溝口健二監督 『残菊物語』 : 忘れさられた「身分差別」
溝口健二の作品を見るのは、これが3作目なのだが、実はこのレビューを書き始めるまで、前の2作のことは、すっかり忘れてしまっていた。要は、面白いとは思わなかったので、記憶から消えていたのであり、私は本作『残菊物語』が、初溝口作品のつもりで見たのである。
溝口健二を見るきっかけは、映画評論家の蓮實重彦が溝口を「日本を代表する映画監督」だと書いていたからで、それなら代表作の1本や2本は見ておかないといけないなと思い、最初に見たのが、上田秋成を下敷きにした同題作『雨月物語』(1953年)だった。秋成の読本『雨月物語』は若い頃に読んでおり、そちらは面白かったので、それをそのまま映画化してくれていれば、「怪異譚」として面白かろうと思って期待したのである。
ところが、なるほどいちおうは怪異(妖怪)が登場しはするものの、そこが売りの作品ではなかった。言うなれば「良き夫が、妖怪に誑かされて、糟糠の妻を裏切る」といった話であり、物語の眼目は、その夫婦愛における倫理的な側面にあるような印象の作品だったのだ。だが、そもそも私は、夫婦愛物語にはほとんど興味がないし、相手が妖怪だから仕方がないとは言っても、主人公は、結局は妻を裏切ってしまう情けない男なので、物語として良い印象もなく、そのせいで楽しむこともできなかったのである。
しかし、原作つきの作品1作で評価するのも何なので、今度は(当時の)現代物を見ようと考えて選んだ2本目が『浪華悲歌』(1936年)であった。
こちらはタイトルにあるとおり、大阪を舞台にした作品だったので、大阪人である私にはひとまず取っつきやすいかもと、そう思ってのセレクトだったわけだが、こちらも正直ピンと来なかった。ほんの数ヶ月前に見たのだが、もはや、ストーリー以下、ほとんど何も思い出せない。ただ「嫌な話だった」という印象だけは残っており、そこでこの作品を拒絶してしまったから、記憶にも残っていないのではないかと、今となっては思う。
そんなわけで、『雨月物語』は見たけれども、溝口健二の作品という印象が残っていなかった。また、続いて見た『浪華悲歌』のことは、ストーリー以下その内容をほとんど完璧に忘れていた。そのため、しばらく経ってしまうと、私はまだ溝口作品を見ていないつもりになってしまって、「溝口健二の映画も、ひとつくらい見ないといけないなあ」などとボケ老人さながらなことを考えていたところ、代表作として、本作『残菊物語』を紹介する記事を見たので、「長い作品のようだけど、これを見るか」となったのである。この作品は「144分」の長尺作品であった。
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本作は、言うなれば「つくす女」の物語であり、いかにも古風な物語だ。
身分の低い女が、才能を伸ばしきれないでいた身分の高い男に出世してもらおうと損得抜きでつくし、男の方もそんな女に惚れるのだが、当然のことながら、男の家族は両者の仲を認めない。男は家を出て、女と共に苦労を重ねた後、ついにその才能を開花させ、故郷に錦を飾り、彼の成長を支え続けた女との仲も認められるのだが、その時すでに、長年の苦労で病みついていた女は、その喜びの報に接しはしたものの、若くして亡くなってしまう。一一と、そんなお話である。
この主人公の「男」というのは、実在した歌舞伎役者「二代目尾上菊之助」なのだが、この物語は、いちおう 「実話」だとされている。
しかしながら、
といったWikipediaの書き方からも分かるとおり、この物語が「どの程度、実話を元にしたものなのか、どの程度、実話に忠実なのか」は、私が簡単に確認した範囲では、今のところ、定かではない。
もちろん、主人公の「二代目尾上菊之助」は、歌舞伎の名跡「尾上菊五郎」(屋号・音羽屋)の「五代目尾上菊五郎」によって、役者にするために養子に取られた、言うなれば名門の「お坊ちゃん」なので、雑用を担う下女として雇われた女性に手をつけたり、時に本気になったりしたことくらいは、あっただろうし、また、結果としてそういう「身分」だった女性と結婚したというのも、事実かもしれない。
