古谷経衡 『シニア右翼 日本の中高年はなぜ右傾化するのか』 : 右とか左とかではなく
書評:古谷経衡『シニア右翼 日本の中高年はなぜ右傾化するのか』(中公新書ラクレ)
とても面白く読んだ。
著者は、「若手の保守論客」から「リベラルの論客」に転じた人一一と言うよりは、「反・保守の論客」に転じた人だと、そう理解すべきなのであろう。
「反・保守」が、「保守派」の側から見れば「左傾した(左に転向した)裏切り者」というふうに映るわけだが、実際のところ、この人は、もともとリベラル的な体質の持ち主だったところに、それを修正するかたちで「本来の保守思想」が入ってきた結果、「保守」思想を持つ人になった。
ところが、日本の「保守派」の現実は、「本来の保守」とは似ても似つかないものだったために、おのずと「反・保守」に転じざるを得なかった、というようなことであろうし、本書には、そうした著者の内面性がよく反映されていて、そこが面白いのである。
本書の大雑把な内容を、Amazonからの引用で紹介しておこう。
見てのとおりで、本書で古谷が語っているのは、次のようなことだ。
(1) 日本で「保守派」が増えたと言われると、若者が右傾した考えられがちだが、実際には、増えたのは、右傾化した「高齢者」であって、若者ではない。
(2) なぜ、高齢者の右傾が増えているのかというと、インターネットのブロードバンド化(高速回線化)がなされ、動画がストレスなく見られる環境が整った後にネットに参入してきた、ネットリテラシーに乏しい高齢者が、楽に接することにできる動画、特にYouTube動画に接して、その内容を鵜呑みにしてしまったため。
そしてここで、私が以前にレビューを書いた、鈴木大介の『ネット右翼になった父』(講談社現代新書)の話になる。
鈴木大介は、同書で「父が亡くなった当初、私は父の使っていたパソコンのネット閲覧履歴や、遺された蔵書の一部を見て、父がいつの間にかネット右翼になっていたと思い衝撃を受けたが、よくよく考えてみると、そう簡単な話ではなく、詳しく調べてみたところ、父はやはり父であり、決して、歳をとって認知能力が衰えたために、ネット右翼になってしまった、というようなことではなかった」という、言うなれば「亡くなった父との、和解の物語」を描いていた、と言えるだろう。
私は先のレビューで、同書での鈴木のこの見解に対し「結局は、終始著者(鈴木)の独り相撲でしかない。大げさに亡父の右傾化を嘆いて、自ら進んでその事実をネットに晒したあげく、その罪深さや後ろめたさに耐えられなくなって、今度は、実は、父はネット右翼になっていたわけではなかったという、物語の矮小化を図ったにすぎない。それが本書だ」というような批判をした。
で、古谷経衡の方は、本書『シニア右翼』で、鈴木書の名を挙げた上で、鈴木や鈴木の亡父を直接的に批判するのではなく、そもそも「シニア右翼」というのは、もともと「いい加減に雰囲気だけの戦後民主主義者でしかなかったのが、ネット動画の一撃を受けて、それまでの曖昧な民主主義理解の間隙を突かれて、一気に右旋回したものにすぎない」というロジックで批判している。
つまり、鈴木は「父は、ネット右翼になったのではなかった。やはり、父の根っこは戦後民主主義的なリベラルであったのだが、そのリベラルさを補強するかたちで、保守的な言説に一部影響を受けただけだったのだ」と言い訳したのに対し、古谷は「もともといい加減な戦後民主主義者がネット右翼に転じたのだから、鈴木の父親のような場合は、ネット右翼に転じたわけではないということにはならず、そういうのこそが、ネット右翼の典型なのだ」とする議論なのである。
そして、こうした古谷の議論の根底にあるのは「社会党支持者だったにもかかわらず、決してリベラルな思想を生きていたとは思えない両親」に対する「愛憎」だと言えるだろう。
(もちろん例外はいるが)「戦後民主主義者」なんてものは、たいがいのところは「まがいもの」でしかなかったし、だからこそ、彼らは「情報の動画化」にともなって、いとも簡単に「保守派」に転じてしまったのだ、一一という見方の由来がここにあるわけだが、言うなればこれは、私がよく引用する「あらゆるものの、9割はクズ」理論(スタージョンの法則)と似たような考え方だ。
(3) では、なぜ「多くの戦後民主主義者」は、実際のところ「ただなんとなく、ふんわり」とした戦後民主主義者に止まったのであろうか?
