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真面目に生きてる真面目に生きてる真面目に生きてる『RENT』11/13(金)ソワレ公演

 2012年の賀来賢人マーク&中村倫也ロジャーの公演以来、8年ぶりのRENTである。今回観るにあたって、私は小さな疑問を抱いていた。

 『2020年の現在を生きる私に、1991年のRENTの世界はどう映るのだろうか』
 『25年前のジョナサン・ラーソンの魂は、現在の私たちに響くのだろうか』

 私は最も好きなミュージカルに必ず挙げるほどRENTが好きだ。特に大学生時ミュージカルショーをやった際にコリンズをやらせてもらい、その練習を通じて夢中になった。『I'll cover you』と『La Vie Boheme』の2曲をやったのみだが、コリンズにとってこの2曲がどれだけ大きなものかは想像に難くないと思う。
 ちなみに当時恋人のエンジェルをやっていた先輩は、現在では実際にニューヨークで女優をしている。今では、いや当時から、憧れと尊敬が強すぎてとても私には触れられないような先輩だけれど、エンジェルとコリンズとして見つめあった時間を思い出すと、彼女のことはいつまでもいつまでも愛おしく思えてしまう。私は私のコリンズとして彼女を愛しているし、大切な人として、彼女は永遠に私の中の一部分に存在している。
 そんなRENTファン(フリークとまでは自称できない)の私でも、「もうRENTは新しいミュージカルではない」という思いがあった。AIDSは薬でほぼコントロールできる病気になり、LGBTへの理解に関する運動も今では簡単に目に入る。RENTが描く世界はあくまで30年前のものであり、今の私たちには"古い"のではないかという疑念があった。それでも2020年の今日、日本でRENTが上演されることには意味があると思った。だから、観に行ったのだ。

 話が逸れたので結論から言う。
 古くなんてなかった。やはりRENTは、ジョナサン・ラーソンの魂は、生き方を肯定してくれた。

 彼らの生きざまを見ていると、「自分がやりたいことをやって良い、突き進んで良いんだ」という思いになる。だから、まずは自分が自分を肯定しないと始まらない。今の自分を肯定して、自分のやりたいことをやりきることが人生であると、強く感じた。
 序盤のロジャーは今の自分から逃げ、自己否定を繰り返していた。そして、「キャンドルはもう消えた」とミミを拒絶した言葉で「そうじゃない」と自ら気付いたのだろう。現在の社会には、ロジャーと同じ心持ちである人が多すぎる。病気でなくとも、貧困でなくとも、何かを成し遂げたいと思いながらそもそも今の自分を肯定できていない人が多すぎる。これは私も含めてだ。今の自分が何者であるか、誰を愛したいのか、何を思い感じているのか、そこから目を背けてはいけない。
 過去から何かを得ようと縋りつくのは、あまり良い策ではない。詩を書くのは今の自分だからだ。ロジャーは一幕の途中で気付き、そこから自分の詩を描き始めた。ロジャー自身は気付いていなかったかもしれないけれど。

 車の窓ふきを持ったホームレスが「真面目に生きてる真面目に生きてる真面目に生きてる真面目に生きてる!」と早口で叫ぶ見せ場のシーンがある。原文では「Honest living!」と叫んでいるので、「真っ当な暮らしを」と求めているようにも訳せるのだが、私はこの日本舞台訳が好きだ。彼は「真面目に生きてる」と自身を肯定できているのだ。それは別場面で、冷たくされた相手にも母国語で「メリークリスマス!」と返しているところにも表れている。
 つまり、彼の言う「真面目に生きてる」とはそういうことなのだと思う。今の自分を肯定し、今の自分がこの世界に生きていることを実感し、今の自分を生きることが「真面目に生きる」ということなのだ。そして明日を真面目に生きるために、少しでも真っ当な暮らしを求めているのかもしれない。

