玉坂汐音という存在 #6

 大学生になった私は、それはそれは充実した毎日を過ごした。
 片想いで終わる前提ではない恋愛を知った、お酒も知った、様々なすったもんだの当事者にも傍観者にもなった。そうしているうちに、玉坂汐音という存在は過去のものになっていった。
 前回の最後に触れた「汐音の未来の話」がなければ、大学生になった時点で私は彼女から解放されただろう。あの短編、汐音が小説家として自立し、取材旅行に行く空港でかつての片想い相手と再会するという話を書いていなければ、汐音という存在は中高時代の架空の人物、オリジナルキャラクターとして大切に収まっていただろう。しかし、あのお話のせいで汐音は存在し続けた。私の中で存在し続けて、なんとなく一緒に成長していった。なんとなく一緒に成長して、成人して、そして、就職活動というものにぶち当たった。

 私の就職活動は大変難航した。大企業病(正直、今となっては入れなくて良かったと思う企業もいくつかある)、限られた業種、そして、面接アピールが下手。当時12月スタートの就活で、ようやく1件の内定をもらい私の就活が終了したのは、翌年の11月上旬だった。
 明らかに弱点があった。私はついぞ、他己分析をしてもらうことができなかったのである。聞くことができなかった。怖かった。ただ、漠然とした恐怖があった。
 ふと、今になって思う。私は汐音でありたいと思いながら、自分が汐音にはなりえないことを分かっていたのだと思う。玉坂汐音という存在に集約される「理想の自分」との乖離を突きつけられることが、21歳の私にはとてつもない恐怖だったのだと思う。手放せないからこそ怖い。引き千切られてしまうのが分かっているからこそ怖い。汐音は自分だと思い込んでいたかった。汐音に託した大好きな自分を切り離すことはできなかった。だから、ハナから聞くことすらできなかった。

 今でも、汐音は私の中に絡み付いている。きっと誰からもそうは見えないだろうという諦観と、中高の甘い思い出と、もしかしたらきちんと似ているのかもしれないという拠り所のない期待の中で、私は汐音を夢に見る。
 もう、あのお話のリミットは来る。本当はすでに来ていた。まだ、まだもう少し、と思いながら、私は近づけずにいる。私はもう、汐音になりたくて汐音でありたい自分を否定することができない。汐音を自分から切り離すことができない。幼い私が「そうありたい」と思い描いた自分を捨てられない。その理想でさえ、自分だと思えてしまう。

 少しだけ、自覚することができた。10年も15年もかかってしまった。

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