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森達也監督 『福田村事件』 : 日本人の顔をうつす「鏡」

映画評:森達也監督『福田村事件』2023年)

ドキュメンタリー映画の雄たる森達也が、初めて劇映画に挑んだ作品である。
しかし、森と「福田村事件」との関係は、昨日今日の話ではない。森は、2003年に刊行した著書『世界はもっと豊かだし、人はもっと優しい』(晶文社・ちくま文庫)に収めたエッセイ「ただこの事実を直視しよう」で、すでに「福田村事件」に触れているのだ。しかも、その当時「福田村事件」に関する公刊書は、まだ無かったようなのである。

森の出世作であるドキュメンタリー映画『A』を観て以来、森ファンとなり、その初期著作を10冊くらいは購入して、その中の半分くらいは読み、残りは、例によって積読の山に埋もれさせてしまった。その読めなかったもの中の1冊が、単行本版『世界はもっと豊かだし、人はもっと優しい』であった。

その後も、森の著作については、興味のある題材を扱ったものを、折に触れ購読した。『死刑 人は人を殺せる でも人は、人を救いたいとも思う』(2008年)、『A3』(2010年)、『U 相模原に現れた世界の憂鬱な断面』(2020年)、『千代田区一番一号のラビリンス』(2022年)、あるいは、森巣博との共著『ご臨終メディア―質問しないマスコミと一人で考えない日本人』(2005年)、望月衣塑子との共著『ジャーナリズムの役割は空気を壊すこと』(2021年)などがそうだ。

そんなわけで、森達也に関しては、それなりに知っていた。
だが、「福田村事件」については、森が「関東大震災時の朝鮮人虐殺事件」を扱った劇映画を「撮るらしい」との噂を耳にした段階で、その聞きなれない「事件名」を、たぶん初めて耳にしただけだ。その事件が、どの程度有名なものなのかもわからず「地味なタイトルだな。映画の仮題だろうか?」と思ったことだけは記憶している。
この時、すでにクラウドファンディングが始まっていたのか否かも記憶していないが、その準備中だという告知を見たような気もする。ともあれ、この作品をはっきりと意識して、観てみようかと思った時には、すでにクライドファンディングは終わっていた。まあ、著名な森達也が初めて劇映画を撮ると言えば、クラウドファンディングの応じるファンは少なくないだろうと納得できたのである。

 ○ ○ ○

映画『福田村事件』「あらすじ」は、次のとおりである。

大正デモクラシーの喧騒の裏で、マスコミは、政府の失政を隠すようにこぞって「…いずれは社会主義者か鮮人か、はたまた不逞の輩の仕業か」と世論を煽り、市民の不安と恐怖は徐々に高まっていた。そんな中、朝鮮で日本軍による虐殺事件を目撃した澤田智一(井浦新)は、妻の静子(田中麗奈)を連れ、智一が教師をしていた日本統治下の京城を離れ、故郷の福田村に帰ってきた。同じ頃、沼部新助(永山瑛太)率いる薬売りの行商団は、関東地方へ向かうため四国の讃岐を出発する。長閑な日々を打ち破るかのように、9月1日、空前絶後の揺れが関東地方を襲った。木々は倒れ、家は倒壊し、そして大火災が発生して無辜なる多くの人々が命を失った。そんな中でいつしか流言飛語が飛び交い、瞬く間にそれは関東近縁の町や村に伝わっていった。2日には東京府下に戒厳令が施行され、3日には神奈川に、4日には福田村がある千葉にも拡大され、多くの人々は大混乱に陥った。福田村にも避難民から「朝鮮人が集団で襲ってくる」「朝鮮人が略奪や放火をした」との情報がもたらされ、疑心暗鬼に陥り、人々は恐怖に浮足立つ。地元の新聞社は、情報の真偽を確かめるために躍起となるが、その実体は杳としてつかめないでいた。震災後の混乱に乗じて、亀戸署では、社会主義者への弾圧が、秘かに行われていた。そして9月6日、偶然と不安、恐怖が折り重なり、後に歴史に葬られることとなる大事件が起きる―。

