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#エッセイ

人の話を本気で聞いたことがありますか?

宮古島でも入院 また宮古島の話だが、私は宮古島でも入院してしまった。  さいわい、大きな総合病院があり、医療面では何の問題もなかった。  むしろ、全般的に親切で、すんなり入院できて助かった。 看護師さんがすわりこむ 驚いたのは、入院してからだ。  お年寄りが看護師さんに何か話しかけると、看護師さんは立ち止まって聞くのではなく、そばに腰を下ろして、「さあ、じっくり聞きますよ」という態度で聞く。  廊下でも病室でも。  それがどうしたと思うかもしれないが、そんな姿は東京で

浪人時代の私が17年越しに起こしたちょっとした奇跡のおはなし

嘘のようで嘘じゃない、本当のおはなし。 1ヶ月ほど前のある日、業務関連の連絡で埋まっていた私のメールボックスに、なにやら気になるタイトルのメールが届いた。 件名:「ただの思い出話ですー」 見るとそれは本当に感謝してもしきれないくらい、当時お世話になった高校の恩師からの突然のメール。卒業後も何度もお世話になっていたものの、とても久しぶりだったので 「なんだろう?」 と開いてみると、そこには17年前に本当に必死になってあがいていた頃の私の記憶とともに、その時起こった奇跡

2021、すきだった本と日々のこと

¥300

ピリオド

ひょんなことで笑ってみせたり、突然悲しくなったりして、たまに感情というやつは非常に厄介なやつだと思う。喜怒哀楽に揺さぶられて、生きていくのはジェットコースターに乗っているみたいで、いつか乗り物酔いを起こしそうな気がする。 かといって、自分の感情に蓋をしたいわけでもなく、なるべく自分の意思を大切にしたい。ときには我慢を強いられる場合もあるけれど、それも人生と割り切れる強さがあったなら、少しは生きやすくなるのかもしれない。 時刻は2時を迎え、脳も体も疲れがピークに達している。

相手に合わせて、言葉への真剣さをチューニングしていると思う

ことばを大切にする人の前では、少し緊張する。その人に適当なことを言ってがっかりされるのが嫌だから、いつも以上に向き合いたいと思って慎重になる。 逆にこの人の使う言葉が好きじゃないと思った時、私の中でほんのりと距離ができる。 相手が言葉に興味がないなと思えば、自分の中のチューニングを変えて、言葉の解像度をうんと下げる。 その人が一番現れるところと思ってしまうから、見た目より、地位より、私には相手の言葉が重要だった。 こうやってnoteをしていると、周りには言葉を大切にす

大好きな人との結婚が幸せとは限らない。

ときどき聞かれること。「結婚してどうですか?」 うーん。楽しいよ! うちの夫は一切家事しないけど、優しいし。 友だちいなくて家でhuluばっかり観てるけど、愉快な人だし。 毒舌だけど、思ったことはハッキリ言ってくれるから楽だし。 私が作った料理に全然「おいしい」って言ってくれないけど、毎晩「今日の夕飯なに?」って聞くのはかわいいし。 結婚してから数年が経って、つくづく、好きなだけじゃ一緒に暮らせないなあ、と思う。おばあちゃんになったらまた変わるのかな、どうなんだろな。 恋

いつまでも綺麗な人々は、意識の積み重ねで出来ている

先日職場で「見た目的に年齢近そうだな〜」と思っていた人が10個も歳上でひっくり返った事件があった。 もちろんその日の夜は念入りにパックをしていつもより丁寧に保湿して、将来私もそうやって思われてぇ〜って考えた。 最近身に染みて感じることは、「意識の高い場所にいると、自ずと意識が変わるよな」ということ。 当たり前ですが…って感じなのだけど、こうやって身に染みて感じると色々考えてしまう。 だって、 アパレル業界の人ってマジで若々しくて綺麗なの!!! 私は今26歳なのだけ

