水菜なゆ

考えていることを書き留める用途で使っています。基本(火)(金)更新。 ・文章を書いたり絵を描いたりするのが好きな子どもが女子校中高大を経て、職に就き、気付けば三十路目前。 ・教育系私企業に正社員講師として6年勤め、現在は同社内でWebデザインをしています。

水菜なゆ

考えていることを書き留める用途で使っています。基本(火)(金)更新。 ・文章を書いたり絵を描いたりするのが好きな子どもが女子校中高大を経て、職に就き、気付けば三十路目前。 ・教育系私企業に正社員講師として6年勤め、現在は同社内でWebデザインをしています。

マガジン

  • 玉坂汐音という存在

  • 国語の"正答"とは何か

  • 長子であるという呪い

    三人兄弟の一番上。妹弟を持ち育った女。兄弟のことも家族のことも好きだけれど、それでも呪いのようなものは奥深くにあるようなそんな話。教育現場にいた時の感覚も含みます。

  • 「テニプリっていいな」に全て帰結する話

最近の記事

  • 固定された記事

誰が"普通"なのか

Anyone out of the mainstream. Is anyone in the mainstream? 「誰もがメインストリームの外側にいる。いったい誰が"普通"の中にいるんだ?(一部意訳)」 これはジョナサン・ラーソンが書いたミュージカル『RENT』の中にある台詞(歌詞)だ。この言葉が世に出たのは1996年、今から24年前。セクマイをはじめとしたマイノリティについての議論など、今とは比べ物にならないほどに存在していなかった時代だ。 30年近く生きてきて

    • 私という生き物の正体

      私は、できそこないだ。 私は、"人"の形を取り繕っているだけの、ぶよぶよに溶けた何かだ。 4年前に書いた記事にも出てきた、こいつだ。 思春期の頃は自分のことを「欠陥人間」と呼んでいた。 あの子が持っているこれを、その子が持っているそれを、私は何も持っていない。取り柄のない。可愛げもない。そんな私のことを誰が好いてくれるんだろう。そう思ったから卑屈になることだけは避けた。卑屈になりそうな私を注意してくれる人がいた。好きなものには夢中になった。夢中になった私を褒めてくれる人が

      • 玉坂汐音という存在 #6

         大学生になった私は、それはそれは充実した毎日を過ごした。  片想いで終わる前提ではない恋愛を知った、お酒も知った、様々なすったもんだの当事者にも傍観者にもなった。そうしているうちに、玉坂汐音という存在は過去のものになっていった。  前回の最後に触れた「汐音の未来の話」がなければ、大学生になった時点で私は彼女から解放されただろう。あの短編、汐音が小説家として自立し、取材旅行に行く空港でかつての片想い相手と再会するという話を書いていなければ、汐音という存在は中高時代の架空の人物

        • カワイイは作れるし、カワイイは作れるようになっている

           とても正直なことを言おうと思う。  私は、恵まれた容姿を持って生まれたと認識している。  ただ即座に補足しなければいけないこともある。  幼い頃から、私には外見のコンプレックスが数えきれないほどあった。自分の外見を良いとは全く思えなかった。妹のように切れ長の目がほしかった、足が大きくて可愛い靴がはけない、髪が多くてごわごわの直毛で可愛くない、クラスのあの子みたいに華奢な身体になりたい、妹みたいに、クラスのあの子みたいに、妹みたいに、クラスのあの子みたいに、妹みたいに、クラ

        • 固定された記事

        誰が"普通"なのか

        マガジン

        • 玉坂汐音という存在
          6本
        • 国語の"正答"とは何か
          2本
        • 長子であるという呪い
          2本
        • 「テニプリっていいな」に全て帰結する話
          2本

