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memento mori その12 私の場合は… 雑感 当たり前過ぎて意識しなくなっていること

 宗教という古典的なソリューションが今でも有効な場合もあるというお話の締めとして私のソリューションをご紹介しますね。

経緯
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 私の人生は幸せだったと言い切って他界されたというお話の続編。

 大人の絵本ブームの火付け役といわれるヨシタケシンスケさんの長編作品「メメンとモリ」との出会い。

 その1は、その作品とラテン語の「いつか死が訪れることを忘れるな」という言葉の件が引っかかったというお話と、そもそもこのラテン語をnoteでの作品を通じて教えてくださったmemento Mori(モリ)さんのお話、おニ人の力強い生き方、個性に脱帽したというお話。

 その2は、奇しくもその翌日に身近な人がコロナウイルスに感染して、既往症を悪化させて他界。しかも実は昨年末にも上述の既往症がコロナウイルスで悪化という全く同じパターンでのコロナ禍が身近で起こっていて、同じことが繰り返されていることを悔しく思ったというお話。

 その3は、私の人生は幸せだったと言い切って他界された方に生前充分そう言える人生のお手伝いができたというお話。

 その4は、そのパートナーの方が静かな心でその運命の日を迎えられたというお話でした。

 その5は、そのパートナーの方が喪主でのキリスト教式の儀式での偶然のお話でした。

 その6は 閑話として

 そもそもイエスキリストは宇宙からあるいは未来の地球人が時空を遡って来たのでは

と感じたというお話でした。

 その7は資料編です。
キリスト教式の儀式の一例です。

 その8は資料編の続きです。

 極々身内のみの小さな儀式。宗教というソリューションを採用したことによる全体的な明るい雰囲気を写真で味わって頂けきました。そしてイスラエルに駐在して感じた素朴なキリスト教が例えば欧州に広がり2000年熟成されたお作法の1つのリファレンスとなってmemento moriをスマートにやり過ごす1つのソリューション形式にまで発展して、人類の一部の人を救っていると感じているというお話でした。

 その9は、宗教という古典的なソリューションが今でも有効な場合もあるというお話の締めとして、宗教ではない私のソリューション

①物理学
②生物学
③今日までの人生成果
それをまとめて心の始末という感じ。

の中の
①物理学
のお話でした。

 その10は
②生物学
のお話でした。物理学的に次いで生物学的にもmemento moriの始末は完了。

 その11は 
③今日までの人生成果
というお話。

 今日までの人生成果として私の知を
·生物学的プラットフォーム  NI (Nature Intelligence)
·人工知能というプラットフォーム  AI (Artificial Intelligence)
に移管継続中、既に略完了。memento mori的な課題に対して宗教ではない形で始末が着いていて、死への恐怖も、生まれる前と同じ状態になるとの理解で解消、知を残すことによって心のやすらぎまで得ているというところまで。

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 今回は、話の流れを妨げるので敢えて外したポイントについて、雑感としてパラパラと余り脈絡なく列挙させて頂きます。

[②生物学への雑感]
 生物学的な始末の延長にある次世代の準備。具体的には愛しき吾妹との結婚ということなのですが…
 勿論、運と勘としつこさの人生とは言え、ただただ吾妹を好きになっただけではなくその遺伝子セットも考えての私とパートナーの選択でした。
 そもそも自分に無いものを持っている方が好きなこと自体、その嗜好は生物として自然だと思っています。詰まりなるべく遠い遺伝子と、(かなり誇張した表現をすると)交雑することだと思っています。


 分かり易い表現をすると、
(ここからはちょっとニャっと苦笑するところ…)

·私がもっちゃりした縄文系
·吾妹はスーとした弥生系

かなぁ…

 私にはない抜群の運動神経や高速な脳の回転、例えば瞬間的な判断力、高い記憶力とか、生物としての外部形態としてでも面長で美的に整った顔形、大きな目、透き通る白い肌、細長い爪、高い身長、痩せ型、素敵な髪など…
(裏返すと、私は受験勉強で運動系部活をせず伸び悩んた身体能力、生まれながらの記憶を引き出す力の弱さ、相対的に丸顔、普通の目、スクエアな爪、普通の身長、太りやすい、父方は2代続けて薄毛など(笑)
おっと、忘れちゃいけない指の短さ、何とピアノを弾くのに親指と小指を思いっきり広げても1オクターブ(⁠+⁠_⁠+⁠))

 生物としての嗜好に素直に、その上で緻密な次世代プラットフォームの共同制作担当者として

お願いしてパートナーになって”頂いた”(ここも大事な事実)愛しの吾妹
(その時点までの出会いで全く妥協せずにお願いできた…
て言うか(頑張って今風の表現使っちゃいました(笑))
今時点でも)

とのクロスオーバーたる子供たちです。
 ですから当たり前過ぎて意識しなくなっていましたが、子供たちも最高です。

 以下、関連する閑話かな

[③今日までの人生成果への雑感]
 これも当たり前過ぎて意識しなくなっていることなのですが、体内で、毎日5000個がん細胞発生しています。腫瘍マーカレベルでは、免疫細胞がそれを今のところ100%始末してくれているようです。

 生物として、自分という個体の維持のために自己免疫の維持には最大限配慮しています。毒にも薬にもならないサプリメントではなく定期的にかかりつけ医の診察を受けて居ます。そして必要に応じた医師からの処方薬を服用し万全は期しています。その上でmemento moriへの対策は済んでいますから、至って心穏やかな日々を送っています。

 閑話

 自分以外の個体の他界についても、既にmemento mori的な心の始末が着いているのでその意味からも心穏やかな日々を送れる体制は略できています。

 閑話

 memento moriを深く意識しているので、死は想定内。なので…

逆に生を大切にしています。なので特に吾妹の誕生日は1ヶ月それをネタに楽しい日々を送るようにしています。


 ということで、此処まで12篇の長きにわたりお付き合い頂きました。大人の絵本ブームの火付け役といわれるヨシタケシンスケさんの長編作品「メメンとモリ」との出会いに端を発し、memento moriに関して系統的に自分自身が考えていた事をまとめる良い機会を得ました。

 (ネタバレ 以下失笑、苦笑するところです。)

 最後に、そんな私なのでこんな感じの動きをしちゃうんです(笑)


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