誰が"普通"なのか

Anyone out of the mainstream.

Is anyone in the mainstream?

「誰もがメインストリームの外側にいる。いったい誰が"普通"の中にいるんだ?(一部意訳)」

これはジョナサン・ラーソンが書いたミュージカル『RENT』の中にある台詞(歌詞)だ。この言葉が世に出たのは1996年、今から24年前。セクマイをはじめとしたマイノリティについての議論など、今とは比べ物にならないほどに存在していなかった時代だ。

30年近く生きてきて、私は私のことを「普通ではない」と思うことの方が多かった。自分から上手くコミュニケーションが取れず、友達にはいつも「友達で"いてくれる”」という意識が拭えない。内向的な趣味が多く、壊滅的な運動神経で、親からもどこか「劣っている子」という目線を向けられていた印象がある。周りの子より勉強はできたけれど、好きなことやこだわりの部分ばかりをこだわって、どうにも扱いづらい子だった。今になって親に「発達障害グレーゾーンだよ」と言われるが、そんなことはもはやどうでも良かった。この身をもって、こんな年齢まで生きてきたのだ。

挙げればキリがない。私は私のことを「普通ではない」「欠陥だらけの穴ぼこ人間」「他の子と違う」と思っていたし、そう思いすぎると、今度は反作用として、「私は平凡でなにも特別なことはなしえない人間だ」「私みたいな人間はいくらでもいる」「私が考え付くことはみんなもすでに考えている」と、裏を返して再び自己否定を始めるのが常だ。とにかく、私がずっと思い続けているのは「普通ってなんだろう」ということだ。「"普通"って何をすることなんだろう」と考えていた。

それを助長したのが、中高生のときだった。女子校に進学した私は、同級生に好きな子ができた。今思えば私は惚れっぽく、格好良いと思った相手にすぐ熱を上げてしまう性質だった。正直、女子中高の間に本気で好きになった女の子は複数人いる。女子校に行ったから、その対象が女の子だったというわけだ。その感覚は当時の私も分かっていた。小学校時代に好きだった男の子を思い浮かべながら、私はバイセクシャルなのだと自認した。

そんな折に、テレビである人の特集をやっていた。杉山文野さんだった。「同性愛」という概念しか知らなかった私が「性同一性障害」を知った瞬間だった。当時中3だった私は、国語の時間に設けられたスピーチの時間で彼のことを紹介し、自分の考えを述べた。国語の先生も、とある事情もあってか神妙に聞いてくれた。私が性同一性障害か、ということも一瞬考えたのかもしれない。私は完全に「女の子」であって女の子相応の身なりもしていたからすぐに消されただろうけど。

それから、私は1つの結論を出した。今でもそれが正しいと思っている。

1人の人間の中に「3つの性別」がある。1つ目は「生物的な、肉体的な性」、2つ目は「自認的な、精神的な性」、3つ目は「恋愛対象になる性」だ。多くの人が、そして社会的に認知されているのが「MMF」or「FFM」であるというだけで、他の組み合わせも、1項目にどちらも取りうる人も、1つも取りえない人も存在するのだ、と。私は3つ目がMでもFでもいける性質というだけで、この世にはもっともっと様々な性志向を持つ人がいるのだと、私は中学生の時点で気付くことができた。

セクシャル以外の性質も、本質は同じなんだろうと思う。結局、メインストリームとは「その時代で便利な性質」というものに過ぎないのだろう。それぞれの性質や、もっとわがままを言えば好きなものだって、誰一人"普通"ではない。普通ではないのが人間だとすら思う。それが時代と一致していれば堂々と名乗ることができて、一致していなければ我慢をしている、それだけだ。ずっとそう思っているし、私の思春期はそれを受け入れてくれた。中学でも高校でも、みんなが自分の好きな方向を向いて、みんながそれを認識していた。とても居心地が良いと同時に、欲を言えば、孤独ではあったかもしれない。

そんな私を肯定してくれたのが、ジョナサン・ラーソンの遺したこの言葉だった。"普通"という概念は幻想だと、笑い飛ばしてくれた。誰もが特別で、誰もが普通ではなくて、なのに誰もが普通であろうとしていて、きっと数人は自分が普通だと思い込んで生きている。誰も普通ではないのに。誰もが奔放に生きてよい世界なのだ。なぜなら、この世界には条例があって、法律があって、憲法があるから。そしてそれらを変えたいのなら、運動をすることができるから。

誰もが普通ではない。普通なんてものは時代で変わっていく。普通でいたいなら、時代を掴み続けなければいけない。それらを必死でつかんだ末に、何かが残るかは知らないけれど。私はそんな道を選べないし、選ばないから。

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