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ものを書くこと(ライター&創作)

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ライターであり、創作活動(アマ)をしているわたしの「ものを書くこと」関連のnote。
運営しているクリエイター

#思っていること

光と陰鬱と書くこと

光と陰鬱と書くこと

どことなく陰鬱な日々がつづく。具体的に「何かがあった」わけではない、と思う。まったくのゼロではないけれど、原因として挙げるにはどこか心もとない、というか。

ストイックにはなれないし、常に全力投球、一生懸命でもない。というより、馬力が本当になくなった。おかしいな、昔はもっと全力でやれたはずなのに。そう思ってはみるものの、その「昔」は本当に昔のことだと気付く。

10代で精神を病んでから、わたしの「

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揺らぐ光の話を、聴かせて

揺らぐ光の話を、聴かせて

あのとき、ああしていたら、とか。あのとき、何も言わなかったら、とか。そんなことを思わないなんて、無理だ。

人生は一度きりしかなくて、一時停止もスローダウンさせることもできなくて、ただただ残酷に時間は過ぎる。ついこの間まで賑やかにやっていたはずの人たちも、お互いの環境の変化で何となく疎遠になった。「ついこの間」といったけれど、そのついこの間は、もう10年も前の話になる。

それぞれが、それぞれの生

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完成させつづけること

完成させつづけること

文章は粘土細工や油彩画みたいだ。

付け加えて、削って、削りすぎて、また付け加える。「ここで終わり」だと決めなければ終わらない。そして、その終わりを決めるのは自分だ。

趣味で書いているものであれば、いついつまでも手元に置いておける。作品に一生涯手を入れ続けた画家がいたように、一見完成品に見えたとしても、本人が未完成としてしまえば永遠に未完成のままだ。

でも、仕事の文章はそうはいかない。締め切り

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レールがある道もない道も、ハンドルを握っていることに変わりはないから

レールがある道もない道も、ハンドルを握っていることに変わりはないから

noteで、「社会人1年目の私へ」というタグイベントが開催されている。

社会人を正社員としてしまうと、わたしには一年目がない。自活という意味でいうなら、この仕事を始めたときだ。はじめから社会人といっていいのだろうか…と(収入面で)もやもやしてしまう部分はあるけれど。まあ、開業届を出した年、でいいのかな。

前回のnoteでも仕事について書いているのだけれど、わたしは長らく「働くわたし」のイメージ

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書くことが好きだと思っていたけれど

書くことが好きだと思っていたけれど

「書くこと」に出会ったのは、文字を覚えた幼稚園時代のことだ。

拙い字で絵の横に描いたものを書き記し、それがいつしか絵本のようなマンガのようなものに変化した。

絵本を読むのが好きな子どもだった。2歳の頃には、絵本を与えておきさえすれば静かにしていられる子どもだったらしい。文字を読めるようになる前から、物語の世界にどっぷり身を沈めていたのだろう。

マンガのようなものだったり、日記だったり、自然の

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死ぬほど苦しんだ先の、幸せな暮らし

死ぬほど苦しんだ先の、幸せな暮らし

日本のホテルや旅館には「4」がつく部屋がないのだと聞いたのは、何歳の頃だっただろう。「4」は「死」を連想するから、というのがその理由。本当に「4」がない部屋がどれくらいあるのかは知らない。

4と同じく、9も日本語ではあまりいいイメージを持たれない。「苦」だから。ただの語呂だけれど、日本語には連想させるものが多い。末広がりの八、とか。算用数字なら8は∞だ。ことごとく縁起がいいなあ。



そんな

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痛みや苦しみは必須じゃない

痛みや苦しみは必須じゃない

苦しさを乗り越えて到達した山頂からの眺めは格別だ。達成感が美しさを際立たせるのだろう。山登りは趣味ではないけれど、あの「やった、綺麗!」という感覚は身体が覚えている。

同じようなことなのか、誰かがハードルを乗り越えた先に何かを成し遂げることに、わたしたちはいたく感動する。投げかけられる「感動しました」「勇気をもらいました」の数々。