『福田村事件』公式サイト・「物語」より) 』

ごく大雑把に言えば本作は、朝鮮帰りの澤田夫妻を狂言回しとして、「加害者側(福田村の人たち)」と「被害者側(香川から来ていた、幼児や妊婦を含む行商団の15人)」、そして「ジャーナリスト(架空の新聞社「千葉日々新聞」の記者たち)」の三者を描き、それらの物語が絡み合いながら、「虐殺」事件へと収斂していくさまを描いた「群像劇」である。一一ちなみに、行商団15人のうち、幼児や妊婦を含む9人が、村人たちに公然と惨殺されており、そのうち8名が「実行犯」として実刑を受け、2年余りの懲役に服したのち、大正天皇の死去(「崩御」などと、無考えに書きたくない)に伴う「恩赦」によって、残りの刑期から放免されている。

私は、本作を、イ・ジュンイク監督の『金子文子と朴烈』(2017年・韓国映画)と同日に観ている。『金子文子と朴烈』が先で、本作は後。あくまでも上映時間の関係であった、後先に意味はない。
『金子文子と朴烈』が今回、日本での再上映を果たしたのは、今年が「関東大震災100年」であり、森達也監督の『福田村事件』が話題に上っていたからであろう。
両作を続けて観たところ、『金子文子と朴烈』と『福田村事件』は、興味深いコントラストをなしていた。

私は、『金子文子と朴烈』のレビュー「イ・ジュンイク監督『金子文子と朴烈』:信念に殉じた人たちの背中」の中で、次のように書いた。

『この(※ 「朴烈事件」の)「Wikipedia」の説明からすると、私の印象では、映画『金子文子と朴烈』は、かなり歴史的事実に忠実に作られている。
もちろん、事実関係に関する「解釈」については、視点の違いによって、おのずと相違はあるし、そもそもこの映画では、二人は「ヒーロー」として描かれているのだから、そこで当然、(※Wikipediaの記載と)ニュアンスの違いは出てくる。』

つまり、『金子文子と朴烈』は、この二人を「権力に抗して闘ったヒーロー」として「誇らしく」描いているのだが、そうした点で、日本映画である『福田村事件』とは、当然のこととは言え、見事に好対照をなしていた。一一つまり、『福田村事件』に登場する「主たる人物(日本人)」は、被害者である行商団のメンバーを除けば、おおむね「情けない」人たちばかりであったのだ。

特に、視点人物になる、井浦新演ずるところの「澤田智一」が、その典型である。彼は、元は故郷たる福田村で教師をしていたが、併合された朝鮮での「共和」的な理想の実現を信じて朝鮮にわたり、そこで、国策会社の重役の娘・静子田中麗奈)を妻とする幸運に恵まれる。しかし、現地で「軍関係の通訳」をしていた結果、1919年(大正8年)に発生した「提岩里教会事件」の現場に立ち会うことになる。軍が狩り集め、教会に閉じ込めた「抗日運動」容疑の住民たちを、外から銃撃した挙句、火を放つという虐殺劇を目の当たりにしなければならなかったのだ。
もともと「リベラルな知識階層」の一人であった澤田は、その理想主義から朝鮮に渡った。現地の人たちに日本語を強制するのではなく、現地の言葉を学び、現地の人たちを対等に語らう中で、本当の「兄弟」であり「同じ国民」になろうと、そんな夢を抱いていたのである。ところが、その夢は、無惨にも打ち砕かれた。自分の朝鮮語は、軍に利用され、虐殺の道具にしかならなった。自分は、その虐殺を、ただ、呆然と見守るしかなかった。何もできなかったのだ。だから彼は、夢やぶれて自国に、福田村に、妻を連れて帰ってきたのである。
だが、そんな彼は、すでに抜け殻にも等しい「不能者」になり果てていた。

