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生に歓喜し死を悼む動物たち。そして私たち。
悲しみとは、そのイメージに反して、私たちと他者を強く結びつける感情だ。
愛する者を失って悲しむというのは、人間だけの特徴ではない。動物たちは「泣いている」。私たちとは、表出の仕方が異なるだけで。
今回は環世界の話かな?そうだとも言えるし、そうではないとも言える。
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前回はハイエナの話をした。
この後に貼る動画の中のハイエナが、今、自然界でどれほど重要な仕事をしている最中なのか。前回の内容を読んでくれた人には、よくわかってもらえると思う。
パワーで圧倒できるはずのゾウが、ハイエナ(スカベンジャーズ)の行動を邪魔していない。遺体をもち去るな!と憤慨したりしていない。決して、どうでもいいからではない。
この幼いゾウは、群れの仲間につれられて、母親の「墓参り」にきたのだ。
ゾウは死んだ仲間を埋葬する。遺骨に敬意を表す。
サルは親や子の死にひどく落ちこみ、拒食症になる(一例)。それで餓死することさえある。
次の例はどうせイルカでしょう?違う。イルカのこれ系の反応は、種によってかなり異なる。
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ゾウの墓参りのようなふるまいも、サルのハグのようなふるまいも見せるのは、キリンだ。
我が子を亡くした母キリンがいると、複数のメスのキリンたちが集まり、まるで抱きあうように首を絡ませる。
動画では、「この骨は私の息子/娘だろうか」母親が確認する間、仲間が警備係を担当している。弔いに、リスクをとってリソースもさくのだ。
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ひっそりと、だが確実に、彼女は泣いている。
犬の飼い主の死への理解度は、人間の平均的2才児のそれに近いのではないだろうか。死が終焉なのではなく、死に終焉があるというようにとらえている可能性がある。
もう少し年がいっていても、こうなりがちだ。「あの人は遠くへ旅立ったんだ」比喩は伝わらず「いつ帰ってくるの」無邪気に質問される。
忠犬ハチ公も。主人は、いつの日か必ずや、死という状況や場所から帰還すると考えていたのではないか。亡くなった直後数日は何も食べなかったという。主人に何か重大なことが起こったのは、一旦理解していた。
毎日むかえに行き、長年待ち続けたという行動に対して、これが最も合点がいくように思える。
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最終的には、癖化していたのかもしれない。ただ、私は、どうしてもこれを思い浮かべてしまう。
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何が起こっているのかを理解するのに、動物行動学の専門家である必要はない。わかるだろ。
死者を悼むのは人間だけではない。
「心の損得を考える余裕のある 自分が嫌になります 今どこにいる? すぐそこに行くよ」「嘘じゃないことなど 一つでも有ればそれで充分 どの私が本当のオリジナル? 思い出させてよ」
私のあるあるなのだけれど。恋愛ソングに聴こえず、信仰の歌に聴こえる。
インドで、ラングール猿の群れを撮影するために、カメラを内蔵したロボット猿が配備されたことがある。
彼ら彼女らは、ロボット猿を仲間として受け入れた。ベビー・シッターをかって出た個体もいた。風変わりな迷子ーーとでも解釈したのだろう。ある日、彼女は手元をすべらせ、ロボット猿を高所から落としてしまった。ロボット猿は壊れた。いや、世話をしていた孤児が死んだ。
貼った動画の中には、抱きしめあうサルたちが。全体にただよう悲しみのムードが。
前述したとおり。霊長類は仲間を喪失した後に、うつ病の兆候を示すことがある。以前は肯定的な反応を示した刺激に、反応しなくなったり。
ニホンザルの例。
ニホンザルのグループが、仲間の死に、夜を徹した「祈り」をささげることがあり。このような「儀式」は、最長で5日間観測されたことがあると。
ある野生動物センターが、2018年に1週間閉鎖されたのだが。それは、ニホンザルの子どもが1頭亡くなった時だった。群れが悲しむ時間をじゅうぶんにとれるように、彼ら彼女らが疲れ果ててしまわないように、との配慮からだったのだそう。やさしいね。
徹夜の祈りーーあながち、言葉のあやではないようだ。
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研究によると。ニホンザル(のメス限定かも)には、幼児の死後にのみ発する特定の声がある。
「クー・コール」とは、音からそう名づけられた鳴き方で、森の中で最も聞けるニホンザルの鳴き声だ。
採食・移動・休憩などをしている時、つまり平穏な日常のまざまな場面で、ニホンザルはクー・コールを発する。特にメスどおしで。メスは、我が子のそれを聞きわけることができる。
鳥の音声研究で「方言」と言えば。遺伝的な違いによるのではなく学習の結果として、集団間で歌(さえずり方)が異なることである。この意味での方言の存在は、サルやイルカやコウモリでも報告されている。
