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エッセイ

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#多様性を考える

難民だから、発展途上国出身の外国人だから、かわいそうって決めつけて、助けてあげる存在って決めつけるのは変じゃない?SOSを求めてもいないのに、勝手に横から手を出すのはおせっかい。他人を安易に被害者化するのも危険。

他の文化にリスペクトのない人は、どこの社会でも、置いてきぼりにされるだけ。
溶け込みたければ、自分が変わるしか無い。
残念だが、外国に住むと言う事は、自分の1部を捨て去ることだ。

障害があるからって、普通の人ができることを人の倍頑張る必要もないし、何でも自分でできるようになる必要もない。特別な能力がある必要もないし、ナンバーワンになる必要もないんだよな。
肩肘張らずに生きて行くのが1番だよ。

意見も、視点も、立場も違って良い。
それぞれを頭ごなしに否定しないこと、自分の主張を押し付けて、他人の口を塞がないこと、それが真の多様性ではないのか。
現在の多様性は、強い主張がある人たちが、自分たちに都合の悪いことを言う人の口を塞いでいる形だ。
それでいいのかニッポン!

2つの戦争が怒る中で、様々な子供の様子を見てきて、センシティブな話題こそ、思い切って語らなければと気づいた。
私たち大人が、知らず知らずのうちに忖度してきた結果、悲惨な状況に追いやられる子供たちが生まれた。
この世界に住んでいる誰もが、大人である責任からは逃れられないのだ。

日本の教育ってほんと不条理。
発達がゆっくりな子はかわいそう、将来が心配、
早い子は生意気。可愛い毛がない。子供らしくない。
存在もしない普通にしがみつく大人と、ひがみ根性が1番悪いんだよな。

文化と文化が交差するときに、違った考えや意見がぶつかるときに、多様性が生まれる。
だが、多様性の裏には、必ず不都合な真実もある。
人権を守ろうとか、共存しようとか言っている人たちは、目を背けないでほしい。

世の中には弱者を助けることが大好きだけど、弱者そのものと関わるのは大嫌いな人がいる。そういう人を信用してはいけない。そういう人に力を与えてはいけない。