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本とのつきあい

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本に埋もれて生きています。2900冊くらいは書評という形で記録に残しているので、ちびちびとご覧になれるように配備していきます。でもあまりに鮮度のなくなったものはご勘弁。
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#教会

映画「きみの色」

映画「きみの色」

8月末に封切りで、この近くでは遂に10月末で上映終了となった、映画「きみの色」。その最終上映で、機会を得てやっと観ることができた。
 
ずっと観たかった。山田尚子監督の作品は好きだし、評判も良かった。こういうとき、私は細かな下調べはしないことにしている。殆ど白紙の状態で、映画館に臨むのがいいと思っている。今回も、評判の良さ程度が、予備知識のすべてだった。
 
結果、言葉にできない感動を与えられた。

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『福音主義教会形成の課題』(加藤常昭・新教出版社)

『福音主義教会形成の課題』(加藤常昭・新教出版社)

シリーズ名が「今日のキリスト教双書」であり、その第15弾となっている。私が手に取った時点で、発行から半世紀。それで「今日」と言われても、複雑な心境である。発行から50年して、加藤先生も天へ旅立った。しかしすでにこの時点で、牧師としても神学者としても活躍しており、力ある説を告げている。その意味では、「今日」という言葉に偽りがあるようには思えない。私たちは、もっとよくない情況にある、とも言えるからだ。

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『まことの説教を求めて 加藤常昭の説教論』(藤原導夫・キリスト新聞社)

『まことの説教を求めて 加藤常昭の説教論』(藤原導夫・キリスト新聞社)

これは「説教塾ブックレット」の一冊である。「説教塾紀要」の中から、一般にも提供すべきである部分を取りだして単行本として発行するものである。今回はその「紀要」からというよりも、加藤常昭先生の多くの著作の中から、四冊を以て、その説教論のエッセンスとして説教について学ぶ機会をもっていた著者が、まとまったものをこうしてひとつの形にしたものであるようだ。
 
その説教論を批判検討しようという意図はない。専ら

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『知的障碍者と教会』(フェイス・バウアーズ;片山寛・加藤英治訳;新教出版社)

『知的障碍者と教会』(フェイス・バウアーズ;片山寛・加藤英治訳;新教出版社)

250頁ほどのB6版の本であるが、新教出版社ということで、装丁は地味である。サブタイトルに「驚きを与える友人たち」とある。友人とはもちろん、タイトルでいう「知的障碍者」である。
 
そもそも「しょうがい」の表記すらいま困難がある。「障害」の「害」の字がよくないということで、「障碍」とする人もいる。それはナンセンスだという人もいれば、漢字でなく「しょうがい」としよう、と提言する人もいる。中には、当事

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『光かがやく未来へ』(千葉明徳・イーグレープ)

『光かがやく未来へ』(千葉明徳・イーグレープ)

本書を読み始めて、最初に言い様のない違和感に襲われた。目次はいいとして、最初に出会う文章が、「推薦のことば」であった。それが10頁もある。5人が寄せている。教会や保育園をつくったということで、大きな働きをした著者だということは分かる。だが、これほどの推薦文を冒頭に並べる本は、ちょっと記憶にない。
 
「はじめに」は「死刑囚からの手紙」であった。すでに回心した死刑囚が、著者を呼び、若い人たちに福音を

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『牧師、閉鎖病棟に入る。』(沼田和也・実業之日本社)

『牧師、閉鎖病棟に入る。』(沼田和也・実業之日本社)

本書を探した経緯がある。簡潔にいうと、心を病む牧師についての資料はないか、という探し方をした。本当は、精神的に病んだ牧師をどう扱うか、というキリスト教的な対処が知りたかった。あるいは、牧師が心を病まないようにするためにはどうすればよいか、という観点の予防について知りたかった。
 
ところが、そういう本が見当たらない。かなり検索を掛けたが、なかなか引っかかってこない。アメリカにはそうした専門のカウン

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『説教の神学』(D.リッチュル・関田寛雄訳・日本基督教団出版局)

『説教の神学』(D.リッチュル・関田寛雄訳・日本基督教団出版局)

原書は1960年であるというが、実はその少し後から、翻訳の話があったのだという。だが、訳者が、青山学院大学の神学科廃止の問題に巻き込まれ、翻訳へ力を注ぐことができないまま、20年が経つ。そこでようやく日の目を見るようになった。私たちに、説教に対する力強い思想がもたらされた。
 