何年分の思い出よりも、心を動かす一瞬を

恋愛においても、仕事においても、それ以外においても、一瞬の尊さを実感する。 特に恋愛においては、残酷なほどに当てはまってしまうことが多い。 例えば好きな人と長年付き合ったとして、自分も、相手も、心を強く動かす出会いがあればその一瞬の前では、たくさんの思い出も塵になって消えていく。 思い出の多さや、築いてきた信頼関係は、確かにそこにあって、それが偽物なんてことは決してなくて、大事な人であることに変わりはなく、傷つけたくはないと思う優しさそれが同情だとしても愛の残り香だって

終わった恋の、正しい始末のつけ方

「本当の愛」というものを知らないくせに、大きな口を叩きますがね。 大人になると、時々、常軌を逸した失恋を経験してしまうことがあるじゃないですか。 あれ、なんとかならないもんですかね。 「あの経験をして良かった」 そんな風に思えるのは少なくとも数年先で、あいつに似た姿を街中で見かけるだけで、普通にパニックになりますからね。 「可愛い私を見ろバカ後悔しろ死ね」という思いから、SNSをアヒル口の自撮りアイコンに切り替えてしまいますからね。 その人の名前によく似た駅や、土

「あぁここが好きだった」とこぼれ落ちる時は大抵

「あぁ、ここが好きだった」とこぼれ落ちる時、そういう時は大抵、すでに少し遠くから、その人を見ている。 物理的にかもしれないし、心理的にかもしれない。一歩離れた時それに気付くような気がする。 そういう風に、好きなところ・好きだったところに気付く時、ちょっと寂しいけれど、自分で無意識の内に、少し遠くまできてしまっているのかもしれない。 「好きだなぁ」「好き!」「こういう所が好きなんだよなぁ」みたいな、そういう「好き」の“温度”とはすこし違う。 「 あぁ 」という、感嘆が出

22歳になんか、なりたくなかった。

1.  窓に映る名前も知らない町と、いまどこにいるのかさえわからない自分。 新幹線に乗って東京にいくのは、これが2回目。 東京は、大きいようにみえて底が浅い。 今住んでる京都や、その前に住んでいたロンドン(正確にはロンドン郊外)と比べると一目瞭然だなと思う。 新しく入れるキャパシティなんて、もう残ってないのに 拒むことができなくて全てを受け入れてしまう。 そしてどんどん、生活や時間や気持ちが飽和してしまって溢れてしまって その中で上手に泳げない人や息継ぎできない人は、押

「結婚」はしないと思ってた。

「結婚」なんてしないだろうと思っていた。 それだから、まだ付き合ってもいない彼から唐突に 「なんか……結婚したいですね」 と言われたときは、なんて気の合わない人なんだろうかと首を傾げたものだった。 「結婚は……、どうでしょう」 わたしは答える。 もちろん、そういった幸せのかたちがあることは知っているし、大切な誰かが誰かと結婚するとき、わたしは心の底から「おめでとう」と言うことができた。 けれど自分のこととなると、どうだろう。なんだか途端に妙な気持ちになるのだ。きっと、「自分

冷めきったフライドポテトだって、制服を着ていればおいしかったんだ

年末が近づくと、友人からの連絡頻度が増えて心が少し沸き立つ。 もうじきやってくる仕事の繁忙期に向けて、同棲中の恋人と「今年も乗り越えておいしいもの食べよう」と笑ってグータッチを交わしたり、「年末はいつものメンバーで集まろう」という連絡に早打ちで「もちろん」と返したり、気が引き締まる思いだ。 それぞれバラバラのところに住む幼馴染がみんな一度に集まれるのは、お盆や忘年会くらいのもので、会うたびに成長した姿を見て自分も頑張ろうと思える。 同時に変わらない安心感と居心地の良さに

僕の好きだった人

小5の春だろうか。 僕は、隣で本を読む少年に恋をした。 「その本、面白そうだね。僕も買おっかな?」 「貸そうか?もう読み終わるし」 なんか、そういう会話が最初だった様な気がする。その子は、ただ僕の読みたかった小説を貸してくれたのだ。 小学5年、僕は仲のいい子たち全員とクラスが離れ、そして中学受験のために本腰を入れて頑張ろうとしていた。 それと同時に読書に没頭していた。 当時では、同じ趣味を持つ人間はいない様な歴史小説に純文学、難しめのテーマの専門書。 そういった