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エッセイ

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ただのエッセイです。好きなことを好きなように。思ったことを思ったように残しています。
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#エッセイ

二十世紀を生きる

二十世紀を生きる

※小学校5年生の文集より原文ママ

ぼくは今、二十世紀を生きている。ぼくは楽しく気楽に生きていきたいと思う。二十一世紀にはアイボや色々なロボットが開発されている。二十二世紀が楽しみだ。空飛ぶ車やペットロボットが作られたりするからだ。二十一世紀を生きている間に自然がいっぱいある所に住んでみたい。だって二十二世紀になるとハイテクぎじゅつが生みだした、機械とかが作られて自然がとりこわされそうだからだ。そ

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ふやけた過去と、腑抜けた今と、ぼやけた未来。

ふやけた過去と、腑抜けた今と、ぼやけた未来。

ここ最近、何事も無気力になっている。相変わらず「自分が何をしたいのか」とか「何のために生きているのか」とかそういうことばかり考えていて、挙げ句の果てには仕事に対してもネガティヴモード。その結果、クライアントにも迷惑をかけることになってしまった。本当に自分は何がしたいんだろう。自分には合っていないんじゃないかとまで考える始末。誰のために何のために頑張ってるんやろ。いや頑張ってすらないのか。知らんけど

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蝉時雨はもう聴こえない。

蝉時雨はもう聴こえない。

今年もまた8月31日がやってきて、夏の終わりを迎えようとしている。9月に入ったって急に秋らしさが訪れるわけでもないのに、夏休み最終日のイメージがあるからか、昔から8月31日がくると「あぁ、今年も夏が終わったな」という気持ちになる。

8月も後半に差し掛かると、明らかに鳴いている蝉の数が減っていることに気づいた。ほんの数日前までは、まるで機械音のようにその音色を掻き鳴らしていたというのに。何年もかけ

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29歳、団地で一人暮らしをするという選択

29歳、団地で一人暮らしをするという選択

2019年11月、ぼくは28年間暮らした大阪北摂にある実家を出た。一人暮らしをした経験がないということに加えて、28歳にもなってずっと実家暮らしという事実に、若干のコンプレックスを抱くようになっていた。20歳の頃から2019年12月まで大阪モノレール線と大阪北急行線(御堂筋線)を乗り継いで、片道およそ1時間の道のりを通勤していた。

電車に乗ること自体は、それほど苦に感じたことはない。むしろ電車に

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やさしい世界で生きるということ

やさしい世界で生きるということ

できれば、やさしい世界で生きていたい。それでもこの世の中には、平気で人を傷つけるようなことがたくさん起こる。人を傷つけたことに対して、謝罪がなければ反省もない人だっている。無駄なプライドや言い訳はたくさんあるのに。

傷つけられたことは、これまでたくさんある。けれど、「傷ついた」と主張することはほとんどない。人を平気で傷つけられる人に、「今の言葉、ちょっと傷ついたなぁ」と伝えたところで何も変わらな

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言葉にならない瞬間にちゃんと言葉を充てられる人になりたい。

言葉にならない瞬間にちゃんと言葉を充てられる人になりたい。

感情のボーダーラインがあるとすれば、その線をやや下回ったところを停滞気味に泳いでいるのがぼくだ。喜びとか楽しみとかそういうポジティブな感情を表現するのが苦手。あと感動系の映画とかドラマを観ていても、涙することはほとんどない。そして怒りを人にぶつけることも苦手だ。この時点で喜怒哀楽のうち、喜と怒と哀と楽は欠如している。全部だ。感情欠落人間。

そう思っていたけれど、ちゃんと嬉しいとか楽しいと感じるこ

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ワイプで抜かれたときにちゃんとリアクションできる人になりたい。

ワイプで抜かれたときにちゃんとリアクションできる人になりたい。

夜、ボーッとバラエティ番組を観ていた。芸能人がワイプで抜かれて「すーごっ!!」と言っていた。きっと自分自身がワイプで抜かれていることに気づいて、「ちゃんとリアクションしなきゃ」と思ったのだろう。あれは、間違いなくそれ用のリアクションだった気がする。

もしぼくが芸能人でテレビ番組の収録をしていて、ワイプで抜かれたとき、同じようにちゃんとリアクションできるだろうか。内心では、「わざとらしいリアクショ

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トンカツ弁当のトンカツの下に敷かれたスパゲッティみたいな人になりたい。