生後5ヶ月くらいでは、方言を使っていないのに。生後7ヵ月以降、方言を使っているのが確認できるそうだ。ニホンザルの生後6ヶ月頃……離乳がはじまる頃だ。単独で歩きまわるようになり、森で迷子になるかもしれない。これは、母が子に、「国語」を教えている可能性さえある。
クー・コールの個体差(要は母子間は似ているのではないか)も方言も、似たような目的で存在するものなのかもしれない。親が子を守る。群れを無事に存続させる。
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チンパンジーではどうか。
2017年にザンビアの野生動物孤児院で、観測された事例。チンパンジーが原始的な道具を用いて、死んだ仲間の歯を磨いた。
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これは、生きることを題材にした歌かもしれないけれど。誤解を恐れずに言うと。生と死は似ているよね?私たちと動物が似ていることとも、遠からぬ話かもしれないよ。愛と悲しみが似ているようにだよ。
私の考え方や表現方法が誰かを傷つけたら、心からごめん。悪気はないんだ……。
火葬しなくとも、食べられてすぐ骨になる。
家族グループのみならず、近所のゾウらも。亡くなったゾウをおとずれる。遺骨にふれるだけでなく、遺体を植物でおおったりもする。
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はじめて気づいたが。ゾウたちは、完全に骨だけになったら、土や葉っぱをかけたりはしなくなる(私が見てきたものの中ではそうだった)。いよいよ、私たちとゾウの間に差を感じなくなってきた。
骨なら、肉がないなら。当然の如く、衣で覆ってあげようという気がわかない。そう習うでもなく「元々」だったと思う。私のこの感覚は、一体どこからきたのだ。
ある学者が「ゾウの弔いを見ていると、背筋が寒くなってくる」と書いていた。その真意が今わかった気がする。
研究者たちは、ゾウが、他の動物の骨よりもゾウの骨に興味を示すのかを調べた。ゾウの頭蓋骨や象牙・他の動物の頭蓋骨・木材などを用いて。
ゾウは、その中で、ゾウの頭蓋骨や象牙に強い興味を示した。興味深いのはここからだ。頭蓋骨よりも象牙に、ずっと強い興味を示した。
このことは、互いの牙に触れるというゾウの交流に、起因している可能性が高い。象牙は、生前のゾウと深く結びついている。当たり前だが、生きているゾウと頭蓋骨をセットで見ることは皆無。
私たちが亡くなった人に触れるとしたら、多くの場合、その頬か手だろうが。髪というのもある。と、私はそんなイメージを抱いた。
あなたたちにとって、骨と象牙はすごく違うんだね。きっと、そうなんだね。
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この話は以前から知っていたのだが。この文章を書きながら、もう少し複雑な気持ちになってきた。
動物が死骸をなでている時、何を考えているのか。私たちが確実に知れる日はこないだろう。人間どおしだって、完全にわかりあったりしないのだから。
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可能/不可能と言うよりも。全てなど見せあって生きる必要はない。
わからぬ他者を慮るのがいいのだ。
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自分たちのリーダーの頭蓋骨と、見知らぬ群れのリーダーの頭蓋骨を見たゾウたちが、前者に特に関心を寄せるということはなかった。
妥当な結果に思える。
においが残っている可能性は捨てきれないが。相手の頭蓋骨(生前見たこともないもの)で、個体の見わけなどつくわけがなかろう。
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ここで、冒頭に貼った動画を思い出してほしい。群れは、間違って無関係なゾウの「墓」にきたりしていない。
ゾウは、視力が顕著によい生き物ではないが。一度見た顔を絶対に忘れない、とまで言われている。
かなり前(何十年前とかレベル)に短期間ともにすごしただけの2頭のゾウが、再会した時。明らかに互いを認識しあい、歓喜した。大変興奮していたらしい。この事例の2頭は、サーカスで共演したという特別な関係性ではあったのだが。
「え、待って!ジェニーちゃんじゃない!?」「シャーリーちゃんじゃん!やば、いつぶり!?」想像してみたら、かわいすぎた。ちなみに、ジェニーとシャーリーは彼女らの実名。
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群れで行動する動物、たとえばシカは、群れのメンバーが誰なのかほとんど知らない。ゾウは、ほぼ確実に、群れのメンバー全員を知っている。
ゾウの記憶力は大変優れている、ということだ。ゾウの脳は、事実、大きくて複雑な海馬を有する。
先週・この場所で・あの個体が亡くなったーーこれぐらいの情報を、ゾウが記憶できないわけがないのである。
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アフリカゾウの群れのリーダーは、必ず、最高齢のメスである。群れの存続と繁栄に、「おばあちゃんの知恵」が必要とされているのだろう。
あの辺りに水場があったはず、このルートなら確実に速いはず、と。高い記憶力がなければ、この仕組みである意味がない。
