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ライター3年生になりました

3という数字に、昔から心が反応する。

たとえば、3は区切りのときだ。赤ちゃんは生後3ヶ月過ぎに生後100日を迎える。3歳になれば幼稚園に入れるようになるし、小学校は3年生が前半の折り返し地点だ。中高は3年で卒業する。そして、1年の締めくくりはずっと3月だった。年末より年度末の方が区切りの意味合いが強かったから。

女友達で「3人」は難しいとよく聞いた。今も仲が良い小学校時代からの友人とは3人でよく遊ぶけれど、確かに小中学生の頃、3人グループの女の子で揉めている話を聞いたことが何度もある。

そして、3年。「石の上にも三年」と呼ばれ、何でもまず3年間はやってみなさいと言われる。特に仕事だろうか。今でこそ、3年を待たずして転職する人も増えているのだろうけれど。

ふと思い返してみると、わたしはこれまで3年以上同じ仕事をしたことがない。堪え性がないというわけではなく、単に大学を中退したために学生バイトを辞めたり、結婚して上京することになったからフルタイムバイトを辞めたり、妊娠したりしたからだ。そう思うと、人の「3年」は案外長い時間なのだなあと思う。自分の生活が、たった3年で次々と変わってきたのだから。


11月末で、今の仕事を始めて丸2年が経った。開業届を出したのはもう少し先なのだけれど、文章を書いてお金をいただくようになってから、3年目に突入したことになる。

この1年でわたし自身がどこまで成長できているのかは、正直よくわからない。ちょっとでもより良くなっていられたらいいけれど、目に見えて計れるものでもないなあと思う。

ただ、仕事面では単価が上がったり、おもしろいことをやらせてもらえたりした1年だった。新しい出会いがあり、出会った人から仕事を依頼してもらえたり紹介されたりすることが増えた。ありがたいことだなと思う。

3年目。幼稚園や中高では最終学年だ。仕事をすればするほど未熟さを感じてばかりだけれど、どうにか昨日よりましな今日のわたしになれますように。


必死に食らいつかないと吹き飛ばされそうな速さの時間のなかで、変わっていってしまうものや人に心が揺らぐ日は終わらない。

だけど、きっとそんなわたしだって何かは変化しているのだろうし、何も変わらないのは死んでいるのとおんなじだ。

子どもの成長が眩しくも寂しく思える気持ちと同じように、移ろいゆく時に切なさを感じてしまうのは仕方がないことなのだろう。

せめて、今、手にあるものを大切にしたい。仕事も、家族も、友人も。


昨年はこのようなものを書き残していた。言葉にしておくと、振り返られるのがいい。読み返すと粗ばかり見つけてしまってつらいけれど。(苦笑)

来年のわたしは、このnoteを読んで何を思うだろう。

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卯岡若菜
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