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イライラの奥にあるもの(アーユルヴェーダ的な考察も)

どうしても、繰り返し同じようなことでイライラのスイッチが入ってしまう状況や言葉はないだろうか。

普段はあまり外で感情を出さないよう心がけているため、先ほども職場の方に温厚な女神みたいだと言われて舞い上がった私であるが(お世辞と分かっていても嬉しい)、心の中は乱れっぱなし。

物欲のほぼない私は、そのイライラを食欲を満たすことで解消している。オソロシイ、、、

色んな事へ色んな感情が動く毎日だが(これを制御するためにヨガをしているけれど)、最近脈診でピッタ(火🔥のエネルギー)が上がっていることが分かった。季節的なものと、忙しさとで、ヴァータ(風🍃のエネルギー)も上がっており、火が煽られて炎🔥🔥🔥になっているな、と思い当たることもあったため、ピッタが増悪させるという怒りについて考えてみた。

ピッタ(火🔥)のエネルギーは、物事を大きく動かしたりパワフルに活動したりするのに必要なものなので、決して生きていく上で悪役ではない。むしろこれまでは、無気力で重ダルな状態(カファ💧過多でタマス)が多かった私には多少増えた方が生活しやすいが、最近はどうも増えすぎてしまったようでイライラに戸惑うことがある。


私がどうしても、繰り返しイライラしてしまう状況は、(社会への怒りは置いておき、個人レベルの話)
①過去の自分には許されていなかったこと(ズルいと思う気持ち)
②生活基盤が外的要因で崩れること(急な仕事のキャンセルで収入減など)
③自分の時間を取られること
大きく分けてこの3つだ。

②はシンプルに将来の経済不安が大きいこと
③は単に時間に関してケチな性格だから仕方ないとして、

①のズルいと思う気持ちの裏を分解すると、幼少期からの親に対する満たされない心が眠っている。
「私が○○したら親に確実に叱られていたのに、△△さんは普通に許されている。」
「私は親に認められるため、褒めてもらうため、□□して頑張ったのに、●●さんは何も努力しなくても愛されている。」
「私は▲▲を手に入れるため◼️◼️したのに、~さんは無条件で親からそれを与えられている。」
など。

普段は忘れているけれど、時々外から押されるスイッチによって思い出される数々の未解決事項である傷がまだ内側に燻っていることに自分で気がつくのもなんだか悲しい。

もういい加減忘れたいし解放されたいけれど、連続複雑骨折のようになってメタメタになった気持ちはまだ癒えていないのだなとも思う。

ここでこうして言語化することで、少し頭が整理された。文を書く、というのは、カッコ良く言うとジャーナリング、となるのだろうが、セラピー的な効果が大きいなとも思う。

とりあえずは自分で自分を認めてあげよう。

一生懸命に生きていることを。
日々乱れるメンタルも、怒りを感じて過去の悲しみに引っ張られてしまうことも。

アーユルヴェーダでは、ある「病」を根本的に治すには、その「病」になるのにかかったのと同じ時間が必要だと言われている。

その「病」のことを「忘れる」という状態が完治したという段階とのこと。

それなら私が完全に癒えるにはあと30年近くかかることになる。とても長い期間、闘ってきたのだから。

どんな形であれ、時間はかかるが少しずつ薄まっていくはずだ。

その時は世界にどんな景色が見えるのかな。

本当の女神のようになっていたいものだ。

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