母親の社会的順位にもとづいて、その地位を受け継ぐハイエナとは、対照的であるーーそう語る人もいるようだが。それは少し違う。
彼女らのキングダムは、いわば、遺伝子レベルからの究極の実力社会だ。貴族制のように見えるものは、テストステロン値の高さからくる好戦性の高さに裏づけられたもので。女王は、最強のハンターかつ最前線のソルジャーだ。
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ハイエナについては前回で全力解説したため、このぐらいにしておく。
陸上動物で最大の脳をもつのは、アフリカゾウだ。
もしも、大きい脳ほど優れているのならば。ゾウはヒトより賢いことになるし、マッコウクジラはさらにその上ということになる。
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ちなみに。記録上、最も大きく重い脳をもっていた人間は、イワン・ツルゲーネフだ。アインシュタインの脳は、むしろ、小さい方だった。
脳のシワ(脳溝 のうこう)が多いとどうこう、という話はどうなのか。
チンパンジーの脳より人間の脳の方が、脳溝が多い。乳児の脳より大人の脳の方が、脳溝が多い。しかし。クジラやイルカは、人間よりも多くの脳溝をもつ。
これは、泳ぎの邪魔にならないように、頭蓋骨を小さく進化させた結果だと推測されている。脳をぎゅうぎゅうづめにしているからだと。
ゾウの小脳に膨大な数のニューロンが見られることは、ゾウの小脳が処理する追加的な信号の発生源が存在することを、示唆している。
小難しいだろうか。もっと簡単に書く。
鼻から送られてくる膨大な量の情報を処理するために、この道具 = 鼻の使用を補うために、ゾウの小脳は使われているのではないかと。研究者らは考えている。
道具の使用などの認知能力の点では、ゾウは類人猿のはんちゅうに入る。などと言われたりしている。
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ゾウの三叉神経節はとても大きいが。不つりあいに大きいのではない。
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100kgの敏感な付属器官が顔からぶら下がっている動物の、それに関連する神経系の一部が巨大でも。なんらおかしくはない。
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3つの領域:嗅覚葉・大脳の側頭葉・小脳が、他の動物の脳よりも拡大している。
大きいだけではない。これらの部分にはニューロンが豊富にある。
一連の神経繊維を介して、それらニューロンとゾウの体の部分は、接続されている。
ゾウの鼻はゾウの知性をうつす鏡ーーというわけだ。実際はその逆、鼻ありきだろうけどね。
ゾウの顔面運動制御の研究。
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ゾウの顔面神経核ニューロンは、並外れて大きくて多い。
これも、鼻や耳の動きに関係すると思われる。
鼻
① 顔面神経核ニューロンは、アジアゾウでは約 55,000個・アフリカゾウでは約65,000個ある。
② アフリカゾウは、鼻先の2本の「指」で物体をつまむ。
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①と②から推測できること。アフリカゾウの鼻の「指」の存在が、より多くの顔面神経核ニューロンを鼻の先端にわりあてさせている。
耳
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アジアゾウに比べて大きな耳をもつアフリカゾウは、顔面内側亜核ニューロンも多い。
鼻や耳を介することは関係なく、ゾウの顔面神経核ニューロンなどの数が多いのは、直接的にゾウの脳が大きい/重いことによるだけなのではないか。
これは当然、考えてみなければならないことだ。
イルカの顔面神経核ニューロンも、過剰なのだが。脳のより小さい/軽いイルカの方が、ゾウよりも顔面神経核ニューロンが多いのだ。
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イルカに巨大な鼻や耳なんて、ついてないのにね。イルカすごいな。
イルカの興味深い動画として、以下の3つを貼る。広大なネットの海から厳選した。どれも、日本語字幕がなくても大丈夫なものだ。
褒美などなしに、人とコミュニケーションをとろうとするイルカ。とにかくかわいい。
英語を話すイルカ。ヒトの真似をするイルカの真似をする女性の本気度が高く、笑ってしまった。不まじめな私が悪い。まじめな内容だ。
釣りを手伝うイルカ。シュールで多少笑える。「この男たちは立ってるだけ」「網もって立ってるだけやで」クレイジーと繰り返す、お姉さんが悪い。笑
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ある人類学者の「悲嘆」の定義は、こうだ。
「悲嘆として認定されるためには、故人を知っている生存者は、その行動様式を変えねばならない。友人の遺体につきそうかもしれない」
今まで書いてきた動物たちの行動例は、少なくとも、この悲嘆に当てはまる。
人間の場合。長ければその後一生、精神的に、友人の遺体につきそうことになる。
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「あれからぼくたちは 何かを信じてこれたかな」「夜空のむこうには もう明日が待っている」
