見出し画像

高次の自我と低次の自我 霊我とは何か!?

今まで散々、自我だ他我だと書いてきたが、どうやら自分が書いてきた自我、他我は古来からの叡智を探る哲学者や偉大なる霊視能力者達からすると低次の自我のようだ。
低次があるということは高次の自我がある。そしてさらにその先に霊我があるという。

ぼくは元々このあたりはヨガ哲学から出発した。
自我と真我がを一つにすること。
それがヨガの意味繋ぐということ。
ヨガの目的であるサマーディに到達するということ。おそらくはその先に他者の魂との絡みと霊我なる段階がある。

この記事で答えが出ることはないと思うが、そのあたりのことを今回は考察してみたい。

霊視能力の巨人、シュタイナー。


ルドルフ・シュタイナー
ドイツ、神秘学協会に所属し活動するが方向性の違いを感じ退会。人智学協会を設立する。その著作は世界中で訳され日本でも多数の著作が翻訳され、各地にシュタイナー学校も設立されている。

シュタイナーは自我には高次の自我と低次の自我があると著作に遺した。さらには「霊我」との言葉も見られる。ヌーソロジー提唱者の半田広宣氏は最初、自我は悪者のような印象を持っていたがシュタイナー研究家の方々と講演会を開いた時をきっかけに自我の見方が変わったという。
(この時からヌーソロジーから見たシュタイナー思想の執筆、発刊までの時期に自我や時間に対する半田さんの見方は代わり、悪者的存在の時間や自我の取り扱いは現在のヌーソロジーでは変わっている。関西ヌーソロジー研究会、川瀬統心さん曰く、ヌーソロジーは進化した!と。)



「シュタイナー思想とヌーソロジー」
今や市場に出回っていない・・・
中古で買うと3万以上!!(本来価格は8000円)
半田さんパートのみならヌーソロジーサロン加入で
PDFファイル形式で2000円くらいで購入出来る。


さて、低次の自我、高次の自我、霊我、久々にイラストを書いて表現してみた🌟💫🌟


スマルの膜は分離の膜の意。

低次の自我が3次元世界を映し出す鏡になっていると思われる。以前から書いてるが他我を洗いざらいキレイにして高次の自我、真我を映し出すことが肝要だと思われる。
その先に霊我があるはずだ。



勿論自己と他者はひっくり返っている。
Ψ5は自己、*が着くと他者の自己となる(Ψ*5)


自己に低次の自我と高次の自我があれば
他者にもあるのが当然である。

自己と他者は正四面体を重ねたケプラーの星型八面体《マカバ》で繋ぎ合わされている。その中央にも球体とマカバがあるがこれはモノの中。モノの精神を表す。


自他一体、主客一致を超えたところに霊我はある。


霊人的世界以降は勝手な自分のイメージです😆🌟🌟🌟
誤字発見!💦真人とありますが真実の間違いです💦
〈神は細部に宿る〉一流は直すんだろうな。
一般人のぼくはそのままです〜😬💦

春が来てテンションが上がってるためハデハデしい精神的宇宙になってしまったが

自己の精神(11)と他者の精神(*11)が等化され霊人の世界が現れる。



逆にぼくらは3次元世界に意識を入れ込み、霊的世界との間に膜を貼り、魂や真我、霊我をミクロ化してしまっている。ミクロ化した方に真の主体があり、そちらから見ていく事、意識していく事が大事🌟



Ψが人間の次元。ぼくらの普段の活動領域はΨ1〜8あたり。Ψ9以上は魂次元。現代人は奇数側の無意識、魂の世界は潜在化してしまっていてほぼほぼ偶数側に意識はある。Ωとなると霊人や真実の人間の領域。それらの意識が凝縮化して人間世界を創り出す💫💫💫Φはさらなる高次元〜🌟🌟🌟🌟🌟🌟🌟🌟🌟🌟🌟🌟🌟🌟🌟🌟


かなり自分のイメージです😆💫💫💫
こちらも真人は真実です。
なおさんかーい😬💦


霊人の世界もどのような世界かまだイメージできないが(ヌーソロジー提唱者半田広宣氏によるとフィシスに溢れた素晴らしい世界との事だ)。
さらにその上の真実の人間の世界は遥か彼方。
上古代人、レムリア人あたりはこのあたりを旅しているのだろう💫
ムー人やマヤ人は今が霊人かな🤔💫💫💫


