やさしい世界で生きるということ
できれば、やさしい世界で生きていたい。それでもこの世の中には、平気で人を傷つけるようなことがたくさん起こる。人を傷つけたことに対して、謝罪がなければ反省もない人だっている。無駄なプライドや言い訳はたくさんあるのに。
傷つけられたことは、これまでたくさんある。けれど、「傷ついた」と主張することはほとんどない。人を平気で傷つけられる人に、「今の言葉、ちょっと傷ついたなぁ」と伝えたところで何も変わらないと思うから。ぼくと誰かは違うということもわかっている。だから、そっと距離を取ろうとする。
けれど完全に取捨選択できない自分がいて、何度もしんどい気持ちになる。人を傷つけたくないから、「関わらないで」とは言えない。言わないで済むならそれでいいし、伝えたところで相手は屁とも思わないかもしれないけれど。いっそ誰も知らないところに行ってしまおうか、物理的に距離を取れば関わることもなくなるだろうと思うこともある。
「やさしくありたい、やさしい世界で生きたい」そう思えば思うほど、やさしくあることに辛くなってしまう。嫌なことがあったとき、傷つけられたとき、ぼくも人並には腹を立てるし汚い言葉を叫びたくなる。そんなとき、やっぱり心のトゲトゲを抜いてくれるのは、やさしい人だ。やさしくされると、少しずつ自分もやさしい気持ちになってくる。だからやさしさには、やさしさで返そうと思う。
無理に嫌な人と一緒にいる必要はないとわかっているし、わざわざ傷つく可能性があるところに身を置く必要もないこともわかっている。でもやさしさを持って接していれば、相手もやさしくなるんじゃないかと淡い期待を抱く。でもやさしさに対して仇で返してくるような人とは、それこそ思い切って関係を断ち切ることも大切なんだろう。
自己都合でしか言動できないような人。利害や損得だけを考えて近づく人。そして何よりやさしくない人は、ちゃんとミュートしていこうと思う。何十年と関係性を築こうと親しき仲にも礼儀はあるし、常識や思いやりだって必要だ。「付き合いが長いから」なんて何のステータスにもならない。恋愛も友情も、付き合いに「継続期間」なんてまったく関係ないなぁ。
「言いたいことを言うのが本当のやさしさ」というのは、その人にとってのやさしさに過ぎない。せめて「どうやって伝えれば相手を傷つけずに伝えられるか」そういう思いやりが大事だと思う。「相手の立場に立つ」とか「相手を思いやる」というのは、人によっては面倒に感じるかもしれない。でも大切なことって、大体面倒くさいことだったりする。
自分にやさしくしてくれる人、好きといってくれる人、大切に思ってくれる人、丁寧に接してくれる人、言葉を選んでくれる人。そういう人とだけ一緒にいたいし、自分も同じように返していきたい。