長子であるという呪い#2

 長子は生まれた時に、正確には弟妹ができた時に自動でそれを運命付けられる。どの兄弟構成もそうであるが、自分からそうなろうと思ってなるものではない。
 だから「お兄ちゃん(お姉ちゃん)になるんだからしっかりしなきゃ」などと突然言われるのは当人にとって心外である。それは親の都合だ。長子という役割を急に与えられることも、だからしっかりして面倒を見なければいけないという強制も、全部親のタイミングで、親のエゴである。だから「お兄ちゃん(お姉ちゃん)なんだから」という言葉が呪いになるのだ。

 先日、私の妹夫婦に2人目の男の子が生まれた。
 それ自体は大変喜ばしく、生まれた次男くんもとても可愛い。ただ、やはり周囲の大人たちの反応がどうしても気になるのである。
 「お兄ちゃん」となった長男くんが3歳で道理が通じにくく暴れ盛りであるのは分かる。ただ、全員が次男の味方になるような態度が気に入らない。3歳にはまだ分からないとでも思っているのだろうか。あれはきっと伝わるのだ。「誰も自分の味方ではない」という空気は。
 しかし、過保護になってもいけないとは思う。ここが私自身の成長において失敗した点のような気もする。呪いにならない程度に、「うかうかしていると周りの注目は奪われていく」という感覚は身に着けておかないといけない。
 私は長男に絵本をあげた。本人にも親にも言っていないが、「お兄ちゃんになった記念」を作ってあげたかったのだ。

 子どもの教育の基本は「○○ができて嬉しい。○○ができる自分が好きだ」という気持ちを芽生えさせることだと思っている。
 だから”良いお兄ちゃん(お姉ちゃん)”になってもらうためにも、「お兄ちゃん(お姉ちゃん)でよかった。そんな自分が好きだ」と思わせることが重要ではないだろうか。弟妹と一緒に遊んだり、世話をしたり、なにか自己犠牲をした時に「親や周囲の大人が褒めてくれた」という経験は、大人の想像以上に彼らには響くものだ。忙しい毎日の中で忘れてしまいがちだが、"褒める"という動作は本当に本当に重要である。大人からすれば当たり前だったり、損得を考えるとそこまで得ではないことでも、実は子どもが頑張ってやろうとしてくれたことが隠れている。できるだけそれを見逃さず認めてあげることは、長子に限らず必要なことだ。

 そう思ったのは、「となりのトトロ」のサツキについての考察を読んだことに端を発する。
 サツキは国民的なお姉ちゃんキャラの中でも、特に模範的な姉だ。入院している母の代わりに家の母性となり、仕事漬けの父を見守り、メイと四六時中一緒にいる。「もう知らない!」と自分がメイを突き放したせいで彼女が行方不明になってしまったときは、”自分のせいで”メイになにかあったらどうしようという途方もない不安を抑えこみながら、必死になって探していた。
 サツキがこうした姉でいられるポイントは、母のお見舞いに行くシーンにある。母はじゃれつくメイを半ば無視する(と言うと語弊があるが)ように、サツキに話しかけ、サツキを褒め、サツキの髪を梳かしてあげる。母は「サツキが甘えられる場所」を作っているのだ。事実、サツキが子どもになって甘えられる人は母しかいないのである。
 「お母さんが褒めてくれて嬉しい。お母さんに甘えられて嬉しい」という気持ちが、"お姉ちゃん"である自分への気持ちをプラスにしてくれているのだと思う。

 アニメを数話しか見られていないので細かく言及はできないが、現在「長男」と言われて人々の頭に思い浮かぶ彼、「鬼滅の刃」の炭治郎も、根本にあるのはまさにこれだろうと思う。
 「兄(姉)であることを当たり前だと思われない。無意識に我慢していることや嫉妬する気持ち、自分だって……という気持ちを(特に親に)少しでも分かってもらえる」ということが、長子という役割を自然と与え、呪いにはさせない方法なのではないだろうか。

 ここまで読んでもらってだいたい分かってもらえると思うが、私自身、長女という役割は嫌いではない。妹弟のことは好きだし、彼らに頼られたり甘えられたりすることも好きだし、小学校で1年間だけ3人が揃った期間はとても嬉しかった。自分が人に勉強を教えるという道を選んだそもそもの一歩も、妹弟の勉強を見てあげた経験があったからだ。
 私に重くのしかかったのは、やはり周囲の大人からの「お姉ちゃんなんだから」という認識と、長子にありがちな不器用さと世渡り下手への自己嫌悪だ。特に妹と一緒に習っていたクラシックバレエ(小1~小5までやっていた)の先生は妹と仲が良く、私のことを「おねえ」と呼んだ。それが一番悲しかった。その呼び方1つで、「妹がいなければ、私はこの先生から認識もされないのか」という思いがずっとあった。あの先生のことだけは、今でも許せないと思ってしまうまでに深く傷を残している。
 とにかく、当たり前だと思ってほしくない。それが長子たちからの、最も切実な思いではないだろうか。

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