本能寺の変1582 目次小 信長の台頭 10三好長慶の死 312~317 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。日本史・信長公記。『光秀記』
目次小 信長の台頭 10三好長慶の死 312~317
*312~317は、バックナンバーです。
312 永禄七年(1564)
筒井順政、死去。 「多聞院日記」
筒井順慶、自立す。
三好長慶が安宅冬康を殺害した。 「足利季世記」
これで、四人目。
313 信長と謙信の交流が始まった。 「杉原謙氏所蔵文書」
314 長慶、没す。 「足利季世記」
315 斯くして、三好長慶の時代は終わった。
そして、信長の時代へ。
信長は、犬山城を攻略した。 『信長公記』
信長は、謙信へ近況を伝えた。 「歴代古案」
316 信長は、攻め口を変えた。
西から東へ。
信長は、東美濃に進出した。 『信長公記』
317 フロイスが堺に到着した。
フロイスが京に入った。 『日本史』
目次 1~317
目次中 信長の台頭
1信勝謀殺 240~244
2尾張統一 245~253
3桶狭間 254~273①
〃 254~273②
〃 254~273③
〃 254~273④
4光秀と長宗我部元親 274~276
5武田信玄と天沢和尚 277~282
6三好の絶頂 283~288
7斎藤義龍の死 289~292
8三好の衰退 293~308①
〃 293~308②
〃 293~308③
9光秀と長宗我部元親 309~311
10三好長慶の死 312~317
目次小 信長の台頭
1信勝謀殺 240~244
2尾張統一 245~253
3桶狭間 254~273①
〃 254~273②
〃 254~273③
〃 254~273④
4光秀と長宗我部元親 274~276
5武田信玄と天沢和尚 277~282
6三好の絶頂 283~288
7斎藤義龍の死 289~292
8三好の衰退 293~308①
〃 293~308②
〃 293~308③
9光秀と長宗我部元親 309~311
10三好長慶の死 312~317
信長と、ともにあった十五年。
永禄十一年1568~天正十年1582。
光秀を知ることは、信長を知ることである。
⇒ 次回へつづく