9歳の私がたぬきちと再会した話
久しぶりのnote更新になります。筆がたどたどしいかもしれませんがご容赦ください。
1ヶ月ほど同人誌の原稿を怒涛の勢いで進めていました。やっぱり本を作るのって良いですね。自分の作品ながら惚れ惚れしちゃいます。あと何万回チェックしても完成品で見つかる誤植は本当になんとかなりませんか?他人に見てもらうしかないんだろうか……。
さて、突然ニンテンドーSwitchを手に入れたので、遅ればせながら『あつまれどうぶつの森』を始めた。
どう森は私の幼い記憶にも色濃いゲームである。私が初めて買ってもらったゲームはゲームボーイポケットとポケモン緑だったのだが、小学校にあがるかあがらないかくらいであった身にはチャンピオンロードのかいりきのギミックが解けず、四天王戦は攻略本の中の世界になってしまっていた。
しかし、どう森が発売されるころにはそこらへんの知性や考える力が揃ってきており、私はひたすらのめりこんだ。(同時期のポケモン金銀クリスタルにも大変のめりこんだ。バクフーンのひーちゃんは未だに私の中に住んでいる。)
どう森ユーザーとして、なかなか理想的な子どもだったと思う。学校や塾が終わり、家に帰って落ち着いたころに任天堂64の電源を付ける。妹と一緒にやっていたので、それぞれ30分~1時間ずつやって交代する。現実主義で実直な妹はみるみるうちに最後のローンを返済し終わり、駅前に銅像を立ててもらっていた。私はひたすらのんびりしたいことをし、お気に入りの住人と遊んでいた。(当時のお気に入りはカエルのクワトロだった)
落とし穴には何回もはまり、ハチには必ず追いつかれるので木を揺らすことは怖く、リセットさんには一通り怒られ(画面を消されたときは結構本気でびびった)、時間操作をすれば雑草が生えまくりゴキブリも出てきて面倒なことも、身を持って知った。
私のゲーム最盛期はそこで終わったが、DSおよび3DSでも引き続きどう森シリーズは遊んでいた。スマホのポケ森もやった。
ただ、いまいちのめりこまなかったというのが正直な感想だった。
だから、今回も悩んだ挙句に買った。
SNS時代の現在、この類のゲームは上を見れば見るほどげんなりするパターンが多い。住人厳選、地形変化、見た目もすぐに変えられる……。幅が増えて便利になったからこそ、一言で言ってしまえば「飽きやすい」のである。
特に周りは見ないで、通信も自分からはせず、マイペースにやっていこうかとぼんやり考えながら、私はあつ森を購入し、始めた。
発売当初から何人もの配信者・実況者のゲーム画面を見ていたので、プロローグや一通りの流れは知っていた。それにも関わらず、私の中に新しい感情が生まれた。
DSだって3DSだってスマホだってやっていた。それなのに、遠い昔の、それこそ64で遊んでいた時代の感覚が、懐かしさが、小学生の自分が、そこにいた。気付いた。テレビ画面でプレイするどう森は、実に20年ぶりだった。
たったそれだけの違いで、20年前の感覚が次々によみがえってくる。64の画質や色彩、まだ髪型も帽子も全員固定だった自分、小汚いたぬき商店の小さなご主人だったたぬきちは、今や「社長」と呼ばれていた。それだけで、勝手に自分の20年とたぬきちの20年が平行して頭の中を流れる。
テレビ画面を見ながら、スティックとBボタンを押し込んで村を走り回る。それだけのことが、小学生であった私を呼び起こしたのである。
なんだかLoL以外のゲームをやるのもとても久しぶりなんですよね。
moonもついに手に入れたので、眠れない夜にちょこちょこ進めていくと思います。しょっぱなから”自分でプレイする”からこその辛さを感じて泣きそうになってしまったところもあったので、機会があればmoonの記事もまた書きます。