そして初心に戻る
「やりたいことが見つからない」「好きなことがわからない」と言う人がいる。
「行きたい方向性がわからない」と言う人も多い。
欲求は目に見えない。だから、第三者が「こうなんじゃないの?」と指摘することはできない。その人が言葉を発していれば、そこから推し量ることができる程度で。
わたしは、書くことが好きだ。どちらかというならば、得意なことでもある。そんな思いで今の仕事に飛び込んだけれど、「そこから先」ははじめから見えていたわけではない。
何か特筆できるほどのキャリアがあるわけでもない。資格もない。就業経験もない。トリプル「ない」だ。
何かのオタクでもない。好きなものは数あれど、どれもオタクだといえるほどの深さを持ってはいないと思っている。オタクな人には太刀打ちできないものばかり。中途半端な自分がダメなように思えたことも多い。
そんな状態ではあったけれど、ひたすら動き続けた。気になるものがあれば飛び込んで、縁をひとつひとつ結んできた。
「何がやりたい」「何が好きか」よりも、「これは惹かれない」を大事にして、「あ、興味あるかも」と思ったものに片端から手をつけてきた。
「動く前に考える」タイプだと思っているのだけれど、ここにおいては、わたしは「考えるよりも動く」であったのだなと思う。動きながら考える、かな。もちろん、動く前に考えることもあったけれど、「やりたい」「好きかも」「興味があるな」といった欲求を中心に、動き方を決めてきた。衝動のまま、というか。
そして、今のわたしの立っている場所を見つめてみて、気づく。「あれ、この場所、昔立ちたかった場所に似ている」。
そのときのわたしが描いていた場所は、ライターとしての場所ではない。ライターを夢見ていたわけでもなければ、そもそもこんな仕事があることすら知らなかったわけだから、昔のわたしがイメージできたわけもないのだけれど。
でも、結果として、「こんなことやりたいな」と昔の自分が思っていた場所と近いところに、最近のわたしはたどり着こうとしている。
ぐるぐる考えながら動いて、それで見つけた場所が、初心だった。
書くことを仕事にしたのだって同じだ。「書くこと」から離れられず、書くことに舞い戻ってきたんだな、とわたしは感じていたから。(創作やブログを書いていたから、別に書くことから離れていたわけではなかったけれど)
人は変わる。興味関心が大幅に移り変わる人もいるだろう。
それでも、わたしは初心に返ってきた。はじまりの場所に戻ってきた。はじまりのときに行きたかった場所に、形を変えてやってきた。
まだまだ始まったばかりだけれど、感慨深いものがある。人生って、奥深いものだなあ。
螺旋階段をのぼり続ける。何も変わっていないように見えて、それでも少しずつ、わたしが立っている場所が確かに変化していけるように。