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コンプレックス・シリーズ

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コンプレックスのシリーズをまとめています! ノンフィクションの筆者の若い頃のハナシです!
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#ホテル

続コンプレックス Vol.3

続コンプレックス Vol.3

https://note.com/rich_duck373/n/n4181aaabe1ee

大阪のその結婚式場は、まあどうみても大したことの無い式場であった。
教職員組合の会館で、組合から補助が出ているとのことであった。

その組合というのが、よく分からない組織であり、今まではそこが経営していたのをこの度、民間に売るという話になったようだ。

今まで総支配人をしていた人から順番に面接をしていった

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続コンプレックス Vol.5

続コンプレックス Vol.5

ほどなくしてリクナビを見ていて
「新しいタイプの旅館オープン 支配人募集」
というのを見つけた。

『オッ!!』と思った!

食い入るように読んだ。
3回くらい読み直した。
よし!応募するぞ!!
って思い、連絡先をメモして、現地の住所もメモした。
こういうのは焦って応募して、下調べが不十分であるのがばれたら
大変なので、場所を検索したり、親会社の会社概要などを調べてみたりした。
「瀬の本」という地

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続コンプレックス Vol.2

続コンプレックス Vol.2

ある時、私の携帯に懐かしい人から連絡があった。
その人は、KKRを開業する時にチャペルの司祭として、
私が見つけてきて契約した人であった。

当時福岡は、新規ホテルがバンバン続いてオープンしていた。
ハイアットリージェンシー福岡、
グランドハイアット福岡、
ホテルオークラ福岡、
シーホーク、などなど…
ブライダルも激しい戦いであった。

私はKKRのブライダルの戦略を練る責任者という立場もあり、

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コンプレックス 29

コンプレックス 29

■コンプレックス 29

札幌の冬を見ないまま、涼しい夏だけを過ごして福岡に戻った。

子供達の喜びようは大変なものだった。

福岡に戻ってから、
地中海クラブのGMの話や、地方のホテルのGMの話などいくつかあったが、その話もどれもがうまく進まなかった。

ボクの出身地であり、ホテルマンのスタートを切った新潟の先輩にも声を掛けたみた。
随分久しぶりに連絡したわけであるが、先輩は
「○SGという非常

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コンプレックス 28

コンプレックス 28

■コンプレックス 28

しかし、ボクの方は簡単にはいかなかった。

まだKKRに籍がある時に「京都センチュリーホテル」の料飲支配人の話しがあり、面接に行ってきた。

京都センチュリーは、GMと総務部長がセゾン出身で、
ボクの今までの職歴をよく理解してもらう事が出来た。

面接のその場でGMより、
「うちの方はOKなので、あとはあなたがよく考えて判断してください。」と言われた。

考えに考えたが、

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コンプレックス15

コンプレックス15

「親知らず」を抜いたのもこの頃だ。
これを抜いた経験のある方だけが知っているあの恐怖!
ボクの場合は、更にいくつもの不運が重なった。
エドモントのあった飯田橋は東京の「ど真ん中」というと聞こえはいいが、実際は何も無い、全然オモロクない所なのだ。
唯一あるのが小さな出版社や、小さな印刷屋、あとは病院がやたらと多かった。
警察病院やら日本医科大学付属病院やら、
あっちも病院、こっちも病院という感じであ

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コンプレックス 12

コンプレックス 12

■第二章 ホテル・エドモント

昭和60年4月、ホテル・エドモントに入社した。

イタリア軒でスタートしたボクもそれなりに成長していた。

フェヤーモントには3年強お世話になったが、新潟に東急がオープンすることを知り、応募したところ東京で面接をしてくれた。給与も待遇も良さそうだった。

里心が出たのか、、、、
不摂生な一人暮らしにも少々飽き飽きしていたのも事実、

そんなことよりもよりも、恋愛がう

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コンプレックス 11

コンプレックス 11

フェヤーモントは日本のホテルの歴史を紐解くと、必ず登場するホテルである。

昭和39年の東京オリンピックで、海外からのお客さんが泊る施設が絶対的に不足することから、
第一次ホテルブームとなり、ホテルオークラ、ホテルニューオータニ、ホテルニュージャパン、
などの大型ホテルが、間に合わせるかのように続々とオープンした。

しかし、フェヤーモントの歴史は更に古いのである。
日活ホテルや、三番町ホテル、な

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コンプレックス 6

コンプレックス 6

■コンプレックス6
 
そうだ、あの時代はチップというものが存在していた。
 
今ではホテルは、ほとんでの人にとって何ら珍しくも無く、
披露宴やら宴会やら会議やらで利用したり、宿泊したり、
レストランやバーの利用も何の躊躇もないと思う。
 
お昼に、
「ちょっと高いけど、たまにはホテルのコーヒーショップで食べよっか!」
みたいなノリだと思う。
 
昭和52年~54年くらいが、丁度『過渡期』だったの

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コンプレックス 3

コンプレックス 3

■コンプレックス3

その3ヶ月の間で習得しておかなくてはならなかったグランドメニューの商品知識も、
全くもってあやしいものであったのだ。

ウエイターコートは着たものの、今度は不安が色々襲ってきた。

え~い、聞くはいっときの恥と思って、
黒服のキャプテンに「あの~ウィンナーシュニッツェルって、何でしたっけ?」
私は、優しく教えてもらえるものだと、何の疑いも持ってなかった。

しかし現実は違った

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コンプレックス2

コンプレックス2

イタリア軒からフェヤーモントへ

ボクは、新潟の高校を卒業すると地元のイタリア軒というホテルに入社した。

本当は数年先にオープンが決まっていたホテル・オークラ新潟に行きたかったのであるが、何と面接で落ちてしまったのだ。

落ちたのでは仕方ない…地元で一番有名なホテルで洋食のコックになることを目指した。
小さい頃から料理をするのが何より好きであったボクは、それを仕事にしようとホテルを目指したのであ

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