「個人的な文章」の感じ方
「自分語りはいらない」という意見を見聞きしたことがある。「無名の人間が個人的なことを書いた文章は読む気にならない」という言葉も見たことがある。個人的には、そうした意見はわからなくはない。「え、うん。そうなんだ」としか感想が浮かばない文章は、確かにたくさん存在している。
けれども、わたしは「個人的な文章」が割と好きだ。別に読み手のウケを狙ったものではなくても、「いいな」と感じるものはある。作家個人のファンだというわけではなくても、読んでいて楽しいエッセイがあるように、まったく知らない人が書いたnoteを興味深く読むこともある。
これはあくまでわたし個人の場合だけれど、わたしが「ん、だから?」となる個人的な文章と、「ふんふん。おお、おもしろい」と感じる個人的な文章とでは、書き手の姿勢が異なるのではないかなあという気がしている。(文章力云々は別として)
「だから?」と思いがちな文章には、どこか自己陶酔やマウンティングが透けているように感じる。完全に主観なので、実際のところはわからないけれど。ただ、少なくとも一読み手のわたしには、たとえ文章自体が自虐めいたものであったとしても、「んー?」と引っかかる俺様的な何かがある、気がする。(俺様、とはいったけれど、もちろん男女問わずに)
一方で、「おもしろいな」と思う文章からは、そうしたことが感じられない。たとえ何の変哲もない日常を描いたものであっても、書き手の物事への見方や捉え方、文章表現がおもしろいと感じることが多い。
……と、ここまで書いてきて思ったのだけれど、文章には、書き手がどう世界を見つめているのかが映し出されるのだろうな。実際に合っているのかどうかはさておき、読み手は書き手の見方を文章から感じ取っているのだと思う。そして、その見方が自分の価値観と乖離していると、読んでいて「んー?」という気持ちになるのではないかな。
おもしろいのは、文章自体に直接書かれているとは限らないということ。直接的に書かれていれば、それこそ「?」が集まるような文章なら炎上するだろうし、良くも悪くも話題を集める気がする。その点、直接的に書かれていない文章は、一見何も起こらない。けれども、全然関係ない話題であっても、ふだんのものの見方は文章に滲み出るのだ。
わたし自身が、noteでは個人的なことを垂れ流しているわけだけれど、果たして読んでくれている人にはどう思われているのかな。怖いような、興味深いような、そんな気持ちだなあ。