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#ヨハネによる福音書
ピンからキリまで (イザヤ44:6-8, ヨハネ17:3)
◆ピンキリ
すでにお屠蘇気分は抜けているとは思います。正月は、しっとりとしたテレビ番組を期待したいと思いました。というのも、どの局を見ても、「お笑い」の賑やかな声が飛び交うことが多く、お好きな方はよいのですが、私のように辟易する人もいることと思います。「いかにも」という「笑い」の押しつけには、とても笑えないのが実情です。
とはいえ、芸人たちにとっては、笑わせてナンボですから、それはそれで必死
愛と眼差し (ヨハネ21:15-19, ルカ22:54-62)
◆ペトロの失敗談
やがて十字架にて死ぬことになる。他の福音書では明言していましたが、ヨハネ伝では、イエスが婉曲ながらも伝わるように語る場面があります。これを聞いてペトロは不安に感じたのでしょう。
シモン・ペトロがイエスに言った。「主よ、どこへ行かれるのですか。」イエスはお答えになった。「私の行く所に、あなたは今付いて来ることはできないが、後で付いて来ることになる。」ペトロは言った。「主よ、な
生きている (ヨハネ4:43-54, 申命記4:1-4)
◆看取る悲しみ
あめゆじゆとてちてけんじや
この言葉は衝撃的でした。東北の言葉は、九州人の私には馴染みがありませんが、この苦しく切ない言葉が、精一杯の命の言葉だということは伝わりました。多くの人の心を掴んだこの言葉は、宮沢賢治の詩「永訣の朝」に、括弧付きで幾度も登場する、妹の言葉です。危篤の妹の口から、「雨雪をとってきてください」と漏れる。26歳の賢治が、24歳のトシの死の床にいる風景で
そのドキドキをそのままに (マタイ28:1-10, ヨハネ20:1-10)
◆復活祭から一番遠い時期に
今日は、二つの福音書から、復活の場面を通じて、命を与えられたいと願っています。この時期に復活というのは、何か違うのではないか、とお感じになる方もいらっしゃることでしょう。確かに復活というのは、春と相場が決まっています。春の祭りである過越祭のときに、イエスは十字架につけられ、復活しました。福音書の記述からするならば、それは間違いありません。いまの暦では3月から4月にかけ
あなたを自由にする (ヨハネ8:31-38, 詩編51:12-15)
◆自由にすること
「働けば自由になる」という言葉を、耳にしたことがあるかと思います。「労働は自由をつくる」あるいは「労働はあなたを自由にする」のような言葉で記憶している方がいるかもしれません。
元々は小説のタイトルだったそうです。それが、失業対策の政策のスローガンのようなものとして使われるようになったといいます。が、この言葉が世界的に有名になったのは、ナチス・ドイツの強制収容所の門にはっきり
ひとりじゃない (ハガイ1:12-15, ヨハネ14:18-19)
◆孤独感
孤独感は、現代社会でのひとつの大きな問題だと言われます。心許せる人間関係の難しさや、パートナーを得ることへのためらいなどもそうです。が、しばしばこのようなことが言われます。群衆の中にいると、却って孤独を強く感じる、と。沢山の人が見える範囲にいるのに、その誰ともつながっていない。賑やかさに囲まれているが故に、よけい孤独を感じるというのです。
「みんなでひきこもりラジオ」という放送があ
見ることは信じること (ヨハネ20:1-31)
◆復活の物語
「村上復活」がしばしTwitterのトレンドに入っていました。先月21日の、WBC決勝大会のメキシコ戦の報道です。それまで不振に喘いでいた村上選手が、逆転サヨナラ打を打ったことでした。
このように「復活」という言葉を、私たちは当たり前のように使います。しかしそれは、かなり比喩的な意味のようにも感じられます。聖書において「復活」は、「死んだ者が生き返ること」以外の何ものでもありま
そこにいたのか (ヨハネ19:1-37)
◆十字架刑
十字架。口にするだけで、胸が一杯になることがあります。アクセサリーではないのです。ファッション・アイテムではないのです。死刑台なのです。世にも残酷な死刑台です。
残酷な死刑台というと、私たちはしばしばギロチンを思い出します。しかしギロチンは本来、フランス革命後、「受刑者の苦痛を和らげる人道目的」で開発された死刑台だったそうです。苦痛が持続しないというのです。それに対して十字架刑は