妄想か走り出してしまった(汗)


高次の自我、ハイヤーセルフ、または超我。。。(超自我のこと忘れてた💦)
超自我も自我が他我化しているように3次元社会の規範や規律、空気感に染められている。
高次の自我=超自我だとするとここに映し出すものを3次元的なものから霊性に富んだフィシスにすれば霊我に成長することが出来るのである。
と、言いつつもぼくには出来ないのだが。。。
シュタイナーは瞑想と思考で、半田さんは反思考(超越論的思考)でと言う(恐らくはシュタイナーも反思考をしていた)。
反思考とは見えないもの思考できないものを思考することみたいだ。ヌーソロジーはその道具となる。勿論瞑想も「目的」ではなく道具、技術だ。


最後にシュタイナーの著作より

「神智学は山頂に立ちますが、人智学は山腹に立って、上を見上げたり、下を見下ろしたりします。明らかに立っている場所と観点が違うのです。神智学に没頭しますと、人間的な見方を超えて、低次の自己から高次の自己へと高まり、高次の器官で見ることを学ぶ。神智学の立脚点である山頂は、人間を超えており、一方、通常、人の認識対象は人間の足元にあります。ですから人間自身は自然界と霊界の中間に立っていると言えます。上なるものが人間に入り込みますと、人間は霊に満たされた存在になります。しかし、人間は自分の上に仰ぎ見る霊の山頂から出発するのではありません。山頂は自分の上にあるのです。そして、単なる自然は自分の下に横たわって、下から人間の中に働きかけています。神智学は正しい手段を用いなければ、私達を人間的なものから遊離させて身近なものを認識する可能性を失わせてしまいかねません。」

「あなたを神と自然の中間に位置づけなさい。あなたを超越し、あなたの中に上から光をなげかけているものについて、そして下からあなたの中に働きかけてくるものについて、人間に語らせなさい。そうすればあなたは人智学という、人類の語る叡智を手に入れる。」

(「人智学・心智学・霊学」 ちくま学芸文庫
高橋巌訳より)神智学協会から離れたシュタイナーは人智学協会を創り広めた。真ん中を飛び越えて上を目指すのは進化の道から外れやすい行為になるようだ。いきなり山頂を目指すことも出来るが注意深く慎重に行を積まなければならないとシュタイナーの著書「いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか」に記されている(行の仕方はとても面白く興味深いものなのでいずれ紹介したい)。
真ん中で上と下、右と左をしっかり理解して感じてからさらに上へと進んでいくのが一番安全な快適な進化の道🌟


霊界と物質世界の真ん中に立つ。
ヴェシカパイシスの真ん中。
カタカムナのマスノベシ。
ヌーソロジーの変換人。
古神道のナカイマ。
呼吸のアイダ。
「間。」


参考動画

最も基本的なところ。肉体、エーテル体、アストラル体、自我の関係がわかりやすく説明されてます。



20分くらいの動画です🌟






エーテル体とアストラル体の関係、白木海月さんの記事より🌟白木さんの記事にはよくシュタイナー思想が登場します💫💫💫ハーブとシュタイナー思想、ファンタスティック🌟🌟🌟




参考文献


一気に山頂を目指したい方はこちらへ🏔
シュタイナーの言葉は堅いが
そういう感じだったのか🤔
翻訳者の高橋厳さんのなせる技なのか🤔


人間の世界を良くする為にオイリュトミーや医学、農業、人間の活動領域において、シュタイナーは多くの著作を残していくが志し半ばに倒れる。。。ちくま学芸文庫のシュタイナー著作は中古ならかなり安く手に入れることが出来る。



高次の自我、真我、霊我となるとなかなか難しいけど世界はヒントに満ち溢れている💫💫💫たどり着けるところまでまだまだ行きます!まだまだ考察を続けていきます!!



関連may記事💫💫

低次の自我とのお付き合いがまだまだ自分には大事だな💫💫💫





追記 自分の他我化した自我!(低次の自我)
なんだか少し見えてきたぞ😬😬😬💦💦💦
💫💫💫💫💫


以上です!


ナマステ🐉✨

いいなと思ったら応援しよう!