        記事

          自己紹介

           はじめに このnoteの意図がなんとなく定まってきたような気がするので、いろいろと整備をしていこうと思います。  私が書く外的な意図は「私の言葉に誰か1人でも何かが動かされて、何か1つでも重いものが軽くなってほしい」というものです。自分語りやぼやぼや考えたことを書いてすっきりしたいというのもあるんですけど。  それを踏まえると、私の人となりを知ることは一長一短であるかもしれません。知らないからこそなんとなく寄り添えるものもあるかもしれないし、知ってもらえたからこそ心の隅の孤

          自己紹介

          国語の"正答"とは何か#2

           私自身の中学時代の国語を語るのと同時に、塾社員講師として地元の中学生に国語を教えていたことも並行して語る必要がある。そこには大きな隔たりがあるからだ。  私が某私立中高に入学して驚いたのは「書かされる量」だった。  入学時に渡された古風なノートには、学校行事のたびに感想文とも小論文ともつかない自由な文章を書いて提出することを義務付けられていた。  理科では毎授業の実験や観察のたびにレポートを書かされ、家庭科でも調理実習で作ったものをもう一度家で作り、そのレポートを書かされ

          国語の"正答"とは何か#2

          国語の"正答"とは何か#1

           「このときの作者の気持ちを答えなさい」  よく揶揄される、こういった国語の問題。実際に多いのは「主人公の気持ち」や「作者の意図」といった作問であって「作者の気持ち」はそりゃ知ったこっちゃないわ、締め切りに追われているわ、となるのだが、それはそれとして、『国語の正答』に関してはいろいろと考えることがある。  結論から言ってしまえば、こういった古来からの国語試験の正答とは「目に見えるものを拾えるか(これが俗に言う"読解力"の正体なんだと思う)」「教えた先生の結論を覚えているか、

          国語の"正答"とは何か#1

          結局、自分を好きになるしかない

           自分が正しいと思うことが周囲の人にとっても正しいことなのか、常に小さな不安と恐怖が付き纏っている。  ただ、ふと裏返してみれば、私の正誤判断はただ自分にのみ委ねられているのではないだろうかと気付いた。もちろん、「誰かがそれを良いと言った、悪いと言った」ということを無視しているわけではない。しかしそれは一要素であり、それを吸収した上で、私は自分の経験とデータと感覚で目に見えるもののグラデーションを判断している。  その判断を下した後で、自分の意見として他人とぶつかってしまう

          結局、自分を好きになるしかない

          9歳の私がたぬきちと再会した話

           久しぶりのnote更新になります。筆がたどたどしいかもしれませんがご容赦ください。  1ヶ月ほど同人誌の原稿を怒涛の勢いで進めていました。やっぱり本を作るのって良いですね。自分の作品ながら惚れ惚れしちゃいます。あと何万回チェックしても完成品で見つかる誤植は本当になんとかなりませんか?他人に見てもらうしかないんだろうか……。  さて、突然ニンテンドーSwitchを手に入れたので、遅ればせながら『あつまれどうぶつの森』を始めた。  どう森は私の幼い記憶にも色濃いゲームである

          9歳の私がたぬきちと再会した話

          長子であるという呪い#2

           長子は生まれた時に、正確には弟妹ができた時に自動でそれを運命付けられる。どの兄弟構成もそうであるが、自分からそうなろうと思ってなるものではない。  だから「お兄ちゃん(お姉ちゃん)になるんだからしっかりしなきゃ」などと突然言われるのは当人にとって心外である。それは親の都合だ。長子という役割を急に与えられることも、だからしっかりして面倒を見なければいけないという強制も、全部親のタイミングで、親のエゴである。だから「お兄ちゃん(お姉ちゃん)なんだから」という言葉が呪いになるのだ

          長子であるという呪い#2

          子どもに合った受験をさせたいねという話(神奈川)

