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本能寺の変1852 その一因 2(1)光秀の素性4 そ第200話③ 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』

その一因 2(1)光秀の素性4 そ第200話③ 

はじめに ←目次 
その一因 目次大 目次中 2光秀の年齢と嫡男光慶 (1)光秀の素性 ← 
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→【シリーズ】
 信長の甲斐侵攻 光秀と長宗我部元親 本能寺への道  
見えてきたもの 目次大 目次中 +240607 
【 重要史料 】 【 重史一覧 】 【 人物 】 
*◎=重要ヶ所 P=重要Point ✓=チェック済
 そ=その一因 テ=テーマ別
*加筆修正 

そ第200話③

 【参照】 ←第200話
 【参照】 2光秀の年齢と嫡男光慶 ← (1)光秀の素性 ←
   1素性  そ第53話 そ第54話① そ第54話② そ第54話③
   2争乱  そ第155話① そ第155話②
   
3下剋上 そ第156話① そ第156話② そ第157話① そ第157話②
  
      そ第158話① そ第158話② そ第158話③ そ第158話④
        
そ第158話⑤ そ第158話⑥ そ第158話⑦ そ第158話⑧
        そ第158話⑨ そ第158話⑩ そ第158話⑪
   4没落  そ第200話① そ第200話② そ第200話③
        そ第201話① そ第201話② そ第201話③

光秀の雌伏時代3 濃州土岐一家牢人

 以下①~⑤は、光秀の越前時代に関する箇所である。
 重要ヶ所!!
 要注意!!       

 ①光秀は、後に、惟任の姓を名乗る。
 
 光秀は、信長から、惟任日向守の姓と官職を与えられた(天正三年)。

   惟任方、もと明智十兵衛尉といひて、

 ②光秀は、牢人だった。
  
すなわち、「主無し」。
  無禄である。

   濃州土岐一家牢人たりしか、

 ③光秀は、朝倉義景を頼った。
 
 但し、仕官した形跡は見当たらない。

   越前朝倉義景を頼み申され、

 ④光秀は、十年ほど、長崎称念寺の門前に居住した。
  ピタリと、この時期に合致する。  

   長崎称念寺門前に、十ヶ年居住故、

 ⑤光秀は、称念寺の僧と懇意だった。
 
 光秀と六寮。
  二人は、旧知の間柄。
  光秀は、手厚くもてなした。
  暫らく、坂本に留め置く。

   念珠(ねんごろ)にて、
   六寮、旧情、甚に付て、
   坂本に、暫し、留め申さる。

 光秀は、称念寺の僧を順慶に引き合わせた。
  
幸いにも、順慶が年始のため安土に出仕するという。
  光秀は、六寮を順慶に引き合わせた。
  「南都御修行」
  順慶は、快諾した。

   折節、大和筒井方、安土へ年始之出仕、
   則、惟任、取次なれば、来儀、幸、

   六寮、直に、行き合ひ、
   遊行上人、南都御修行、日州、助言故、
   順慶、別儀無く、御請、申されキ。 

   同晦日、(上人は)六条御影堂へ入御、
   日中、行事以後、種々、取り成し、申し上られ候ひつる。
        【 重史 025】(「遊行上人三十一祖京畿御修行記」3/3)



 ⇒ 次へつづく

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