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東浩紀 『ゲンロン戦記 「知の観客」をつくる』 : 人間なんて、こんなもの。

書評:東浩紀『ゲンロン戦記  「知の観客」をつくる』(中公新書ラクレ)

「生活? そんなことは召使いどもに任せておけ」
        (リラダン『アクセル』より)

これが、若き東浩紀のおかした誤ちである。
「経営雑務? そんなことは事務職にやらせておけ」という調子だったのだ。だから失敗した。

本書で語られる著書の半生を簡単に紹介すれば、東浩紀が同世代の仲間を結集した批評誌を作るために会社を設立したものの、会社を経営するというのがどういうことかを知らなかった世間知らずであったために、なんども失敗を重ねひどい目に遭い、それでだんだん世の中の現実というものを学んで「大人」になって、おかげで今では「自分にできる、本当に大切なこと」がわかったので、今ではそれをやってます。一一と、そういう感じの内容だ。

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したがって、「あの早熟の英才が、こんなこともわかってなかったのか」と驚かされるし、その一方「こんなに幼稚で愚かな失敗の数々を、よくもまあ正直に綴ったものだ」と感心させられはするのだけれど、しかし、結局のところ「自分は現在、良い場所にたどり着けた」と自己肯定している点では、ある種の自慢話であることも否定できない。最初に落としておいて、あとで上げる、という書き方である。

だから、東のファンは、その「正直で飾らない書き方」を賛嘆するだろうし、ファンではない人や、アンチは「なんだ、こんなことか」と言うだろう。どっちも間違いではないが、いずれにしろ、東の人柄なんかじゃなくて、批評文をそれなりに楽しんできた者としては「こんな常識的なところへ落とし込んで、自己正当化されてもな」という物足りなさを感じてしまった。

間違ったことを書いているとは思わない。だが、本書はわかりやすすぎてつまらないし、私は東浩紀にこんな文章を期待してはいなかった。
むろん、東自身も、批評家・東浩紀のファンが、今の「「知の観客」をつくる」事業家・東浩紀なんかを期待してはいなかったというのは重々わかって書いているので、それはもう仕方ないのだけれど、いずれにしろ、今の彼の事業において、ご当人が言うほど意義のあることができるとは思わない。結局は「知識人教」の信者を、薄く広げていくだけなんじゃないかとしか思えないのだ。
もちろん、そういう信者もいなくては困るのだが、それも「固定客」を作るに止まり、多くを期待することなど、まったく出来そうにないのである。

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ただ、「頭の良い人と賢明な人とは別物」という事実はだけ、再確認させてもらえたと言えよう。

初出:2020年12月23日「Amazonレビュー」
  (2021年10月15日、管理者により削除)

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