けれども、そうした恋愛のせいで、せっかくの立場を捨てて6年間もドサまわり役者に身を落とした後、それで芸を磨いて立派に復帰したなどという話は、いかにも出来すぎていよう。
だから、この物語自体は、半分はフィクション(作られた美談)だと考えていいだろうし、まじりっけなしの実話であれば、Wikipediaにも「実話を元にした小説」というような表記があったのではないだろうか。
要は、細かな部分では、ハッキリとした事実は確認されていないということなのではないだろうか。なにしろ昔の話だし、村松梢風が原作小説を書いた頃には、たぶん「二代目尾上菊之助」(生没年不詳)はすでに故人だったと思われるので、この小説は、あくまでも実在の人物をモデルにしたセミ・フィクションだったと考えるのが、妥当なところなのであろう。それで客の興味が引けるのであれば、そんな「伝説的な逸話」も、菊之助当人や歌舞伎界にとっても、決して悪い話ではなかったはずからである。
さて、そんな「歴史的事実」は別にして、この映画を見た、私の最初の感想だが、それは、「いかにも昔の日本のものらしい、嫋々とした風情のある人情噺だな」といったもので、今となっては作り得ない話だからこそ、けっこう新鮮であり面白い、というものであった。
というのも、この作品の「面白さ」というのは、あくまでもハッキリとした「身分(差別)」というものがあった時代なればこそのもので、その、個人の努力ではとうてい乗り越え得ない高い壁に挑戦し、犠牲を払いながらも、一応の「ハッピーエンド」を迎えたという作品だからこそ、この物語のラストは、単なる「今風のハッピーエンド」では持ち得ない、深い余韻を残し得ているのである。
もちろん、私はここで「差別があったから良かった」と言っているのではない。「犠牲を払いながらも、困難に打ち勝った物語だから良かった」と言っているのだけれど、問題は、今の観客に、この「身分差別」というものの重さが、本当に理解されているのだろうか、ということであった。
それが理解できていなくては、この作品を十全に味わうことはできないと思えたのである。
例えば、この物語の「あらすじ」として、前記のとおり、Wikipediaでは、実にあっさりと、
と書いているだけである。
もう少し、詳しい「あらすじ」紹介はないものかと、いつもチェックしている映画紹介サイトの「映画.com」と「Filmarks」、さらに本作の制作会社である「松竹」の作品データベースサイトをチャックしてみると、それぞれ次のようなものになっている。
この3つの「あらすじ」紹介を読み比べてみると、「ふざけているのか」と言いたくなる(2)は論外して、(1)が不十分ではあるものの、いちばん真っ当である。(3)は、少し詳しくは紹介してはいるものの『お徳は邪悪な女たちによって迫書され、終には追い出されてしまう。』とか『最期には、お徳の機転によって菊之助の芸の上達ぶりが養父たちにも認められ、芸能界で出世することができた』といった表現は、完全に間違いだとはいえないものの、いささか「盛った」表現であるというのが否めないからだ。
だが、こうしたことは、さほどの問題ではない。本当に問題なのは、この3本の「紹介文」が、いずれも「身分の高い菊之助と、身分の低いお徳」という、それこそ『ロミオとジュリエット』的な「単純な対立図式」で、本作の登場人物たちの立場を「単純化」してしまっている点である。
では、何がどう「単純化」されているのかといえば、それは「菊之助」は、単純に「社会的身分が高い」わけではない、という点である。
事は「あらすじ紹介」が語るような、そんなに「単純な話」ではないからこそ、この物語は「深い陰影」を持つことができたのだし、そこを理解していない人は、この作品を真に味わったとはいえないのだ。
今でこそ「有名芸能人」というのは「セレブ」などとも言われて「社会的地位が高い」と、広く認識されている。