私たちは、生まれながらに道徳観念をもっているのか。それとも、成長するにつれ身につけていくのか。
人間が生まれつき善か悪かという命題は、何世紀にもわたって、哲学者たちによって議論されてきた。
アリストテレスは、道徳は学習されるものであり、人間は非道徳的な生き物として生まれると主張した。フロイトは、新生児は道徳的に白紙であるとみなした。
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ホッブスは、人間を卑劣で野蛮な存在と表現し。繁栄するためには、本能を抑制する社会と規則が必要だとした。
ルソーは、彼を公然と批判し。社会が課す階級制度によってもたらされる貪欲と不平等の腐敗がなければ、人間は穏やかで純粋になるだろうと主張した。
このように、さまざまな意見が出されたが。それぞれ、よりよい世界を願ってのことだ。
発達心理学の研究は、人間には生まれながらの「善」が存在することを示している。
1才未満の乳児に劇を見せる。
赤い丸が、丘を登るのに苦労している。青い四角は、赤い丸を押し下げて妨げようとする。黄色い三角は、赤い丸を押し上げて助けようとする。こんな内容だ。
青い四角と黄色い三角のどちらで遊びたいか。そうたずねられた乳児らは、全員、後者を選んだ。試しに赤い丸の人気投票をしてみても。誰も、それさえ選ばない。
色や形の好みではない。役割を真逆に入れかえても、赤ちゃんたちはヘルパーだけを選んだ。
いつの時代にどの国で、同様の実験を行っても。結果は同じだった。例)京都大学2017年の研究。ハーバード大学「ビッグマザー研究」。
有象無象の逆張り厨よ、王道好きな私の完全勝利である。
冗談。勝ち負けなんてないよ。事実しかない。
人間は生まれたばかりの頃は、利他的な行動を好む傾向がある。ここには、否定する余地はもうほとんどない。
より重要なのは。成長するにつれて、人間社会の中でその必要を感じてか、暴力性などを身につけるという視点である。
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今どんなに、すれっからしであろうとも。
十中八九、あなたは天使として生まれた。
この世界にいるのは、自ら翼を棄てた人ばかりではない。複雑を極めた社会に、もぎとられた人たちもいる。この曲のタイトルが好きだ。みんな『Prayer X』だ。
Being Human 人間であることとは、何だ。
僧侶・詩人・哲学者・科学者・芸術家……が、この究極の問いにも答えようと、努めてきたが。フロイトやユングですら、意識について十分な説明をすることはできなかった。
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だが、模索することはできる。
多くの疑問に答えようとする過程で、私たちは、文明や芸術や哲学を築きあげてきた。
大切な何かをなくした時に感じるものだけではない。愛しあう2人がキスをする時に感じるもの。往年の名曲を聴く時に感じるもの。ジョークに大笑いする時に感じるもの。
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私たちは考えを表現する方法を学び、不安や危険についてのみならず、希望や愛についても語りあうことができる。それぞれが語り手となり、物語をつむぐことができる。
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何かが終わってしまっても、また始めることはできる。
これまで学者らは、人間が意思決定をする際にいかに間違いを犯すか、という例も次々と示してきた。
確率を誤解し・視野を狭め・間違ったことに注意を払い……大抵の場合、我々は失敗する。
不確実な状況下では決断が下手だということ。直感が誤った方向に人を導くということ。人々は、なぜか、そういう話を聞きたがる。自分の決定した内容がいかにまずいか、あるいは、他人の選択がいかに愚かであるか。そういう内容を聞きたがるのだ。
「なぜか」としたが。本当は理由はわかっている。私からは書かないよ。
考えてもみて。数世紀前、誰もが読み書きできるようになると、予想されていただろうか。
極論、どうせ死ぬのだから生きないのか。誰も、そんな考え方はしていないだろう。その解釈をひき伸ばしていけばいい。
リスクを完全に計算できる世界であれば、それこそ、統計的思考と論理でじゅうぶんだろう。しかし、現実はそうではない。
数学者や統計学者が開発した合理的な意思決定モデルよりも、ヒューリスティクス・経験則の方が、功を奏する時もある。
世界は、学びと気づきであふれている。勇気は、あなたの中からしか出てこない。
ガンダム・シリーズ作品の中で、「逃げたら1つ、進めば2つ」と、主人公が繰り返していた。Gunned Arm を操縦して戦争する時も。栽培したトマトを空腹の人々に配る時も。世界には、死だけあるのでも・生だけあるのでもない。
赤と赤のトラウマ・シーンとして、話題になったのは知ってるよ。私は、この信念に従ったら実際そうなるよなと、一切笑わずに観たけどね。
私も、自分をこの「タイプ」かと考えた時、また違うのだが。確固たるマイ・ルールもなく、それにそった究極の選択もしないような人らに、このキャラクターにドン引きする資格などない。
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