(澤田夫妻)

もうひとり、私が注目したのは、福田村の村長・田向龍一豊原功補)である。彼は、澤田智一と同級生で、共に大正デモクラシーの理想の影響を受けたリベラルであったから、澤田の帰郷を「やっと話のわかるやつが戻ってきてくれた」と喜ぶ。
そんな彼だから、関東大震災の避難民によってもたらされた「朝鮮人が集団で襲ってくる」「朝鮮人が略奪や放火をした」といった噂話を真に受けることはしなかったし、浮き足立つ村民たちに「冷静さ」を求めて呼びかけもした。内務省の通達として出された「鮮人による暴動などに対処できるよう、各自治体は自警団を組織して、有事の際には対処せよ」との通達には、あくまでも「準備しておくだけだ。そんなことにはならない」と自他を納得させようとしたのだが、彼と澤田の同級生でもある在郷軍人長谷川秀吉水道橋博士)は、そんな田向の態度を「おまえはアカか」とまで罵って、その楽観的な危機感のなさを非難するのであった。

(長谷川(右手前)に責められる、村長の田向)

そしてそんな中、いくつかの誤解が重なった結果、土佐から来ていた行商団の15人が「朝鮮人」ではないかという疑いがかけられる。
じつは彼らは被差別部落民であり、それを隠して行商を行なっていたのだが、そんな彼らですら、差別される朝鮮人に同情する者もいれば、「俺たちよりも下」だと見る者もいた。

ともあれ、当時の日本は、朝鮮を併合し、民族独立運動を弾圧していたため、「朝鮮人は、日本人を憎んでいるに違いない」という「後ろめたさ」を、日本人の多くが多かれ少なかれ抱えていた。そして、その「後ろめたさ」や「恐怖」が、併合後の不況のために、日本(内地)に出稼ぎに来ていた多くの朝鮮人に対する「蔑視」に変換され向けられていたのだ。
われわれ日本人は「何も悪いことはしていない」「何も憎まれるようなことはしていない」と、そう思いたいからこそ、それを否定するために「朝鮮人は恩知らずだ」「朝鮮人は、人としての礼儀を知らない、不逞のやからである」といった、自己正当化の理屈に変換されていった。
一一なぜ、こうした実体にそぐわない「差別」が生まれるのかと言えば、そこには大なり小なり「罪の意識」が働いているからであろう。自分に「後ろめたさ」があるからこそ、その後ろめたさを感じさせる対象に、逆立ちしたかたちで「後ろめたさ」を投映して、彼らこそが「加害者」であり、憎み見下して当然の相手であると思い込もうとする。
これは、現在のヨーロッパ社会における移民差別でも、同じことなのであろう。自分たちの搾取性をどこかで意識しているからこそ、移民が「人並み」を要求することが許せないと感じるのである。

クリスティアン・ムンジウ監督『ヨーロッパ新世紀』

しかし、そうして理不尽に「憎み」「見下して」いられるのは、自分たちが優位に立っていられる間だけで、実際にその相手が武器を取って立ち上がり、自分たちの目の前に現れそうだとなれば、その「憎しみ」や「蔑視」は、その原型である「恐怖」にまで差し戻されてしまう。
自分たちは、憎まれて当然、殺されて当然なのだという、意識化されない「恐怖」がいっきに吹き出すからこそ、「自衛のための暴力」は、当然のことだと確信されることにもなるのである。

そして、こうした「恐怖の感情に由来する攻撃性」の前には、「リベラルな知識人」の武器である「論理的な正義」や「情理の言葉」は、もはや通用しない。
すでに、人々は、恐怖に駆られて荒れ狂った獣のようになっているのだから、それを宥めるためには、噛まれる覚悟がなければならないし、それが恐慌をきたした人間集団であれば、殺される覚悟なくして、彼らを止めることなどできないのは「論理的に自明」であろう。

