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病と戦のあいだには−−カミュ『ペスト』論考−−〈49〉

 組織内で同志たちと交わした、死刑の是非をめぐって互いに噛み合いもせず相容れることもかなわなかった不毛な議論を経て、タルーは結局それからほどなくして、関わってきた政治活動のいっさいから身を退くこととなった。
「…そこで僕は心の平和を失ってしまった。僕は現在もまだそれを捜し求めながら、すべての人々を理解しよう、誰に対しても不倶戴天の敵にはなるまいと努めているのだ。…」(※1)
「…僕はこう考えた−−差し当り、少なくとも僕に関するかぎりは、僕はこのいまわしい虐殺にそれこそたった一つの−−いいかい、たった一つのだよ−−根拠でも与えるようなことは絶対に拒否しようと。そうなんだ。僕はこの頑強な盲目的態度を選んだのだ。…」(※2)
 タルーは言う。誰もがそれぞれ自分自身の中にペストを持っている、そして「この世に誰一人、その病毒を免れているものはない」のだ、と。しかし、これからはもう自分自身けっしてペストに冒されることのないように、己れの為すべきことを為していけるよう努めねばならない。「ちょっとうっかりした瞬間に、ほかのものの顔に息を吹きかけて、病毒をくっつけちまうようなこと」のないように、「引っきりなしに自分で警戒していなければ」ならない。
「…自然なものというのは、病菌なのだ。そのほかのもの−−健康とか無傷とか、なんなら清浄といってもいいが、そういうものは意志の結果で、しかもその意志は決してゆるめてはならないのだ。りっぱな人間、つまりはほとんど誰にも病毒を感染させない人間とは、できるだけ気をゆるめない人間のことだ。しかも、そのためには、それこそよっぽどの意志と緊張をもって、決して気をゆるめないようにしていなければならんのだ。実際、リウー、ずいぶん疲れることだよ、ペスト患者であるということは。しかし、ペスト患者になるまいとすることは、まだもっと疲れることだ。つまりそのためなんだ、誰も彼も疲れた様子をしているのは。なにしろ、今日では誰も彼も多少ペスト患者になっているのだから。しかしまたそのために、ペスト患者でなくなろうと欲する若干の人々は、死以外にはもう何ものも解放してくれないような極度の疲労を味わうのだ。…」(※3)
 しかし、そのような意志と緊張こそが、「それだけがただ一つ、心の平和を、あるいはそれがえられなければ恥ずかしからぬ死を、期待させてくれるもの」なのだ。そして、「これこそ人々をいたわることができるもの、彼らを救いえないまでも、ともかくできるだけ危害を加えないようにして、時には多少いいことさえしてやれるもの」なのだ。
「…僕がいっているのは、この地上には天災と犠牲者というものがあるということ、そうして、できうるかぎり天災に与することを拒否しなければならぬということだ。これは君にはあるいは少々単純な考えのように思われるかもしれないが、果して単純な考えかどうか、とにかく僕は、これが真実であることを知っている。(…中略…)人間のあらゆる不幸は、彼らが明瞭な言葉を話さないところから来るのだということを、僕は悟った。そこで僕は、間違いのない道をとるように、明瞭に話し、明瞭に行動することにきめた。だから、僕は、天災と犠牲者というものがあるというのだし、それ以上はなんにもいわないのだ。万一、そういいながら、自分自身が天災になるようなことがあったとしても、少なくとも僕は自分でそれに同意してはいない。つまり、罪なき殺害者たらんことを努めているのだ。どうだい、たいした野心でもないだろう。…」(※4)

 一連の長い打ち明け話を聞き終えたリウーは、ではタルー自身としては、そのような日々の中でいかにして心の平和を取り戻すことができるのか、その糸口はつかめているのかと、相手に問うた。するとタルーは、「それは理解することだ」と即答した。そしてまた、「自分の最大の関心は、いかに人は神によらずして聖者になりうるかということだ」とも、リウーに語るのだった。
 リウーはそのタルーの言葉に、「自分は聖者よりも敗北者に心ひかれる、自分の関心は人間であることだ」と返す。するとタルーは、「自分たちは結局同じものを求めているのだ」と言いつつも、しかしその表情はどこか哀しげであるように、リウーの目には映った。

〈つづく〉

◎引用・参照
※1 カミュ「ペスト」宮崎嶺雄訳
※2 カミュ「ペスト」宮崎嶺雄訳
※3 カミュ「ペスト」宮崎嶺雄訳
※4 カミュ「ペスト」宮崎嶺雄訳

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