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ものを書くこと(ライター&創作)

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ライターであり、創作活動(アマ)をしているわたしの「ものを書くこと」関連のnote。
運営しているクリエイター

#考えていること

山に行くのか、山を見るのか。

山に行くのか、山を見るのか。

書いたり話したりするとき、ベクトルの向く先が「だれか」のひとと、「わたし」のひとがいると思っている。これは完璧に分かれるわけではもちろんなく、あくまでも、どちら寄りか、という話だ。

わたしは後者。自分を掘り起こして、かさぶたを引っぺがして、悶々と考え続けて、そうして書いている。

たぶん、ひとによっては「自分語り」にしか思えないだろう。確かにその一面はあるし、そもそもわたしにとって、「考える」「

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潰しがきかない選択

潰しがきかない選択

昔から、何かと考えることが好きだった。レベルとしては、書くことと同じくらい。「考える」と「書く」はわたしのなかでワンセットだから、「書くことが好き」に「考えることも好き」が含まれるのだけれど。

高校時代、「そろそろ進路を考えなければいけません」、となったとき、わたしは希死念慮真っ最中だった。そのため、「進路」を考えられる余裕はなかったのだけれど、親に希死念慮志望をスルーされたため、無理やり「それ

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感動と甲子園と24時間テレビ

感動と甲子園と24時間テレビ

甲子園が終わったらしい。「らしい」というのは、実際には見られていないからだ。テレビをほとんど見ていないため、主にラジオで情報を得ていた。

得ようとしていたというよりも、ふだん聴いているラジオで話題になっていたから、が正しい。

野球好きらしいパーソナリティがもうひとりのパーソナリティ(無知)に説明しているのを聴いたのだけれど、熱量が伝わりつつわかりやすい説明だったなあ。ああいう、「好き」を伝えな

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そして初心に戻る

そして初心に戻る

「やりたいことが見つからない」「好きなことがわからない」と言う人がいる。

「行きたい方向性がわからない」と言う人も多い。

欲求は目に見えない。だから、第三者が「こうなんじゃないの?」と指摘することはできない。その人が言葉を発していれば、そこから推し量ることができる程度で。

わたしは、書くことが好きだ。どちらかというならば、得意なことでもある。そんな思いで今の仕事に飛び込んだけれど、「そこから

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書いたあと、その先へ

書いたあと、その先へ

何かを書くとき、わたしは「誰か」を想っている。小説であっても、児童文学であっても、仕事の記事であっても。

そして、「誰か」に寄り添いたいと願っている。正確には理解できないかもしれないけれど、せめて想像だけはしてみたい。その上で、伝えられる言葉を書きたいと思っている。

だからだと思うのだけれど、読み手を書き手の思い通りに動かすことを求められるものを書くのは、苦手だ。書けないという意味での苦手では

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深く潜り、浮上し、また前進する

深く潜り、浮上し、また前進する

久しぶりに小説を書いた。書き上げたことに満足しつつ、果たしてどこかへ届くんだろうかという想いも抱きながら、昨日noteにあげた。

効率性やスピードがとかく重視される世の中において、小説を読むことや書くことは、きっと真逆に位置している。

ノウハウやマニュアル、ハウツー本(やnote)が光を浴びがちなのは、最短距離で目的地や理想郷に辿り着きたいと考えている人が多いからだろう。その一方で、創作は瞬間

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思考の言語化と念能力

思考の言語化と念能力

昨日、熟成させた方が書けるものもある、というnoteを書いた。

今日は、その続きのような内容だ。

***

ふだん、考えていることはありますか?

こう問いかけられて、「まったくない」と答える人はいないのではないかと思う。人は何かしら考えながら生きている生き物なのだし、家事にしろ仕事にしろ、何も考えないだなんてことは無理だろうから。

ただ、「考え続けていることはありますか」と問われると、

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ペルソナ「アラサー」のイメージ

ペルソナ「アラサー」のイメージ

記事を書くときに大切なことのひとつが、ペルソナ設定だ。わたしは記事LPの仕事をすることがあるのだけれど、その際には、必ずクライアントから「何歳くらいの女性で、こういう人」という指示を受け、その層に向けて書く。細かいときには、収入や家族構成まで指定されている。

指示がない仕事でも、その記事が掲載される媒体には、ある程度の年代や性別が想定されているものだ。書くときには、同じ意味の言葉の中から、ペルソ

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主語のサイズとベクトル

主語のサイズとベクトル

遊具のない公園で鬼ごっこをしている息子たちを眺めながら、子どもの主語は、いつだって自分自身だなあと思う。

主語が広がっていくのは、一体いつからなんだろう。

幼稚園児でも、「男の子は」とか「年長さんは」といったくくりの中にいる気はするけれど、それが自分の中から出てくるには、まだ少し早い気がしている。出てきて性別かなあ。自分の意思決定が、「男の子だから〜」と性別由来になっていることは、長男も次男も

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「個人的な文章」の感じ方

「個人的な文章」の感じ方

「自分語りはいらない」という意見を見聞きしたことがある。「無名の人間が個人的なことを書いた文章は読む気にならない」という言葉も見たことがある。個人的には、そうした意見はわからなくはない。「え、うん。そうなんだ」としか感想が浮かばない文章は、確かにたくさん存在している。

けれども、わたしは「個人的な文章」が割と好きだ。別に読み手のウケを狙ったものではなくても、「いいな」と感じるものはある。作家個人

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やらざるを得ない状況に飛び込め

やらざるを得ない状況に飛び込め

一体どうしたのかと問いたくなるほど、今月は外に出る予定が詰まっている。やるべきことと過ぎゆく時間に、必死に食らいついている感じ。今日も一件外に出る仕事が入っている。ありがたい限りだ。

周りのママ仲間や家族、取材先でお会いした人にとっては、珍しい仕事だと思われることも多い。昨日も、「へえ、そんなお商売をしてらっしゃるの」と言われたし、「えー、すごいね。才能だね」と言われることもある。

「才能」と

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うさ脳オンナの「書く」もの

うさ脳オンナの「書く」もの

ふわっとした雰囲気の文章が好きだ。“癒しオーラ”が滲み出る、昼下がりの陽だまりのような、北欧ナチュラルインテリアのカフェのような、そんな文章。

ないものねだりとはよくいったもので、わたしには書けないからこそ、憧れるのだろうなあと思う。

わたしの文章を読んでくれている人が、果たしてどのように感じているのかはわからないけれど、わたし自身では、わたしの文章は何とも堅苦しいなあと思っている。

性別で

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自信のカケラ

自信のカケラ

子どもの自己肯定感は、親をはじめ周囲の人たちによって育まれる。

いくらがんばっていたとしても、いくら結果が出ていたとしても、誰にも褒められたり認められたりしないままでは、がんばったり結果を出したりした自分を認められる力は得られないのではないかなと思う。

自己肯定感は、そもそも「できた自分もできない自分もまるまるOKと認められること」だ。だから、殊更結果を褒めるのは逆効果だと聞いたこともある。「

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想いの丈を綴る、ということ。

想いの丈を綴る、ということ。

 今日の空は青くてキレイで、ぽっかり浮いている雲が何だかいい感じだよ、とか。

 読み終えた本が心に響きすぎて、切なくてパンクしそう、とか。

 朝ごはんに食べたトーストが、とてもおいしかった、とか。

 心が揺さぶられる歌に出会ったよ、とか。

 今夜の月はとてもきれいだよ、とか。

 映画を観終えて、余韻に浸ってぼんやりしている、とか。

 理由はないけれど、さみしくてしかたがないんだ、とか。

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