 ただ、孤独の中で自分を肯定するのは難しい。誰かが寄り添ってくれているからこそ、人は自身を肯定できるのだと思う。
 寄り添うと言ってもその形には様々ある。代表としてはやはりエンジェルとコリンズだろう。前述の「真面目に生きてる」筆頭はそれこそエンジェルだと思われるが、逆に彼女が求めているのは「Today for you, Tomorrow for me」であり、「コリンズのThousands kisses」だ。彼女は他人に与えることによって人や街と一緒に生きており、そして強くコリンズからの愛情と温度を求めていた。基本的には前者がメインであるが、彼女を蝕む病気への寂しさがコリンズという存在を強く求めたのかもしれない。たくさんを愛し、たくさんに愛され、コリンズを愛し、コリンズに愛されたからこそ、エンジェルは「尊厳をなくす」ことなく最後までいられたのだと思う。
 孤独といえば、マークはどうだろう。マークの孤独感は象徴的だ。彼の撮るフィルムの中に彼はいない。「僕は、どこにもいない」のである。ただ、マークにも常に誰かが寄り添っている。ホームレスのおばちゃんに詰られたマークをエンジェルたちが励まし、彼はフィルムを回し続けることができた。仕事を手に入れ撮りたくないものをお金のために撮っているマークを、ロジャーはずっと見ていた。そして、「お前はどこにいるんだ」と言葉を突きつけた。ロジャーもまた、マークにずっと寄り添っていた。
 書きながらふと思ったが、この2つのシーンは対照的になっているのかもしれない。「寄り添う愛」とは、常に優しい言葉であるわけじゃない。「お前はこういう人間だった」と気付かせてくれるのは、いつだって他人の声だ。それは愛だ。人は常に自分の主観でしか生きられない。だから他人からの言葉が独りよがりであることだってあるし、思い違いだったということもあるし、本人がそうありたい自分ではないのかもしれない。ただ、その言葉がなければ真に「真面目に生きてる」とはなれない。今の自分を肯定するためには他人の言葉が必要で、他人が寄り添ってくれることが必要なのだ。

 ただ、それらを全て凌駕する絶対的なものがある。それは『死』だ。
 この作品の無慈悲な点は「エンジェルの死が早すぎる」ところにある。普遍的なフィクション・夢物語では、あのタイミングでエンジェルは死なない。あのタイミングではないのだ。
 リアルの世界はそうではない。どんなタイミングだろうと病魔は刻一刻と身体を蝕み、死はどんな時でも平等に訪れる。それが私たちに与えられた『命』だ。RENTのラストシーンは、それまでの泥臭さから一転、急に救いを持った雰囲気になる。「ミミが死へと向かう道中で、エンジェルが現れる。そして、戻りなさいと言われた」といういささかドラマチックな展開で、笑顔で幕が閉じる。あのタイミングでいなくなるのは早すぎた、と言わんばかりに、最後まで彼女は存在し続ける。そういうことなのだろう。
 エンジェルは誰も望まないタイミングで炎を燃やしきった。ミミはロジャーの歌がようやくできたところで事切れた。ジョナサン・ラーソンは開幕前日に、その幕開けを見ることなく、死んだ。
 それが人間であり、それが命なのだ。だからこそ、私たちは「真面目に生き」なければいけない。自身を肯定して、やりたいことをやり通し、他人に寄り添っていかなければいけない。自分を否定している時間などない。今日という自分を受け入れて、認めて、肯定しなければいけない。明日には死んでいるかもしれないから。来年のクリスマスには、大切な人がもういないかもしれないから。

 あとはキャストさんへの感想箇条書きです。
 ・花村想太さんのマーク、声優さんっぽい声色?声が目立つのでとても良い。歌もめちゃくちゃ上手い。かなり可愛らしさがあるマークなので、Tango: MaureenでのコミカルさやWhat you ownでの叫びがとても良かった。
 ・ロジャー(甲斐翔真さん)背たっか!!!調べたら185cmって出てきたけど絶対もっとある。ミミとの身長差がすごくて自然と応援したくなるカップルだった。
 ・なんと言っても今回度肝を抜かれたのはモーリーン(鈴木瑛美子さん)の等身大の可愛さ!!モーリーンに対してあんなに可愛いと思ったのは初めて。彼女って一幕の終盤でようやくご登場!というのもあってどうしても曲者、大物のイメージがあるのですが、それを持った上であのメンバーの一員というか、全力で生きてる若い女性である感じがとても良かった。プログラムで「モーリーンは私」とおっしゃっててすごいな!と思ったのですがそれが一番しっくりくる。現代日本で生きていてもおかしくないような、全力で等身大のリアルなモーリーンでした。あれは数多くの男女をメロメロにしちゃうわ。ジョアンヌ(宮本美季さん)もリアルなビアンタチの感じがあってめちゃくちゃ格好良かったから、ここのカップルも大変現実感があってよかったです。
 ・RENTって人種のキャラクター性もあるから難しいとは思うんですけど、日本公演で無理にオリジナルキャストや映画に寄せないところがとても好きです。ピンク髪のモーリーンって今の若い日本女性にとって親近感あると思うし、茶髪センター分けのベニーも現代の成金感あって良かった。

 かつてのミュージカルオタクには戻らなくても、やっぱり生きる活力として必要なものはあるなと強く感じた。

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