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潰しがきかない選択

昔から、何かと考えることが好きだった。レベルとしては、書くことと同じくらい。「考える」と「書く」はわたしのなかでワンセットだから、「書くことが好き」に「考えることも好き」が含まれるのだけれど。

高校時代、「そろそろ進路を考えなければいけません」、となったとき、わたしは希死念慮真っ最中だった。そのため、「進路」を考えられる余裕はなかったのだけれど、親に希死念慮志望をスルーされたため、無理やり「それ以外」の進路を考えた。

わたしの当時の様子から、「そういうのって、哲学科……?」と言われたことがある。倫理、大好きだったし。

「でも、哲学科なんか本当に“食えない”よ」と言われた。いわゆる「潰しがきかない」ってやつだ。

ただ、どのみちわたしが興味関心を抱いているものは、どれもこれも潰しなんてきかなかった。結局、わたしは某心理系大学の心理系学部に進学した。心理学は需要があると思われるかもしれないけれど、心理学系も“食えない”。今はどうだかわからないけれど、「院まで行っても非常勤」が当時の現実だった。

結局、大学が直接的な原因ではない理由で、わたしは中退する。その間も、一銭にもならない思考を働かせ、一銭にもならない文章を書きまくっていた。

当時書いていたブログには、今のnoteのような文章が書かれているのだけれど、1000記事以上あったのではないかな。

「考える」ことが仕事につながるなんて思ってはいなかった。仕事に関することを考えることは必要だけれど、わたしのようなエセ哲学みたいな思考は、役に立たないだろうなあと思っていた。

だけど、こうしてつらつら考えていることを知った人から、今は仕事をいただくことがある。今お世話になっている編集さんのひとりは、面談時に思考の粒を吐き出していた様子を見て、「一緒に仕事をしたい」と思っていただけたらしい。

「余計なことは考えずに、とにかく仕事をしてくれ」が当たり前だったわたしにとって、これはとてつもなく嬉しい言葉だった。(そんな状態だったのは、フルタイムバイト止まりだったからかもしれない)

ぐるぐる回し続けてきた思考回路は、どうやら無駄ではなかったらしい。……なんて素敵なことなのだろう。

無思考の歯車でいろと言われない環境は、とても恵まれていることだと思う。「むしろ、どんどんどうぞ」と言われる日がくるとは思わなかった。

考えなきゃ、と思ったことはない。クセというか、ライフワークというか、性分というか、そんなものだ。小1で「自然を守るには」なんてことを「あのね帳」にひとり連載していたような子どもだったから、生まれ持った個性だとしか言えない。

一見無駄なんじゃ?と思うことでも、巡り巡って意味を持つことってあるんだなあと思えたからこそ、「無駄なことなんてないよ」と心から思う。本当の意味で「潰しがきかない」ことなんて、ないんじゃないかと思う。どんなものでも、最後は自分次第なのでは、と。

考えまくって、書きまくることが、とても楽しい。苦しいときはあるけれど、嫌になることはない。

そんなことをつらつら考えながら、またこうしてnoteを書いているのです。


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卯岡若菜
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