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その言葉、心が置き去りにされてない?

何かを発言したり書いたりするとき、ふと「何だかこれ、キレイゴトじゃない?」と感じることがある。別に、キレイなことを発信しようと考えているわけではないのだけれど。

一旦そう思ってしまうと、途端に自分の言葉が薄っぺらなものに思えてくる。それはたとえば、先生に褒められることをわかって書いた小学生の作文や感想文のようだ。子どもは聡いから、天使を演じられる。そうして、わたしは無意識に天使を演じられる子どもだった。


ただ、この「演じる」は、すべてが計算尽くではない。そこには多少なりとも本音が混じっていて、だから完全なる嘘ではなかった。そして、それは今でも変わらない。「キレイゴト」だと感じるとき、その言葉は決して思いもしないところから持ってきたものではない。確かにわたしの内側から出てきたもので、わたしの本心であることに間違いはないのだ。

違和感を抱くとき、おそらくその言葉はわたしの頭のみから出てきたものなのだろう。「キレイゴト」に感じるのは、心が置き去りにされているように思えるからなのかもしれない。

「その言葉、頭だけで書いてない?」

書いた言葉にもやっとしたものを感じたら、そう自らに問いかけてみよう。そんなことを思いながら、このnoteを書いている。


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卯岡若菜
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