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ものを書くこと(ライター&創作)

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ライターであり、創作活動(アマ)をしているわたしの「ものを書くこと」関連のnote。
運営しているクリエイター

#雑記

ライター3年生になりました

ライター3年生になりました

3という数字に、昔から心が反応する。

たとえば、3は区切りのときだ。赤ちゃんは生後3ヶ月過ぎに生後100日を迎える。3歳になれば幼稚園に入れるようになるし、小学校は3年生が前半の折り返し地点だ。中高は3年で卒業する。そして、1年の締めくくりはずっと3月だった。年末より年度末の方が区切りの意味合いが強かったから。

女友達で「3人」は難しいとよく聞いた。今も仲が良い小学校時代からの友人とは3人でよ

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外側の外側にいる人たち

外側の外側にいる人たち

朝から夕方まで、カフェでカタカタ書き続けていた。ビジネス街にある店だということもあり、自宅近くのカフェとは異なり仕事中の人が多い。窓際のカウンター席にはコンセントがあるため、パソコン作業をする客が大半だった。

両隣の客が何度か変わる。あるときは海外の人と仕事の打ち合わせをするビジネスマンが、あるときはどうやら最終面接を目前にしている就活生が。(でかでかと「最終面接」と書かれている用紙が見えてしま

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今はまだ旅路の途中

今はまだ旅路の途中

先月末まで募集されていた「旅する日本語」。わたしはちまちまと小説を書きました。小説というか、一片のシーンというか。

完走はできていないのだけれど、後日、企画とは別に書いてマガジンに入れ込んでおこうかなと思っています。(「幸先」が書けていない)

テーマとしてあげられていた、「旅」。読んでくれた人によっては、「どこが旅?」と感じたのではないかなと思います。

わたしのなかでは、全編通じて「生きるこ

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山に行くのか、山を見るのか。

山に行くのか、山を見るのか。

書いたり話したりするとき、ベクトルの向く先が「だれか」のひとと、「わたし」のひとがいると思っている。これは完璧に分かれるわけではもちろんなく、あくまでも、どちら寄りか、という話だ。

わたしは後者。自分を掘り起こして、かさぶたを引っぺがして、悶々と考え続けて、そうして書いている。

たぶん、ひとによっては「自分語り」にしか思えないだろう。確かにその一面はあるし、そもそもわたしにとって、「考える」「

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潰しがきかない選択

潰しがきかない選択

昔から、何かと考えることが好きだった。レベルとしては、書くことと同じくらい。「考える」と「書く」はわたしのなかでワンセットだから、「書くことが好き」に「考えることも好き」が含まれるのだけれど。

高校時代、「そろそろ進路を考えなければいけません」、となったとき、わたしは希死念慮真っ最中だった。そのため、「進路」を考えられる余裕はなかったのだけれど、親に希死念慮志望をスルーされたため、無理やり「それ

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終わりを決める

終わりを決める

一度形作ったものに、手を加えていく。足して、引いて、足して、削って。

終わりは見えない。そもそもゴールテープはないのだ。

「ここまで」を決めて、手放す。そうして、「完成」を自分で決める。



大学でデザインを学んでいた妹は、「デザインを仕事にはできない」と言った。

「ほら、うちは凝り性やん? でも、仕事やと自分が納得いくまでやり続けることはできひんからさ。妥協しやなあかんくなるのは、向い

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文章の色

文章の色

見事に寝落ちた。このところ、本当に体力がもたない。肉体的な疲れが原因なのか、精神的な疲れが原因なのかはわからないけれど、とにかく「1日元気いっぱい」な日がない。

スマホには、途中まで書いていたnoteが残されていた。ほぼ書き終えていたのだけれど、読み返してみてそっと下書きに保存する。今はこの文章のときの気分じゃない。

睡眠不足はメンタルを左右するというけれど、まあ確かに夜よりも朝の方が元気だ。

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思考を言葉にする怖さ

思考を言葉にする怖さ

考えや意見を書くことって、怖くないですか?

そう、ある人に訊かれた。わたしのnoteを知っている人だ。

「そこまで多くの人に読まれているわけではないし、ズレた批判をもらったこともまだないから、書けるのかなあ」

そのときはそう答えたけれど、「怖くないですか?」の言葉は、その後もわたしに残り続けている。

怖くない、わけではない。けれども、こうして今日も書き続けている。なぜなのだろう。

高尚な

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読むこと、書くこと。

読むこと、書くこと。

ほぼ毎日、noteを書いている。不定期に書いているマガジン「I say Love!」は、有料の記事の場合1記事に数えていない。基本的には、無料で読めるものを1記事書くようにしている。

とはいえ、ゼロか100かになりやすいわたしのこと。これは、あくまでも「ほぼ」だ。ほぼ、にしておかないと、「今日書けなかった……もうやーらない」になってしまいがちな極端さがあることをわかっている。だから、「ほぼ」とい

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感動と甲子園と24時間テレビ

感動と甲子園と24時間テレビ

甲子園が終わったらしい。「らしい」というのは、実際には見られていないからだ。テレビをほとんど見ていないため、主にラジオで情報を得ていた。

得ようとしていたというよりも、ふだん聴いているラジオで話題になっていたから、が正しい。

野球好きらしいパーソナリティがもうひとりのパーソナリティ(無知)に説明しているのを聴いたのだけれど、熱量が伝わりつつわかりやすい説明だったなあ。ああいう、「好き」を伝えな

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鋭い言葉、包まれた言葉

鋭い言葉、包まれた言葉

「言葉を選んでらっしゃるなと思います」

先日お会いしたライターの方に言われた言葉だ。選び方の良し悪しは別として、確かにわたしは言葉を使うとき、浮かんだそのままの姿で外に出さないタイプだなあと思った。

物言いがキツいタイプだと自覚している。気も強い。我も強い。そして、直接話したことがある人ならばご存知の通り、早口だ。(これはもう、生来のものでどうしても直せない)

だから、というのもあるのだろう

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その言葉、心が置き去りにされてない?

その言葉、心が置き去りにされてない?

何かを発言したり書いたりするとき、ふと「何だかこれ、キレイゴトじゃない?」と感じることがある。別に、キレイなことを発信しようと考えているわけではないのだけれど。

一旦そう思ってしまうと、途端に自分の言葉が薄っぺらなものに思えてくる。それはたとえば、先生に褒められることをわかって書いた小学生の作文や感想文のようだ。子どもは聡いから、天使を演じられる。そうして、わたしは無意識に天使を演じられる子ども

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名乗る覚悟

名乗る覚悟

ライターには免許がない。わたしが片足を突っ込んだとき見た記事には、「書いて名乗ればライター」という言葉があふれていて、「え、そんな」と思ったものだった。

雇用されないフリーライターなら、確かに名乗ってしまえばフリーライターなのだろう。けれども、わたしは自分のことを「ライターです」とはなかなか言えなかった。



少年ジャンプに、「アクタージュ」というマンガが連載されている。女優への道をひた進む

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平凡な幸せは表現者を殺すのか

平凡な幸せは表現者を殺すのか

※このnoteは朝ドラ「半分、青い」のネタバレを含みます

「鈴女ちゃんは、愛しい。カンちゃんはかわいくてたまらない」

映画監督になるために「別れてほしい」ヒロイン鈴女に告げて家を出ていった夫・涼ちゃんは、迎えにきた叔母に声を絞り出すように言った。

「だから、ダメなんだ。映画監督なんて、何万人のうちのひとりしかなれないようなものを目指すのに、幸せな場所にいたらダメなんだ。……いや、僕はダメなん

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