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コンプレックス 3
■コンプレックス3
その3ヶ月の間で習得しておかなくてはならなかったグランドメニューの商品知識も、
全くもってあやしいものであったのだ。
ウエイターコートは着たものの、今度は不安が色々襲ってきた。
え~い、聞くはいっときの恥と思って、
黒服のキャプテンに「あの~ウィンナーシュニッツェルって、何でしたっけ?」
私は、優しく教えてもらえるものだと、何の疑いも持ってなかった。
しかし現実は違った。ものすごい雷が落ちた!
あまりにも怒り方が激しいので、正直かなり動揺した。
「お前は、バスボーイをやりながら、何をやっていたんだ。
商品のこともわからないウエイターがいるか!辞めてしまえ!」
やばい!と思った。なんとか起死回生が出来ないものか!とも思った。
そして、軽はずみな質問はつつしもうと心から思った。
つらいことは、連発して起こった。
ある日、ボクがキッチンにオーダーを通すと、
シェフがこう言った。
「お前が通すオーダーは意味が分からないんだ。どういう組み合わせで、どう出せばいいのか!
どういうお客さんなのか!全然分からない!もっと勉強しろ!!」
このときは、悔しくて、悲しくて、もう我慢出来ず、涙がこぼれ落ち、なかなか止まらなかった。
なんとかしないといかん!と、真面目に思った。
こんなこともあった。
ホテルの近くにあったトヨタの方が、よく外国人のお客さんを連れてきたが、
ある日のランチのことである。
その外国人のお客さんが私に
「ダークビア!」
と言ったのである。
ボクは、意味が分からなかった。
その外国人の方を連れてきた日本人のトヨタの方に聞いた。
「何をお持ちすれば、よろしいのでしょう?」
この時も、優しく教えてくれると、何の疑いもしなかった。
しかし、返ってきたコトバはこうだった。
「君はダークビアも知らないでウエイターをやっているのかね。
そりゃかなり問題だね。黒ビールのことだよ。情けない!」
この時も泣いた!かなり激しく泣いた!
そう、この時代、泣くことがやたらと多かった!
しかし、そのくやしさはバネになった。
泣いた時代があったから、今の自分があるんだと、
本当にそう思う。
でも、今思い出しても、切ない気持ちになる。
1978年の話である・・・
その後、ボクはマイケルH城と出会う。
彼との出会いは、私のホテルマンの人生を変えた大きな出会いであった。
フェヤーモントホテルは、日本武道館の北の丸公園から、千鳥ヶ淵というお堀の
対面に有るホテルであった。東京のど真ん中に有りながら、静かで緑も豊富な環境、
桜の名所としても都内で3本の指に入る。
このホテルが開業したのがたしか1952年位で、今から70年くらい前。
日本のホテルの草分けでも有り、日本のホテルの歴史をひも解くと必ず出てくるホテルでもある。
しかし、大変残念なことに20年ほど前に閉鎖してしまった。
イギリスで長く生活していたオーナーが、ヨーロッパのホテルをモデルにして造り、
又閑静な場所柄もあいまって、宿泊客の半分位は長期滞在の外国人であった。
ボクは当時メインダイニングルームのウェイターをしていた。
あるディナータイムに一人の男性客が現れた。
ボクはメニューを持っていき、彼に自然に話し掛けた。
「いらっしゃいませ。たしか半年ぶり位ではございませんか?」
「よく覚えているね。そうなんだ、半年ぶりに今日ニューヨークからさっきついたところなんだ。
最近日本に来る時は、このホテルを使わせてもらっているんだけど、僕の顔を覚えていて声を掛けて
くれたのは君が初めてだよ!」そういう風に彼は言った。
この方は、マイケルH城さんといって、若い時にアメリカに渡り、アメリカの国籍を取得、
ニューヨークの住友商事に勤務しているとの事。
日本には仕事で年に2~3回来て、1週間位滞在しているとの事をその時に聞いた。
その当時で50前位だったのではないだろうか。
彼はフェヤーモントに滞在中、朝食と夕食は必ずレストランを利用いただき、
ボクがいる時は必ずボクが対応し、シフトでボクがいない場合には彼の好みを
他のスタッフに伝えて対応してもらっていた。
朝食の時のコーヒーポットの大きさとか、トーストの焼き方、バターの量、
卵料理の好み等々・・、伝えなければならない点はそんなに多くも無いが、
その何でも無いような内容がとても重要だった。
彼に限らず長期滞在のお客様がほとんどのホテルだった。
長期滞在の外国人のゲストは朝食のメニューを持っていくと
メニューは見ないで「セームプリーズ!」と言うパターンが多いのだ。
日本語に訳すと「昨日と一緒のもので…」という事になり、
毎日全く同じメニューをずっと食べつづける方がほとんどであり、
なおかつその注文は極めて注文が厳しいのであった。
トマトジュースには、必ずタバスコとリーペリンのウスターソース、
1/4 に切ったレモンをリクエストする、オートミールにシュガーでは無く
蜂蜜をリクエストする、トーストの焼き方やベーコンの焼き方も異常に
こだわりを持っていて「ベリークリスピー!」と楽しそうに言うのである。
そして、気に入らなければ容赦無く『やり直し』を命ずるのだ。
目玉焼きを一つとっても、ワンエッグだ、ツーエッグだ、サニーサイドだ、
ターンオーバーだと細かい、細かい。
更に、ソフトし仕上げろ、だのハードに仕上げろだの、順番がどうだのこうだの、
とにかく複雑!ボイルドエッグなんか、2分30秒だとか、3分30秒だとか秒単位の注文であった。
オムレツのオーダーも多かった。プレーンオムレツ、チーズオムレツ、ハムオムレツ、
時々子どもがジャムオムレツなどというまことに?なものをリクエストすることもあった。
毎日朝食に300名以上のゲストが来て、あらゆる注文をするのでそれに応えるコックの技も
凄いものがあった。
O島さんという中堅のコックは、オムレツをフライパンで巻く際、通常はカンカンカンと
フライパンの手前を持ち上げ、何度も巻いていくのであるが、彼の場合はわずか3回で巻き、
そして そしてである、そのわずか3回で巻いたオムレツをフライパンの取っ手の上に置いた
皿にポンと飛ばすのである。嘘だ!と思うかもしれないが、オムレツが空中を飛びお皿の真ん中に
おさまるのだ。こういうのを神業と言うんだと思う。
ベリークリスピーのベーコン、それはナイフで切るよりも手で折った方が早いというような
カリカリなものである。こんなもの美味しいのか?と真剣に思ったりもした。
しかしそれよりも信じられないのはパンケーキウィズベーコン(ハムもあった)という、
まあホットケーキの薄めのケーキ3枚くらいにベーコンを添えた料理があったのであるが、
それをリクエストしたゲストは料理が届くと、ニコニコしながらパンケーキにも添えられた
ベーコンにもたっぷりとメープルシロップを掛けるのだ。
メープルシロップの水たまりのようにして、その水たまりの中からベーコンを美味しそうに
食べる様は、当時どう考えても理解出来なかった。
そんな信じられないような色んな食べ方を、ゲストは「セームプリーズ」で片づけてしまうのだ。
もうこっちは真剣勝負である。
そして、毎日ゲストは微妙に入れ替わっているし、メモする余裕なんかある訳無く、
全部自分の頭にインプットするしかないのである。
初めて見るゲストが来た時は、どういうものを注文するんだろうか?
この人も明日からセームと言うのかな?なんて感じの展開であった。
今思い出しても、本当に激しい日々であり、毎日が戦いであった。
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