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【書評】井筒俊彦『意識と本質』を読めるような人に憧れる
ロッシーです。
井筒俊彦『意識と本質』を読みました(少し)。
『意識と本質』は、哲学者・井筒俊彦が「意識とは何か」「世界の本質とは何か」という根源的な問いに挑んだ内容で、名著といわれています。
「よっしゃ!それなら挑戦してやる!」
ということで私も挑んだわけです(無謀)。
さて、本書を手に取り、読み進めようとしたとき、最初にピピッと感じたのは
「こいつは手強い・・・」
ということでした。
私もかなりの読書経験を重ねてきていますから、ページをパラパラすれば「その本の戦闘力」が分かるわけです。
「こいつはやばい・・・」
でも、闘わずして引くわけにはいきません。所詮読書です。死ぬわけではありません。やるしかない。
というわけでゴング開始!
案の定、哲学書特有の難解な言葉や抽象的な内容により、一方的にボコボコにされつつもページをめくり続ける私。ヒットポイントは徐々に減少していきます。そして、最初のやる気は徐々に消え失せて義務感で文字を読む、いや、眺める状態。
「なぜ同じ日本語なのに理解できないのだろう?」
「これ以上闘う意味があるのだろうか?」
そして、とうとう撤退を決意し、白旗を掲げました。
まあ、仕方ありませんね。
難しい本を読むことは、筋トレのようなものだと感じます。私にとっては、自分のキャパを超える重量のウェイトだったのでしょう。当然ながら、持ち上げられない(=読めない)わけです。
そんな「哲学的筋トレ」を終えた後、ふと手に取ったライトノベルを読んだら、なんとまあ面白いこと、そして読みやすいこと(笑)。
「やっぱり本は面白くないとね」
と思いました(負け惜しみ)。
ただ、そうはいいつつも、やはりたまには『意識と本質』のようなムズ本に挑戦するのは悪くないと思います。筋トレのように、自分の限界を押し広げる体験として。
それにしても、こういう本をスラスラ読める人は凄いなぁと思います。そんな人になれたらいいなと思います。
ちなみに、ChatGPTに『意識と本質』の難易度について聞きました。
『意識と本質』は、普通の社会人が読むには難易度が高い哲学書です。抽象的なテーマと専門用語を多用し、西洋哲学や東洋思想、イスラーム神秘主義などの背景知識が必要です。井筒俊彦の議論は深く、簡単に理解するのは難しいですが、繰り返し読むことで徐々に理解が深まります。忙しい社会人にとっては時間と集中力が求められる一冊ですが、哲学や思想に興味があるなら、じっくりと挑戦する価値のある本です。
ですよね。
いつかまた挑戦したいと思います。
最後までお読みいただきありがとうございます。
Thank you for reading!