だが、すくなくとも我が国では、「芸能人」というのは、長らく「被差別階層」とされてきたのであり、それがほとんど失われたのは、せいぜい「平成」の御代になってからではないかというのが、私の印象である。つまり、すくなくとも「昭和」の時代までは、ハッキリと「芸能人差別」は生きていたし、「テレビに出るような芸能人」以外の「芸能人」に対しての差別は、あからさまではないにしろ、今でも生きているのではないかと考える。
例えば、「被差別民」を指す言葉のひとつとして「河原者」という言葉がある。
この記述で注目すべきは、わざわざ、
と書いている点である。
つまり「芸能」にたずさわっていた者は差別されたけれども、「この言葉」で指し示される時代には、『能役者、歌舞伎役者』は「職業としては、まだ存在していなかった」ということである。一一しかし、これは、だから『能役者、歌舞伎役者』に対する「差別はなかった」という意味ではない。あくまでも「この時代(中世)には、能役者、歌舞伎役者は、職業として確立していなかった」というだけの話でなのだ。
では「なぜ、わざわざこのように断りを入れたのか?」といえば、それは『能役者、歌舞伎役者』もまた、差別されたからに他ならないからなのだ。
現に、次のような「補足説明」がなされている。
ここで考えて欲しいのは、今でこそ「芸能人」といえば、真っ先に浮かぶのは「テレビタレント」であり、テレビや映画で活躍する「俳優」たちなのだが、当然のことながら、テレビ放送が始まる以前、映画が発明される以前の時代には、タレントといえば、「舞台俳優」か「各種見せ物や寄席の芸能人」しかいなかったという事実だ。
しかも、かつて「新劇」という言葉があったのだが、この「新劇」とは、次のようなものである。
つまり、「新劇」であれ「新派(演劇)」であれ、それらは、それまでに存在した「演劇」である「歌舞伎」に対する「新しい演劇」活動であり、言い換えれば、それまでの「演劇」というのは、せいぜい「歌舞伎」や「能」ぐらいしかなかった。
そして、今でこそ「伝統芸能としての格式」を強調する「歌舞伎」も、じつのところ江戸時代までは、確実に「大衆演劇」だったのであり、本作『残菊物語』が描く「明治」時代には、まだまだ「大衆演劇」的な芸能の一種だったのである。
そもそも、なぜ「歌舞伎」に「名跡」などというものができたのかといえば、それは江戸時代に、優れた役者が登場して、「音羽屋」をはじめとした、そうしたいくつかの一座に、人気が集中したからである。
ここで考えて欲しいのは、「俳優の実力」なども、野球選手などと同じで、基本的には一代かぎりでしかないという事実だ。
もちろん、遺伝的に有利だということはあっても、絶対確実なものではないからこそ、「鳶が鷹を」産んだり、逆に「鷹が鳶」を産むことなど、何も珍しいことではない。古い例で言えば、王貞治や長嶋茂雄の息子が一流の野球選手になれなかったように、大谷翔平の息子が大リーグで活躍するような野球選手になる確率など、きわめて低い。
にもかかわらす、「歌舞伎役者」というのは、才能があろうとなかろうと、親の「名跡」を継ぐという伝統を今も温存しているからこそ、時に「身分差別」だと批判されることもあるのである。
では、なぜ、「歌舞伎」はこのような「身分差別的伝統」を温存してきたのかと言えば、それは「歌舞伎」という演劇が、「四民平等」になる以前に確立した「人気稼業」だからであろう。つまり、いったん得た人気も、その役者本人が老いたり亡くなったりすれば、それでその栄光もすべて無に帰してしまう。
だからこそ、それを「代々受け継ぐものだ」としてしまえば、少々「後継」に才能がなくても、「まあ、そういうものだ」とか「伝統が芸をつくる」などという「非科学的な贔屓目」で、大衆を煙に巻くことができるので、「そういう伝統を作った」ということなのではないだろうか。
で、「歌舞伎」が、このような「強固な伝統」を作ったのは、それだけ、彼らがじつは「日陰者の位置」から「日の当たる場所」に出た、その落差が大きかったということを意味すると考えていい。
つまり「せっかく手にした、この栄光を、私一代で失うわけにはいかない。いくら、舞台でチヤホヤされたところで、いざとなれば河原者呼ばわりされて、人間扱いされないなどという目を、子供たちには見させたくない」とそんな思いがあったからこそ「名跡を継がせる」という「伝統」が作られたのではないだろうか。
