大木 亜希子
《エッセイ/月1~2回ほど更新》心の叫び、人に言えないこと、過去の恋愛振り返り、小説やエッセイのネタ備忘録を、思うがままにつらつらと。濃い内容を書いていきます。まずは1年間の継続が目標です。(2021年2月開始〜)
日々の雑談系のnote
小説執筆がひと段落したので、近頃は友達と遊んだり、マッサージに行ったり、一人で箱根に旅行に行ったりしている。 そう書くと「リア充だな、大木亜希子」と思われる方もいるかもしれない。 しかし、正直なところを言えば、私は
(※ちょっと今回のマガジンは、デリケートな話になります)
私がどこで何をしていても、何者であるかに関わらず、永遠に優しくしてくれる人たち。 私は友達の数は少ないけど、おひとりおひとりと濃密に過ごせてるから悪くない。人付き合いという次元を越えて、いつも泣きそうなくらい大切に思える。 何度でも私を再生してくれる彼女たちに、心底救われている。
仕事机の隅にある聖域。 ピンクのバラ(1本買っても10本買っても、いつも感じがイイ近所の花屋)、堀文子さんの絵葉書を写真盾に入れたもの。面積は狭くとも、たしかに日々の生活の中で目に留まる小さな楽園が私を生かす。 丁寧に生きるのは誠に面倒臭い。でも、面倒さを越えた先に安らぎがある。
誕生日を迎えた。 今まで私は誕生日が心底苦手だった(誰かからはお祝いが来て、誰かからは来なかったと他者を値踏みしてしまう、醜い自分が現れるため)。 でも今年は「いつもと変わらない日々を過ごす」と誓い、普通に朝起きて、仕事して、散歩して、仕事した。 夜は倹しく自炊し、友達からのお祝いメールを返し、再び仕事して、心の揺れが少ない日にしてみたら心の内面の充実が過去イチ素晴らしかった。 人生って、悪くないなと思えた。誕生日というものも、悪くないなと思えた。 見栄や虚栄心のよ
昨日、仕事の打ち合わせをしていた時、話の流れから編集者さんに「今の大木さんが素敵ですから、今を生きて下さい。今の佇まいのままでお願いします」と言って頂く機会があった。 その時、あぁ、どうにかこれまで粘って頑張って生きてきて良かったなと思った。 それだけ、その言葉が刺さった。 嬉しかった。嬉しくて、寂しくなった。 同時に、「今の大木さん」という言葉から派生して、こんなことを思った。 備忘録として、以下に綴っておきたいと思う。 ◆ 昔から、ボーっとした子供だった。
花を買った。精神衛生が良くなり、ドヤ顔をしたくなった。一輪の花には、それだけの力がある。 得たいものを得るために欲望を律し、物事の優先順位を守り、意地でも物書きの矜持を守る今の自分が結構好き。そりゃ、24時間ずっと完璧ではないし、自堕落さとは友達。でも、最後には自分を信じている。
先日、10代の頃から私を知っている人と再会する機会があった。 その人は、私が女優をやっていた頃、お世話になっていた人だった。
誰かが貴方に、「こうしたほうがいい。それが貴方のためになる」と言ってきたとしても、ピンとくるまで、その言葉は寝かせてていいよ。 誰かの言葉に影響を受けても、最終的には何を選んでも自分の本質に戻ってくるから、だから貴方は掻き乱されず、焦らず、自分のままでそこにいてよ。頼みましたよ。
この六月は、狂ったように遊び倒した。 私は心のどこかで、いつも「遊んでいる暇があったら、仕事、もしくは仕事に準ずることをするべき」という強迫観念があった。 そんな感情を抱くに至ったのには明確なきっかけがあり、それは、10代の頃に出会ったモラハラ系
満月の夜に、ダラダラと1人語りました。 ごくたまにしか配信しないのに、「聴いてる」って言ってくれる人が多く、優しさの権化なの??ここは素敵な世界線なの?? って思ってます。いつもありがとうございます。 順調に愛しております。おやすみなさいませ。
近頃も、締め切りと格闘している。ほとんど誰とも会っていない。 だからと言って、完全に自宅に籠っているかいえば、そうでもない。 近所のお散歩をしたり、ご近所さんと(道すがらに)世間話をしたりはしている。 このマガジンにも書いている通り、年明けから精神的にやられてしまう事案が続き、本当に大変だったので、「何事もない、穏やかで安らかな状況」が死ぬほありがたい。
おはようございます。 「今さら?」という感じでもあるのですが、近頃ようやく人様とのコミュニケーションに慣れた気がして、しかし、私生活で小さな事件も頻発し、もうアワアワという感じでおります。 宜しければお耳、貸して下さいませネ。 ▼
先日、昔好きだった人と遭遇する機会があった。 顔を見た瞬間はさすがに心肺停止し、呂律が回らなくなり、盛大にテンパってしまった。 どれだけ大人の対応をしようと思っても、全然、無理だった。 しかし、まあ全て終わったことだし、それは流石に理解しているので、湿り気を帯びた空気感を出すこともなく、一見すると全然普通に大人同士として無難に会話をした。 なんなら、私は彼の前でサバサバとした性格すら演じてしまった。 「もう貴様に未練なんか1ミリもないんです」ということを強調するため
近頃、思うことがある。 それは、いささか自分が職業や肩書きに囚われすぎていた、ということだ。 例えば最近、初めて会う人に自己紹介する際、必ず 「作家の大木亜希子です」 と、挨拶をしていた。 そこには相手との会話が以降、広がりやすいようにという、自分なりの配慮もあったと思う。 私自身も、相手がどんなことをしているのか知りたいし、職業や肩書きを名乗るのことは、社会で生きる上で当たり前と言えば当たり前のことなのだろう。 しかし、そうしたエクスキューズを差し置いて、よく
おはようございます。 最近の感情の報告を。