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思考の言語化と念能力

昨日、熟成させた方が書けるものもある、というnoteを書いた。

今日は、その続きのような内容だ。

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ふだん、考えていることはありますか?

こう問いかけられて、「まったくない」と答える人はいないのではないかと思う。人は何かしら考えながら生きている生き物なのだし、家事にしろ仕事にしろ、何も考えないだなんてことは無理だろうから。

ただ、「考え続けていることはありますか」と問われると、すぐさまYESと答えられない人は多いのではないかと思う。変化の速い現代で、「ひとつのことを延々と考えていられる余裕なんてないよ」と答える人もいるだろうし、「そこまで考えなければいけない事項なんてない」という人もいるだろう。

わたしは、自他共に認める「考えすぎる」タイプだ。特に、考えたところで答えの出ない物事について、あれこれ思考を巡らせている。時にはそれで精神的に病むものだから、親にも「余計なことは考えるな」と言われていた。

ただ、わたしにとっては、どれもこれも「余計なこと」ではないのだ。答えを出すために考えているというよりは、考えるために考えている気はしなくもないけれど、考えている時間は無駄ではないと思っている。


「よく考えていることがすぐ言葉になるね」と言われたことが何度かある。そのたび、「口達者だからね」と返してきたけれど、実はすぐに言葉になるというより、常に言葉に変換し続けているから速くなっただけの話だと思っている。

考え続けている物事は、ある日言葉として生まれる。それは時に無意識的に。

考え続けていればいるほど、思考が言語化するのが早くなるように感じている。ぼやぼやしているものが、いきなり輪郭を露わにする感じ。霧が晴れて、「あ、こんな見た目だったんだね」と発見する感じだ。


こんなことを考えていて、「HUNTER×HUNTERの具現化系みたいだな」と思った。念のために説明しておくと、マンガの話だ。作中に出てくる念能力のひとつで、習得するまでには、具現化させたいものに延々触れて、舐めて、嗅いで、体験し続ける必要がある。実体がなくてもありありと細部まで思い描けるようになるまで。


思考の言語化も、それに近い気がする。いろいろなことを暇さえあれば考えて遊んでいるうちに、とりとめのない物事を、すうっと言葉にできるようになっていく。……まあ、その言葉が巧いかどうかは別の話なのだけれど。


考え続けていると、ふわっと言葉が浮かんでくるようになる。これが、「降ってくる」ひとつだと思っていて、だから、何にもなしに「降ってくる」ことは、きっとないのだと思っている。


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卯岡若菜
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