コンプレックス 11
フェヤーモントは日本のホテルの歴史を紐解くと、必ず登場するホテルである。
昭和39年の東京オリンピックで、海外からのお客さんが泊る施設が絶対的に不足することから、
第一次ホテルブームとなり、ホテルオークラ、ホテルニューオータニ、ホテルニュージャパン、
などの大型ホテルが、間に合わせるかのように続々とオープンした。
しかし、フェヤーモントの歴史は更に古いのである。
日活ホテルや、三番町ホテル、など 今は無いホテルであるが、
それらと同時期、昭和20年代の開業である。
残念なことに、数年前フェヤーモントも長い歴史に幕を閉じた。
東京のど真ん中に、これだけ静かで、緑に囲まれ、花に囲まれたオアシスは、中々無かったのであるが・・・
今、跡地は三井パークマンションという都内でも最高級のマンションに姿を変えてしまった。
私が在籍している時に、オープン30周年記念パーティーが開催された。
政界・財界から多数お招きしたパーティーであった。
会場は、地下の宴会場だけでは手狭な為、1階のダイニング・ルームもパーティーに使用することとなった。
パーティーは夕方なので、その日のディナーはどうするのかな?と、思っていた。
ある時、オーナー(かなりの年齢)がフラッと現れ、皆を集めてパーティーの説明を始めた。
「当日は、ダイニングもパーティーで使用するので、その日はバーでテンポラリーのダイニング対応をする」
なるほど、そういう事か・・・と、思った。
「そのテンポラリーのダイニングは、シャシャガワ(笹川)がシェキニンシャ(責任者)となってやりなさい!」
と言ったのである。
『えっ!?ボクが・・!?』って、感じであった。
その日は、パーティーがメインであるとはいえ、ダイニングの運営も極めて大事である。
ボクの立場は、やっとインチャージ(シフトの責任者)の真似事が出来るようになった程度で、
私の上には、上司や先輩が沢山いたのだった。
当時ボクは22歳かそこら・・・大抜擢であった。
先輩や上司が、
「良かったね!頑張れよ!」と、声を掛けてくれた。
ボクはオーナーに
「ありがとうございます。精一杯頑張ります。」
と、お礼を言った。
それからは、キッチンと当日の限定メニューの打ち合わせをして、そのメニューを準備したり、
ワインも自分でアイテムを決めて、絞り込んだ。
オペレーションの流れも詳細を決め込み、当日私をアシストしてくれるスタッフにその役割と流れをきめ細かく説明した。
普段オペレーションしている場所では無いので、
導線の問題から備品や飲料などを、どこに置いて、どうやるか・・など、見落としがあってはならない。
もう、胸がワクワクである。
そして迎えた当日。
バーの長いソファーのベンチシートにセットしたテンポ・ダイニングは、マキシム・ド・パリのように仕上がった。
照明を落とし、キャンドルを点け、中々いいムードである。
なんと、待ってましたよ!とばかりにどんどんゲストが見えて
満席になったのである。
事前に打ち合わせしたように、私はそのテンポ・ダイニングからは一瞬たりとも離れず、運ばれてきた料理をお出しし、そしてゲストとの会話を楽しんだ。
今でもハッキリと憶えているが、その日外国人の若いカップルが見えた。
これがハリウッド映画から抜け出てきたような美女と美男のカップルであった。
私は、東京に出るまで日常的に外国人と接する機会などは全く無く、外国人といえば、テレビや映画に出てくる、きれいな女性や、ハンサムな男性しか頭に無かった。
しかし、現実はあまりにも違っていた。
本当に恐ろしく違っていたのだ。
テレビや映画に出てくるようなきれいな女性や、ハンサムな男性など
“滅多に” “本当に滅多に”にしかいないということが分かった。
先入観は良くないということを、身をもって体得した!?
その割合というか、比率というか・・・
例えばホテルを利用する20代の外国人女性の中での美人の割合と、
同じく、ホテルを利用する20代の日本人女性の中での美人の割合を比較したとすると、
これはもう段違いで、日本人に軍配が上がるだろう。
私が日本人だからそういう判断をするので無くて、
審査員をアメリカ、フランス、ドイツ、イギリス、イタリア、スペイン、中国、韓国、日本
と特別審査員チームを作って審査しても、結果は変わらないと思う。
何が言いたいかというと、映画に出てくるような、或いはミス・インターナショナルになるような
美人でスタイルがいい(そうそう、これも重要、やたらデブが多い!あっ失敬)人は、滅多にいないということである。
しかし(話を戻して)、その日のディナーに見えたカップルは完璧な美男・美女であった。
写真に撮って、グラビアに使いたいくらいに・・・
ボクは彼らにサービスしながら、或いは会話をしながら、
その雰囲気に自分で酔ってしまった。
『まるで、映画のワンシーンのようだ・・・』と。
オーナーも見に来て喜んでくれた。
キッチンも予想以上の入客と、スムースなオペレーションを褒めてくれた。
ボクは、アシスタントを労った。
本当にうれしくて、フェヤーモント時代の大切な、そして素敵な思い出の1ページである。