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鋭い言葉、包まれた言葉

「言葉を選んでらっしゃるなと思います」

先日お会いしたライターの方に言われた言葉だ。選び方の良し悪しは別として、確かにわたしは言葉を使うとき、浮かんだそのままの姿で外に出さないタイプだなあと思った。


物言いがキツいタイプだと自覚している。気も強い。我も強い。そして、直接話したことがある人ならばご存知の通り、早口だ。(これはもう、生来のものでどうしても直せない)

だから、というのもあるのだろうか。自分で意識していたわけではないからわからないけれど、わたしは時に言葉の角を削る。そしてまたある時には、不織布で包む。

主張したいときに。もしくは、「正しさ」だと捉えられる物事を発するときに。

できることならば、他人から悪意を向けられたくないという気持ちもある。嫌われたくないとは少し違うのだけれど、まあ似て非なるものだと思われるだろう。しかし、悪感情を持たれたくないよりも、もっと強く抱いているのは、相手に傷を負わせる可能性を減らしたいという想いだ。

価値観や感じ方は人それぞれだから、「誰も傷つけない言葉」なんてものはないし、そんなことをいうつもりもない。だからこそ、言葉が誰かを傷つける可能性があることを、肝に銘じておきたいと思っている。

読んだ人を傷つけるような表現かもしれないと自覚しているのなら、その言葉をそのまま出さないようにしたい。言いたいこと、伝えたいことを表すために必要な言葉は、本当にそれでなければならないのか、自問したい。

まろやかにしてしまうと伝わらないものもあるのだと思う。昔あった「保育園落ちた日本死ね」みたいに、感情をそのままのせた言葉には強いエネルギーが含まれていて、だからこそ多くの人に届くのだろうとも思っている。そして、強い言葉を放てるのも、それはひとつの才だろうとも思う。

……だけど。

わたしには、どうしても強い感情(この場合の強さはマイナス感情だ)をのせたままの言葉は、書けない。

まずは最低限、わたしの頭で考えて、想像して、傷つく人が少ない言葉を書きたい。それでいて、必要な人に届く文章を書きたいと思っている。……難しいのだけれど。

わたし自身が豆腐メンタルだからなのかもしれないけれども。いや、でも読む側でいるときには切れ味が鋭いものも好んで読むことはあるのだけれどね。

ただ、たいがい好ましい言葉は、切れ味が鋭いだけではなく、スマートだ。これは、また特殊なセンスや技術がなければ書けない言葉だと思う。あいにく、わたしにはそのセンスも技術もない。やろうとしても、ナマクラ刀で被害者を無駄に増やすだけだ。……しないに越したことはないだろう。


多少エネルギーに欠けると思われたとしても、わたしは角を削りたい。言葉は時に刃になるものなのだと、自覚していたい。それに、たぶんわたしが本当に伝わったらうれしいなあと思うことは、強いエネルギーのままの方が伝わりにくいもののようにも思える。

時には日本刀のような言葉に惹かれることもあるけれど、わたしはきっとこれからも、一枚の薄布で包む言葉を選ぶのだろうなあ。


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卯岡若菜
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