて消えたあとには、喉からお腹までごっそり穴が開いたような空洞が広がっていた。
やがて告別式が終わり、ざわざわと人が動き出す。「カケルとの最後のお別れをするので、良かったら残って下さいー」とE君たちが呼び掛け始め、同級生たちが棺の方へと集まっていくのに背を向けて、私は母と息子を連れて葬儀場を後にした。
棺に収まって花に飾られたカケルを見ても、私にそれが本当にカケルだと分かるはずがなかった。どうせ分からないのなら、カケルが私に見せてくれた「カケルが見せたかったカケルの姿」だけを、私は記憶しておこうと思った。
15歳までのカケルと、カケルが送ってくれた写真――サングラスをかけてレクサスに乗った、「最高にカッコいいカケル」だけを覚えておくこと。
もしカケルが私に望むことがあるとすれば、きっと、それのはずだった。
それから一年近くがたって、カケルのお母さんからお墓の場所を教えてもらった母と私は、カケルのお墓参りをした。
出来たばかりらしい綺麗な墓石の写真を添えて、facebookのメッセージでお墓の場所を知らせてくれたカケルのお母さんは、私に友達リクエストも送ってきていた。私はそれには気付かない振りをして、教えてもらった事へのお礼のメッセージだけを返した。
「涙は乾くことはありませんが、少しずつ前を向いて行こうと思います」
そうメッセージに書いてきていたカケルのお母さんの最新の投稿が「観光地で撮った笑顔の写真」であること、若々しく美人なプロフィール写真がこの一年以内にも何度も更新され続けていることを、私はどうしても許容できなかった。
カケルがもういない以上、カケルのお母さんと関わる理由は私にはなかったし、カケルのお母さんが私と関わりを持ちたいのは、叔父との繋がりを期待しているからだろう。あまりに外野過ぎる私には何を発言する権利もないけれど、下手に関わっても攻撃的な感情が増幅するだけのような気がした。
「お辛さは想像することしか出来ませんが、どうかご自愛ください」
精一杯綺麗な言葉で嫌味な感情を覆い隠して、私はカケルのお母さんの「是非自宅にも寄って焼香を」という申し出を断り、やり取りを打ち切った。
カケルのお墓は、広々と綺麗に整備された霊園にあった。公園に遊びに来たと勘違いしていそうな2歳の息子の手を引いて探し当てたカケルのお墓は、写真通りに真新しく、少ししおれかけた花が沢山飾られていた。
『愛と光』。
ツートンカラーの洋風な墓石にはそんな文字と、ゴージャスな鳥の意匠が刻まれていた。写真を見た時には何とも思わなかったのに、その墓石に彫られた文字を実際目にしていると、ざわざわと不快な棘が突き刺さっていくような気がした。
――何が『愛と光』だ。ふざけんな。
八つ当たりめいた怒りが湧き上がってくるのを誤魔化すように、特にしおれた花を数本花立から引き抜き、自分が持ってきた花を強引に隙間に押し込んだ。線香に火をつけて供え、息子にも手を合わせるように促して、少しだけ目を閉じる。
カケルがここにいるなんて、微塵も感じられなかった。
むしろ、カケルがこんな所にいるわけがないと、そう強く強く思った。
――墓石に『愛』と刻むほど、カケルを愛していたというなら。
何故、「俺がいなければ家族水入らずになる」なんて15歳のカケルに思わせた。
カケルのお母さんを責めても意味はない。そんな権利は私にはない。カケルの家族の誰にせよ、そんなつもりはなかった可能性が高いし、カケルは反抗期から反発していただけかもしれないし、そもそもを言えばカケル達母子を捨てて離婚した叔父の責任だ。カケルの自殺の原因がそれと関係があるとも限らない。
そんなことは分かっていて、それでもどうしても、そう思わずにはいられなかった。
他の友達と比較すれば大して親しくなかったはずの私と、ほとんど初対面の私の母を相手に「俺がいなければ」と零さずにいられなかった、15歳のカケルに、あの日の私は気の利いたことを何も言えなかった。
でも、もし。もしも一緒に泣いてやることがあの日出来ていたら、何かが違っていただろうか。あるいはその後もう少しでも仲良くなれていたら。高校以降にもカケルと連絡を取り続けていられたら、そうでなくても大人になってから――
違う。これはただの、私の願望だ。
カケルはきっと、それは、望んでいなかった。
目を開けて、お墓の段を一人で降りてどこかに行こうとしていた息子を捕まえる。忘れ物がないかどうか母と確認し合い、『愛と光』と刻まれた墓石をもう一度だけ見て、背を向けた。
――カケル。元気でやりなね。
死んだ人間に元気も何もあるものか、と心の底で思いながら、でも私がカケルに言いたいことは、結局それしかなかった。
ここにカケルがいようがいまいが、私はもう、ここには二度と来ないだろうと思った。
つまるところ、私がカケルに「振られた」ことだけは間違いなかった。
「振られた」女の意地として出来ることはせいぜい、カケルと違う生き方を――ひたすらに、何があっても「死なない」という生き方を貫くぐらいしか、ない。
息子を遊ばせながら車に戻る途中、見上げた夕暮れの空には一本の飛行機雲が伸びていた。
私と一緒にカケルに「振られた」この世界の空は、どこまでも透明で美しかった。
その美しさを辛うじてまだ見つけられることを、息子の手の温かさや柔らかさを感じられることを、夕暮れの風の涼しさを心地良いと思えることを、どうにか命綱にして、私は生き続けなければならない。そう思った。
レクサスに乗ってサングラスをかけた、「最高にカッコいいカケル」は今も、私のUSBメモリの中で、口元に不敵な笑みを浮かべている。
ずっと、32歳のままで。
私を、少し斜めに見下ろして。