トンカツ弁当のトンカツの下に敷かれたスパゲッティみたいな人になりたい。

スーパーで割引の値札が貼られたトンカツ弁当を買った。電子レンジで温め直している間に、作り置きしていた緑茶をグラスに注いだ。何も食材の入っていない冷蔵庫は、ただ時折ゴウンゴウンと音を立てては、自分の存在価値をアピールしてくる。

「ピッピッピッ」と等間隔に音が鳴る。トンカツ弁当が温まったことを電子レンジが知らせた。「熱っ」という独り言を小さく言いながら、できるだけ触れないように、爪を立てるようにして

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誰かを好きになるということ

誰かを好きになるということ

思えば、ぼくたちは、生まれてからこれまで何度誰かを好きになっただろうか。自分より好きになって、自分より大切だと思える人に何度出会えただろうか。「好き」なんていうシンプルな感情に「利害」や「損得」、さらには「嫉妬」や「不安」、「期待」といったものを混ぜ合わせては複雑化してしまう。いつの間にか誰かを好きになることを面倒に感じてしまうほど、恋愛というものに距離を取るようになった。

「もう恋なんてしない

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自分を棚に上げて、他人の揚げ足ばっか取るような人間になってくれるな。

自分を棚に上げて、他人の揚げ足ばっか取るような人間になってくれるな。

ここ最近、芸能界が騒がしい。

どのチャンネルを見ても、SNSを見ても、吉本の件が流れてくるから、どうしても何かしらの情報が入ってくんねんけどさ。

雨上がり宮迫さんとロンブー亮さんの記者会見もライブで(全部じゃないけど)観た。亮さんのファミリーの話のくだりは、胸がきゅっとなる感覚があった。

子供が悪いことをして謝ろうとしてるのを止めるのが親じゃないと思うって、ほんまそうやんな。どうしたらいいか

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あなたにはあなたの道がある。私には私の道がある。正しい道、正確な道、唯一の道というものは存在しない。

あなたにはあなたの道がある。私には私の道がある。正しい道、正確な道、唯一の道というものは存在しない。

これは、ニーチェが残した名言の一つ。

俺は、哲学について専門的に学んだことはない。でも愛だの人生だのを考えるのは好き。

ニーチェは、1844年の10月15日に生まれた。俺が生まれたのは、その147年後の同じ日。

俺は、SNSなど「nihil(ニヒル)」という名義でやってて、この言葉には「虚無的」とか「冷たく醒めていて、暗い影のあるさま」といった意味がある。

これは、昔から「ニヒルな笑い方や

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あの遊びの名前を僕は知らない。

あの遊びの名前を僕は知らない。

「ぐりこ」
「ちよこれいと」
「ぱいなつぷる」
「ばいばい」

8月31日。夏の終わり日が暮れる頃。少年たちがそう言いながら家路につく。薄い水色だった空は、オレンジや紫やピンクに染まっていった。

ヒグラシの鳴き声は、もう聴こえない。代わりにスズムシたちの合唱が聴こえるようになった。夏らしさが少しずつ消えてく。

窓から入る風は冷たくて、あんなに待ち遠しかった夏はいつの間にか僕を追い越していたみた

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自分で自分のことを褒めてあげる。

自分で自分のことを褒めてあげる。

例えば自分に期待してくれる人がいるとして、でもその期待に応える自信がないというのは、誰にでもある話じゃないだろうか。

自分がどういう人間でどういう価値があるとかって、自分では気づけない部分だったりするから、そういう意味では期待されるのは嬉しい。

だけどいろんな人と会って、自分よりもすごい人がたくさんいて、そういう人たちを見ると自分もまだまだだなって思う。

もちろんそれで頑張ろうと思う気持ちも

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迷いながら、進んでみることの大切さ。

迷いながら、進んでみることの大切さ。

自分のやりたいこととか好きなことがわからない人って結構いるんちゃうかなーって思う。

昔から一つのことに取り組んできた人や自分にはこれしかないと思えるものがある人、やりたいこと・好きなことがすでにわかってる人もいると思う。俺はそんな人が羨ましく思った。

ずっと考えてた。

「本当に自分がやりたいことってなんやろ」
「自分が好きと思えることってなんやろ」
「自分が楽しいって思うことってなんやろ」

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