           公立中学校の生徒たちを何百人と見てきた中で、私はぼんやりと考えてきたことがある。  「私が公立中学校に進学していたら、どのくらいの内申がもらえてどれくらいの公立高校に行けたのだろう」ということだ。  今から15年以上前、神奈川県に住む私は私立中学受験をした。そして無事に第一志望の某大学付属女子校に合格し、その門をくぐった。もとから小説を書くことが好きな小学生だったが、今もこうして書き続けているのは、中学での国語の授業や先生との出会いが決定的だったと確信している。それ以降の

          子どもに合った受験をさせたいねという話(神奈川)

          長子であるという呪い#1

           小中学生の学校教師や塾講師を生業としている者で「子どもの兄弟構成を言い当てられる」と自負している人は、実は少なくないと思っている。  現場から離れて幾年か経ってしまったために今では自信はなくなったが、私もその特技を持った1人だ。  というのも、「兄弟構成」は個人の人格形成において、かなりの影響を持っているからだ。これはなにか実証されたデータを見たわけではない。職業上の累積記録と、周囲の知人友人を見てきた感覚と、私自身の恨みにも似た経験によるものである。  長子はマイペース

          長子であるという呪い#1

          真面目に生きてる真面目に生きてる真面目に生きてる『RENT』11/13(金)ソワレ公演

           2012年の賀来賢人マーク&中村倫也ロジャーの公演以来、8年ぶりのRENTである。今回観るにあたって、私は小さな疑問を抱いていた。  『2020年の現在を生きる私に、1991年のRENTの世界はどう映るのだろうか』  『25年前のジョナサン・ラーソンの魂は、現在の私たちに響くのだろうか』  私は最も好きなミュージカルに必ず挙げるほどRENTが好きだ。特に大学生時ミュージカルショーをやった際にコリンズをやらせてもらい、その練習を通じて夢中になった。『I'll cover

          真面目に生きてる真面目に生きてる真面目に生きてる『RENT』11/13(金)ソワレ公演

          私はスーツが嫌いだ

           新卒で入った会社での勤務を続けて、現在7年目になる。  弊社は入れ替わりが激しい。正直、1年目が終わるころには同期が半分の人数になるのがお決まりという会社だ。  よって社員としての本番は2年目からであり、いわゆる「華の2年目・3年目」という感覚が私にはあったし、今になって振り返ってみてもそれは間違いではないと思う。白いふわふわしたコートを何の抵抗もなく買えたあの私は、正しい若さを持っていた。  そんな型通りの女性社員のつもりだった私が、「お前だけは違う」とある先輩に言わ

          私はスーツが嫌いだ

          moonというゲームは何のアンチテーゼなのか

          1997年発売のプレイステーションゲーム「moon」が、昨年ニンテンドースイッチに完全移植された。 最近、ふと思い立ってこのゲームの考察を検索し、最近のものをいくつか読んでみた。いくつか読んだところで、拭えない違和感を確信した。ちがう、moonの毒気はそんなところにあるんじゃない。moonの意図はそんなに刺々しいものではない。そんな思いが止まらなくなってきた。そこで、今回はmoonのゲームメッセージについて少し考えたいと思う。 moonのラスト・根幹に関わるネタバレを含むので

          moonというゲームは何のアンチテーゼなのか

          UNDERTALEというゲーム アルフィーとアンダインについて……ではなく女の子同士の恋の思い出#2

          ※この記事はUNDERTALEのPルートネタバレを含みます。 今回は9割個人的な思い出話です。本当に思い出話をしているだけです。 改めて私のアンダイン、「初恋の女の子」の話をする。 彼女は中2・3時のクラスメイトだった。日本舞踊を習い、剣道部のキャプテンをしており、性格も風貌もさっぱりとした、誰もが「あの子はカッコイイよね」と納得するような女の子である。反面、ジャニーズなど当時の女子中学生らしい趣味を持つような「親しみやすい女の子」でもあった。 いつから彼女に劣情を抱き始め

          UNDERTALEというゲーム アルフィーとアンダインについて……ではなく女の子同士の恋の思い出#2