代表的なものはスポーツの試合や大会だろう。スムーズに実績を打ち

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目に見えない熱を、失わせぬまま形にする

目に見えない熱を、失わせぬまま形にする

以前、取材先で「大切なのは材料なんです。僕らは、そのポテンシャルを100%活かすのが仕事。手を加えるなかでどうしても減ってしまうけれど、できるだけ元の状態から減らさないようにしたいんです」というお話を伺った。



昨日は、越谷市にある旧日光街道で行われた「ひなマルシェ」というイベントに行ってきた。以前インタビューをさせていただいた「はかり屋」の「つると」さんのお話で知ったイベントだ。

「行く

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侮れない「なんかいい」

侮れない「なんかいい」

「もっと女性の直感力を活用していくべき」

どこで見たのか読んだのかは忘れてしまった、だけど記憶に残っているフレーズだ。

女性の「なんかいい」「なんか好き」は根拠はないけれど侮れない、といったことがつづけて書かれていた。まあ、何かを売る商売はターゲットを女性に定めているものが多いから、何も不思議なことではないのかもしれない。



「なんかいい」は侮れない。

勘がいいほうだとまでは思わないけ

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食べる・触れる・出す・書く

「ふだん、どうやってリフレッシュをしているんですか?」
と尋ねられた。

「好き勝手に書けるものを書いたり、マンガや本を読んだり、映画を観たり、音楽を聴いたり……ですかね」

と答えると、「わあー、仕事でも書いて、リフレッシュでも書くんですね。天職じゃないですか」と笑顔を向けられた。

あらためて、自分でも天職だなと思った。そもそも、どこかに入社した経験もなく、出産育児によるブランクもあるわたしが

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ひとりを引き受け、ひとりを味わう

ひとりを引き受け、ひとりを味わう

受験生の頃に受けたAO入試の小論文に、「一人」と「独り」について書いた。「“独り”を避け“一人”を好む若者たち」。携帯やネットで他者といつでも簡単に繋がれることなどについて書いたその小論文は、二次試験の面接官である教授に「おもしろかったです」と褒められる。うれしかった。

昔流行った動物占いで、わたしは「ひとりを好む狼」だった。人は好きだ。人と話すのも、共に過ごすのも好きだ。けれども、誰かと過ごす

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「わたし」が不足している

「いいなあ」と思う作品や文章に触れるたび、ぎゅむーっとゆっくり押しつぶされるような感覚に陥る。静かに、けれど確かに加えられる圧。

「打ちのめされる」という言葉には、どこかスパーンとすっ飛ばされて「あああ」と頭を抱える印象を抱いているのだけれど、わたしは吹き飛ばされずにじんわりとプレスされる。

百科事典や辞書を頭の上に載せられているような感覚。ただ、押しつぶされてもきれいな押し花はできあがらない

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ライター3年生になりました

ライター3年生になりました

3という数字に、昔から心が反応する。

たとえば、3は区切りのときだ。赤ちゃんは生後3ヶ月過ぎに生後100日を迎える。3歳になれば幼稚園に入れるようになるし、小学校は3年生が前半の折り返し地点だ。中高は3年で卒業する。そして、1年の締めくくりはずっと3月だった。年末より年度末の方が区切りの意味合いが強かったから。

女友達で「3人」は難しいとよく聞いた。今も仲が良い小学校時代からの友人とは3人でよ

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外側の外側にいる人たち

外側の外側にいる人たち

朝から夕方まで、カフェでカタカタ書き続けていた。ビジネス街にある店だということもあり、自宅近くのカフェとは異なり仕事中の人が多い。窓際のカウンター席にはコンセントがあるため、パソコン作業をする客が大半だった。

両隣の客が何度か変わる。あるときは海外の人と仕事の打ち合わせをするビジネスマンが、あるときはどうやら最終面接を目前にしている就活生が。(でかでかと「最終面接」と書かれている用紙が見えてしま

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