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本能寺の変1582 目次中 光秀という男 5 1400年代 110~116 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。日本史、信長公記、斎藤道三、足利義昭、武田信玄、上杉謙信。『光秀記』

目次中 光秀という男 5 1400年代 110~116 

110 富島氏と斎藤氏の権力闘争が始まった(美濃錯乱)。
111 斎藤氏は、急激に勢力を拡大した。
   斎藤妙椿が利藤を後見した(持是院家)。
112 妙椿は、富島氏を駆逐した。
113 斎藤妙純が持是院家を継承した。
114 美濃は、二つに割れた(船田合戦)。
115 妙純が近江で戦死した。
116 細川政元が将軍足利義材を追放した(明応の政変)。

目次  1~317
目次大 1~317

目次大 光秀という男 92~123 
目次中 光秀という男 92~123
目次小 光秀という男 92~123


信長と、ともにあった十五年。
永禄十一年1568~天正十年1582。
光秀を知ることは、信長を知ることである。

          ⇒ 次回へつづく  

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