だから「論理的な者」には、そんな人々を止めることなどできない。彼らの前に立って「やめなさい!」と言えるのは、本作では、「何を考えているのかよくわからない人=論理的ではない人」として描かれる、澤田の妻・静子であったというのは、実に論理的なことだったのである。
そして、夫の智一が、そんな妻の「衝動的な行動」に続き得たのも、それは「理性的・論理的」な判断からではなく、もしここで静子を見殺しにしてしまったら、自分は、何もかも終わってしまうという「恐怖の感情」に駆られたからに他ならない。彼は、その時、「理性」や「信念」に目覚めて、行商団の人たちを今まさに殺そうと人たちの前に、妻に続いて「やめろ!」と言って立てたわけではなかった。彼は、妻に置き去りにされることが、怖かったのである。

(静子「あなたはまた何もしないつもり!?」)

私は、前述の、『金子文子と朴烈』のレビュー「イ・ジュンイク監督『金子文子と朴烈』:信念に殉じた人たちの背中」の中で、次のようにも書いている。

『じつのところ私には、この映画について、あまり語るべきところがない。「映画」としては、とてもよくできた「歴史的英雄の実話物語」だけれども、いまさら「この映画に学ばなければならない」ところなどなかったからだ。

ただし、それは、この映画を評価しないということでない。
要は、「学ぶ学ばない」ではなく、「やれるかやれないのか」を問われたのだ。「映画」以前に実在した二人(※ 金子文子と朴烈)の生き様が、私個人にその覚悟を厳しく問うてくるものだったのだ。
「彼らのように生きられるか?」という自問の切迫性においてこそ、本作は私をつかんで離さない作品だったのである。』

そして、これは、本作『福田村事件』についても、同じことなのだ。

つまり、不本意にも私は、「金子文子と朴烈」のようにはなれないばかりか、いざとなれば「澤田智一や田向龍一」のようになってしまわざるを得ないだろう、としか思えないのである。

もちろん、今の私は、彼らのような「ナイーブな理想主義者」ではない。むしろ、人間というものの度し難さに、絶望まではしないまでも、ほとんど諦めを抱いている人間であり、ただ、それでも最低限の「義理」は果たさなければならないという意識から、かろうじて、ネット右翼と喧嘩したり、継続的にこうした言説を紡いだりしてきたのである。

在特会のヘイトデモ)

私がこれまでに何度か「昭和天皇は、先の戦争責任をとって、自裁すべきであった」などと明言し、書いてきたのも、あるいは私が、自らの批判論文について「相手を殺すつもりで書いている」とか「批判された相手が、それで自殺してもかまわないという覚悟で書いている」などと明言するのは、私がいざという時に、必要な言葉を発せられるようにするための、言うなれば「平時における予行演習」みたいなものだったのだ。

日頃「無難なことばっかり言っている人間」が、本作を観たくらいで、必要な時に、いざという時に、澤田静子のような言葉を発することなどできないのは、わかりきったことだ。
だから、いざという時に少しでも高く遠くへ飛ぶための訓練として、日頃からそうした「非常識な言葉」を、あえて発しているのだ。それでも、いざという時には、脚がすくんで動けないだろうと思いながらも、である。

本作のパンフレットに収録された文章の中に、『歎異抄』から次の言葉が紹介されていた。

『これでわかるであろう。どんなことでも自分の思い通りになるのなら、浄土に往生するために千人の人を殺せとわたしがいったときには、すぐに殺すことができるはずだ。けれども、思い通りに殺すことのできる縁がないから、一人も殺さないだけなのである。自分の心が善いから殺さないわけではない。また、殺すつもりがなくても、百人あるいは千人の人を殺すこともあるだろう』(現代語訳)