リッチュルは、1929年にスイスのバーゼルで生まれた。と聞くと、やはりカール・バルトとの関係がどうか、というところが気に

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『キリスト教の本質』(加藤隆・NHK出版新書708)

『キリスト教の本質』(加藤隆・NHK出版新書708)

さて、どうしたものか。この本について書かなくてはならない。
 
まず、我ながらよくぞ最後までこれを読んだものだ、と自分を褒めてやりたい。若い頃、こうした本を読んだとき、途中で壁に本を投げつけたことがあった。人間、まるくなったものだ。
 
若いときには、憤りをそのまま出していた。だが今回は、怒りはなく、憐れみの思いが膨れ上がってくるのを感じた。どうしてこの人はこんなになってしまったのだろうか、と。最

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『主が、新しい歌を 加藤さゆり説教集』(加藤常昭編・教文館)

『主が、新しい歌を 加藤さゆり説教集』(加藤常昭編・教文館)

説教者を知らなくても、編者の名前から検討がつくだろうと思う。日本で説教を最も重視し、説教塾を立て、何百人もの牧師の説教に対する考え方をつくりかえた加藤常昭氏の妻である。
 
2014年8月、本書の発行後間もなく召された。
 
1964年の大きな手術以来、多くの病を担い続け、もはや治療不可能という事態になり、本書が編まれた。夫常昭氏の、感情溢れんばかりの、しかし結局は信仰に溢れた形の、「まえがき」や

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『困惑を超えるもの 大沼隆遺稿説教集』(大沼隆・教文館)

『困惑を超えるもの 大沼隆遺稿説教集』(大沼隆・教文館)

日本基督教団仙台川平教会主任担任牧師、宮城学院宗教総主事などを務め、東北の地で50年にわたり伝道に奉仕した牧師が残した説教集。膨大なノートの束から掬い上げられた、生涯をかけて福音をあかしし続けた著者による心打つ魂の言葉。
 
本の帯にそう説明されており、これが本書の概略を簡潔明瞭に伝えている。その帯に、より大きな文字で書かれてある文句はこうである。「信仰とは、困惑があってもそれを超えて生きてゆくこ

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『わたしたちはいま、どこにいるのか』(日本基督教団代田教会編・新教出版社)

『わたしたちはいま、どこにいるのか』(日本基督教団代田教会編・新教出版社)

新教コイノーニアというシリーズの第27弾である。2003年に亡くなった、隅谷三喜男先生を記念する本である。東京の代田教会は、晩年隅谷三喜男先生が在籍した教会である。それで、亡くなった後も、先生の業績を大切にし、協力者を得て、シンポジウムを開催した。雑誌に一部公開されたが、質疑応答を含む全貌を世に問うために本書が成立した。
 
代田教会は、聖書から福音を毎週語る教会である。そこには日本で最高レベルの

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『説教集 先立ちたもうキリスト』(小川治郎・日本基督教団 代田教会・1974年)

『説教集 先立ちたもうキリスト』(小川治郎・日本基督教団 代田教会・1974年)

受難週のことだった。リモートで、祈りの会が開かれ、信徒がリードして短くお話をしてくれた。そのとき、この本の中のある説教について触れることがあった。それで私は感心をもち、探してみると、ウェブサイトに見つかった。ひとつの教会が発行所となっている。珍しいと思うが、半世紀前には時折あったのだろうか。その時代の価格としては高価であるが、発行部数などの関係であろうか。信徒のための製本ということなのかもしれない

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『なぜ君は笑顔でいられたの?』

『なぜ君は笑顔でいられたの?』

(「福本峻平の本」制作委員会・いのちのことば社)

副題に「福本峻平 神と人とに愛されたその生涯」と書かれ、表紙にある写真は、車椅子で喉にチューブを入れた男性の写真がついている。これが福本峻平さんである。
 
とある関連でこの人のことを知った縁で、手に取ることとなった。
 
キリスト者が、困難な環境に置かれた中で、神を信じて乗り越えていった。病にも拘わらず喜びの人生を送り天に召された。このような話

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『神の国』

『神の国』

アウグスティヌスの『神の国』を読み始めた。ふと、読みたくなったのだ。あまりにも高価だと手が出ないし、大きな本の塊の購入は、家族に叱られる。これは五巻あるが、文庫本である。お許しを戴こう。古いものなので、定価よりも安く手に入るものが多い。第一巻は、少し質の悪いものしか買えなかったが、読むのには何も差し支えない。
 
これが、なかなか面白いのだ。ドイツ観念論や現代フランス哲学と比べると、あまり深く考え

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