だから、本作『残菊物語』でも描かれているとおり、「歌舞伎役者」とは「ご贔屓あっての」存在であり、決して「威張りかえっている」わけではない。
後援をしてくれる「贔屓筋」はもとより、一般の「お客様」あっての役者であり歌舞伎だというのが、今も続く「歌舞伎界の伝統」であり、今では「謙虚」な印象のある「十三代目 市川團十郎 白猿」も、若い頃は「家柄を嵩にきた、イケイケ野郎」という印象が強く、事実、筋モノのからむ暴行事件の被害者になったりして世間を騒がしては、父親の「十二代目 市川團十郎」が、不肖の息子が「世間様」をお騒がせして申し訳ないと、可哀想になるくらいに謝罪していた。
しかし、よくよく考えてみれば、今の團十郎(十三代目 市川團十郎 白猿)が、今のように「落ち着いた」のは、単に「できた嫁を、癌で早くに失った」からとか「残された子供のために」とかいった、世間並みのことだけではないだろう。
彼が若い頃に「反抗した」のは、いかに「名跡の跡取り息子」だと周囲からチヤホヤされたところで、じつのところ「陰では蔑視されている」というのを知っていたからではないか。まさに『残菊物語』の主人公・「二代目尾上菊之助」のように。
だから彼は、そんな「世間の偽善」に対して、若者らしく「反抗」したのだが、「歌舞伎の暗い歴史と伝統」を理解している父親は、あくまでも「平身低頭」で、社会に対して謝罪した。
息子は、当初、そんな父の姿に苛立っていたのだろうが、子を持つようになって初めて、父親の気持ちがわかって、気持ちを入れ替えたのではないだろうか。
つまり「歌舞伎の名跡」というのは、あくまでも「被差別者が、自分と家族の身を守るための、一つの方便」であったのだと、そうした苦い現実理解に至ったのではないだろうか。
だから、本作『残菊物語』においても、単純に「身分の高い歌舞伎役者の菊之助と、身分の低いお徳との悲恋物語」と理解したのでは、事の半面しか見ていないことになる。
本作は、ともに「差別される者」の内部における「身分の違い」という「ジレンマ」を抱えた上での「悲恋」なのだ。だからこそ、その陰影の綾は深く複雑なものにとなる。
「差別されたお徳が、可哀想だよね」などという単細胞な話ではないのだ。本作は「差別された者が、別の差別された者のために尽くす物語」だったのである。
だから、物語の冒頭部分では、菊之助とお徳の関係を「身分違い」だという理由で認めなかった、義父の「五代目尾上菊五郎」が、最後は「菊之助を一人前の役者に育ててくれたのはお徳だ」と認めて、二人が夫婦になることを認めたのも、それは、人気歌舞伎役者と下働きの女との「身分の違い」というのが「本質的なものではない」と理解していたからであろう。どちらも、本質的には「被差別者」であると、理解していたのだ。
ただ「五代目尾上菊五郎」は、菊之助のお徳への思いが、所詮は「世間知らずの一時的なもの」だと思い、お徳の方も「将来を保証された菊之助に取り入ったのだろう」と判断したからこそ、両者の関係を認めなかっただけなのだ。
本気で「身分が違う」と思っていたのなら、いくらお徳の功績を認めたところで、二人が夫婦になることなど認めるはずがなかったのである。つまりこのラストは、決して、御都合主義的に非現実的なハッピーエンドなどではなく、歴史的な裏付けがあってのものだったのである。
本作『残菊物語』でも描かれているとおり、将来の身分が保証されていた菊之助は、モテモテで芸者などと遊んでいたわけだが、そんな芸者たちは、菊之助の女房に収まることを狙っており、そのための諍いも本作では描かれている。
これはどういうことかというと、歌舞伎役者というのは「客商売」なのだから、女房も「客あしらいのできる玄人筋の女」にすべきだという考えがあったということだ。
「芸者」を差別するのではなく、「歌舞伎役者」と同様の「人気商売」であり、「お客を適切にあつかえる芸者」などが、役者の嫁として「望ましい」と考えられていた。そういう事情と事実があったからこそ、芸者たちも菊之助に、本気で言い寄っていたのである。