これは、「普通の人」たちが、「罪もなき朝鮮人」を虐殺したという事実に、ぴたりと当てはまる言葉であろう。

多くの人は、自分が「人を殺したりはしない」と思っているし、まして百人千人を「虐殺したりなんかしない」と思っているだろう。
仮に、そこに多少の自己懐疑を持っていたとしても、ひとまず「公式見解」としては「そんなことはしない」「するわけがない」と言うだろう。「戦争にでもならないかぎりは」と。

しかし、自慢するわけではないが、私は、そんな自己過信は、若い頃に早々に捨てていた。つまり、私は、必要と思えば人殺しくらいはできる人間だと思っていたし、大量虐殺だって、その地位と権力が与えられれば実行しかねない、過激で果断な人間だと思ってきた。

警察官として40年間、腰に下げた拳銃を使わずに、無難に退職に至った自分ではあるけれど、必要とあれば、人を射殺するだろうし、できるだろうと思ってきた。その際に躊躇などしないし、その必要もないと思ってきた。やる時はやるし、やらねばならないのだ。それを、日頃は、できないかのように言うのは、卑怯なごまかしの偽善だとすら思ってきた。
一一つまり、私は、極めて危険な人間であるとの自覚を持っていたから、「地位や権力」を持ってはいけないと思ってきた。まして、上位下達の「権力装置」である警察組織の中で出世することなど、無責任で無考えなことだと思ってきた。
偉そうな上司に対しては、「俺がおまえの立場なら、そんな、階級に依存しきった幼稚な御託ではなく、反論不能な正論で、おまえを殺しているところなんだよ。私がおまえほど、身の程知らずの馬鹿ではなかったこと、自覚的昼行灯であったことに感謝するんだな」と腹の中で嘲笑っていた。

実際、暴力団どおしの抗争事件が発生して、組事務所の張りつけ警戒などに従事させられた時などは、まったく本気で「通りすがりに組事務所に向けて、2、3発、壁を撃って逃げるような、しょーもないことをせずに、堂々と殺し合いしたら良い。いっそ双方の関係者全員を、小さな無人島に閉じ込めて、どちらかが勝ち残るまで、撃ち合いをさせたら良いのだ」などと、可能であるならそうさせれば良いと、本気で思い、そう口にしていた。私が「絶対的な独裁者」であったなら、それくらいのことはしかねない人間だと、本気でそう考えていたのである。
だから「気違いに刃物」を持たせるべきではないと、「出世や権力」は、自制して生きてきたのである。「負け犬の遠吠え」をしている方が、世のためでもあれば、自分のためだとも考えたのだ。


(組事務所への発砲事件が発生すると、当分の間、24時間の張り付け警戒がなされる)

だから、私は本作を観て、虐殺をしたのが「普通の人たち」だったからといって、少しも驚かないし、意外でもなんでもない。
「普通の人」とは、「馬鹿」で「ヘタレ」だから、自分の本性に気づかず、恐怖によって容易に恐慌をきたして「とんでもないことをしでかしてしまう」のだと、そう考えるからだ。

だから私自身は、そんなものにはならない、という自信ならある。
しかしながら、そんな狂った人たちを止める自信はない。弱い犬こそ危険だということを理性的に知っており、その一方、私自身は、狂犬の前に飛び出す、愛のある馬鹿にはなれそうなもないである。

しかし、前述の『金子文子と朴烈』のレビューでも書いたとおり、私は、この二人のように、なりたいのだ。一種の「美しい馬鹿」になりたい。
『福田村事件』でいうなら、澤田静子のような愚か者になりたいのだ。

だが、本作『福田村事件』は、私の目の前に「でも、おまえの本性は、やっぱり澤田智一であり、田向龍一なんだよ」という、見たくもない現実を突きつけてくるから、とても不快な作品だし、だからこそ素晴らしい作品だと評価するのである。

だから本作は、「現実逃避を望まない人」のためだけの「傑作」なのだ。


(2023年9月28日)

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