その理由を、古谷は「日本の近現代史」に求め、「何かにつけて、不徹底でなし崩し的な日本人」の『未完の民主主義』に求めている。
戦後、戦争犯罪人を徹底して公職から追放したドイツとは違い、日本の場合は、戦勝国アメリカの意向が大きかったとはいえ、結局のところ、戦争を遂行した責任者たちが、そのまま戦後の政治世界を動かすことになってしまった。
つまり、戦争や敗戦の原因や責任を徹底的の総括し、その反省を未来に生かすということを全くしなかった(ことに代表されるような、それ以前からの、なし崩し体質の)ために、日本の「戦後民主主義」も、所詮は「与えられた」ものに終わった。
個々が、みずからの努力によって「血肉化」していなかったから、『後年になって動画という「一撃」で簡単にひっくり返ってしま』う程度のものでしかあり得なかったのだ、ということである。
この「日本人の精神史」における「歴史的理解」というのは、いささか「図式的」にすぎるきらいがあって、そのまま鵜呑みにすべきではないだろう。
けれども、ここで重要なのは、古谷が「自分で調べ、勉強し、自分の頭で徹底的に考えた」という事実である。
古谷のこうした見解は「お手軽な受け売り」ではないし、だからこそ簡単には覆されることはないのだ。
無論、古谷は「勉強家」なのだから、違った意見に耳をかたむることを厭いはしないけれども、しかし、そうしたものを「偉い人が言ってるから」とかいった理由で受け入れたりはせず、自分なりに調べ検討した上で、「心から納得できれば受け入れる」というスタンスなのである。
また、そんな古谷だからこそ、「保守業界」に入ってみて、「保守の論客」と言われる人たちの多くが、いかに「不勉強」であるかを知って驚愕し、自分の「啓蒙的努力」は「保守のお客さん」たちには決して届かないという事実を思い知らされるに至り、彼は、いわゆる「保守」を辞めるのである。
「こんなバカたちとは、つきあってられない」ということだったのだ。
したがって、古谷経衡においては、思想の「左右」は問題ではない(だから『SDGs教育の危うさ』を訴えもする)。また、言い換えれば「本物の保守かエセ保守か」ということも、さほど重要ではない。
彼にとって、重要なのは「自分で努力して身につけたものこそが、本物の思想」であり、語るに値するものなのであって、「自覚のない、借り物の思想を担いで回っている輩」など、左右の別なく「バカである」というスタンスなのだ。
つまり、本書から窺えるのは、古谷経衡という人が「ロジックの実質にこだわる人」であるという事実以前に、「情の人」であり、結構「熱血の人」だという事実である。
要は、左右の別なく「お手軽な人間」には我慢ならない人であり、そうした点では、日本の「保守業界の人間」などは、そもそも論外なのだが、それになまじ関わっただけに無視することができない。
また、何よりも古谷は、彼らと「直に接した実感」を持っているから、これほど確かな根拠はないと信じている。
古谷は、決して「体験主義者」ではないのだが、「反・イデオロギスト(反・頭でっかち)」という点において「体験主義者」的な人なのである(勉強とは、一種の体験である)。
そんなわけで、本書には、古谷経衡という人の「人となり」がよく現れていて、彼が「信用するに値する人」だというのが、よくわかる。
当然のことながら、彼も間違うことはあるし、その「体験主義(主観主義)」のゆえに、いくら勉強したとしても「感情に流される」ところはあるだろうが、少なくとも彼の言葉が「本音」に発するものであるという点で、彼その人は信用に値するということができるのだ。
彼は、そういう人だからこそ「不徹底な戦後民主主義者だったシニア右翼」が嫌いだし、「本を読まない、自称保守(やネトウヨ)」が嫌いなのだ。
そして、「盲信者が嫌い」という点においては、私の近い人間であり、私はそこに共感を覚えるのである。
くり返しになるが、彼が信用に値する人だとしても、だからといって彼の「意見」まで、そのまま信用するわけにはいかない。
けれども、結局のところ、人間にとって大切なものとは、「意見の正しさ」ではなく、「人としての正しさ」に発する「信用」なのではないだろうか。
(2023年4月20日)
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