これは言い換えれば、客あしらいのできない「素人女」ではダメだ、ということでもある。
今でこそ、すべての女性は「働きに出る」というのが当たり前になり、ある程度は「客あしらい」もできるようになった。
しかし、江戸時代においては、「玄人筋」ではない「素人女」とは、要は「武家の娘」「商家の娘」「百姓の娘」といった具合で、「客あしらい」とは縁のない女たちであり、身分が良かろうが悪かろうが「客を喜ばせる」技巧など教えられてはいなかった。だから、そんな「素人女」では「歌舞伎役者の嫁は務まらない」というのが、「歌舞伎界」の「自己防衛的な認識」であり、「五代目尾上菊五郎」が、菊之助とお徳の関係を認めなかったのも、じつは「身分違い」問題ではなかったのである。
そして、これは今の「歌舞伎界」においても、たぶんいまだに生きている考え方であろう。
なぜ、歌舞伎役者の多くが、「女優」だの「アナウンサー」だのといった「現代の芸能人」と結婚するのかといえば、彼女たちが「客あしらいのプロ」だからである。「美人だから」とか「同じ芸能界に所属していて、出会いの機会があったから」とかいった、浅薄な理由からではない。
彼女たちは「嫌な客相手でも、嫌な顔一つ見せないで、そんな客をもうまくあしらうことのできる、できた嫁」なのだ。言い換えれば、そういう女性でないかぎり、「女優」であろうが「アナウンサー」であろうが、歌舞伎役者の嫁にとは認めてもらえない。彼女らは彼女らで、「客商売のプロ」でなければならず、今風に「言いたいことは正直に言う」とか「嫌なものは嫌だ」というような女性は、決して「歌舞伎役者の嫁」とは認めてもらえないのだ。一一なぜならば、「歌舞伎役者とは、被差別者であり、いつその地位を失うかも知れない不安定な存在」だからである。
まただからこそ彼らは、「万人平等」が「建前」の今の世の中において、いくら世間から「身分差別」だと批判されても、「子供に名跡を継がせる」という伝統を、捨てようとはしないのである。一一それほど「身分差別」というのは、それを受け続けた人たちにしかわからない、根深い苦しみと恐怖を植え付けるものなのだ。
だから、本作『残菊物語』を見るにあたっても「身分の高い役者と身分の低い下女の悲恋物語」だなどという受け取り方は、間違いなのだ。
そして、「映画.com」や「Filmarks」、あるいは「松竹」の本作紹介サイトが、あのような「不十分な紹介」しかしていないのも、もちろん、紹介文執筆者の「無知」ということもあろうが、それが「補正」されないのは、「芸能人差別が、今も生きている」という事実を、隠したいからに他ならない。
今の多くの人が、「芸能人」を「憧れの存在」であり「身分の高い人」だと思っているのであれば、それが「歴史的には、誤った認識」であろうとも、その誤解は、そう悪いものではないのだから、そのままにしておこう。「触らぬ神に祟りなし」だという、そんなスタンスから出てきた、意図的な「片手落ち」紹介なのである。
だから、私のこのような説明文は、彼らからすれば「今や自然消滅しつつある芸能人差別を、わざわざ世間に教えるようなものだ」ということにもなるだろう。「寝た子を起こすな」「余計な真似はするな。お前に責任が取れるのか?」ということである。
だが、私はこうした立場には与しない。「差別の責任」をとるべきは、差別をする者であり、闘うべき相手も、差別をする者であり、その罪に気づかない「無知」である。
だからこそ私は、このような「反時代的な紹介文」を書いたのだ。
「臭いものには蓋をして、人々が忘れ去るのを待つ」といった、政治の世界などで典型的に見られる「日本人的な態度」を、私は良しとはしない。事実は、明らかにされた上で、それと正しく対決されなければならない。
「差別」と対決して、それで差別が完全に無くなることはないとしても、闘うことを止めたからと言って、それが自然消滅してくれることなどないと、そう確信するからである。
(2024年2月25日)
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